(え……)
 その日、正殿に呼び出された私は、今度は垂簾の奥ではなく床に直に座らされていた。
 (ジン)総督と横並びで。
 周りはぐるりと官吏や兵士に取り囲まれている。
(何? え? どういう状況?)
 呆然としている私に向けて、皇帝は憎々し気に口端を上げる。
「どうだ、翠蘭(スイラン)。愛しい男の側にいられる気分は」
(愛しい男?)
 ぽかんとしたまま、私は隣に座る人物に目をやる。井総督も当惑した表情をこちらへ向けていた。
「お初にお目にかかります、皇后陛下」
「え? あ、はい。初めまして、井総督」
 奇妙な挨拶を交わす私たちに、皇帝は苛立ったように声を荒げる。
「何を白々しい! お前たちはこの俺の目を盗み、不義密通をしておっただろうが!」
 はぁあああ!?
「畏れながら皇帝陛下、自分は皇后陛下に直接お目にかかるのは、これが初めてでございます」
「そ、そうですよ! 不義密通ってどこからそんな発想が……」
「これを見ても、白を切る気か!」
 そう言って、皇帝が皆の前に突き出したのは。
「ぎゃーー!!」
 私が自分のために書いた、『戦刃幻想譚』の二次創作小説(R-18)の写本だった。
「ちょちょちょ!! こんなところで、それ……!!」
「ふん、その慌てぶり。やはりそうか」
 言いながら、皇帝はページを大きく開いて見せる。
「この将軍(バイ)泰然(タイラン)とは、(ジン)のことを書いておるのだろうが!」
「違うわー!」
 思わず素のツッコミが出る。
「お前はこの柏泰然なる男の物語に限っては、他の女の名を書き込むことを拒んだそうだな」
 それは現実には触れあえることのないオークウッド中尉(二次元)と私(三次元)を、せめて妄想の中だけでもキャッキャウフフさせたかったからだ。
「お前の偽名である朱蘭(ヂュラン)に対し、女の名が朱音(ヂュオン)。そして(バイ)泰然(タイラン)に対し(ジン)浩然(ハオラン)。明らかに似せているだろう」
 一文字だけでしょうが! 
 つか、こんな大勢の前で身バレさせられた! 酷くない!?
「何なに? 『泰然が私を強引に抱き寄せる。甘い夜の空気を震わせ、泰然の低く掠れた声が吐息と共に耳朶をくすぐった』」
「ちょぉおおおおい!?」
 小学生の頃を思い出し、思わず声が出る。書いていた小説ノートを男子に奪われ、中身を朗読された嫌な思い出が脳裏をかすめた。
「貴様ら、こんな淫らな真似を俺の知らぬところでやっていたのか!」
「陛下! 天に誓って自分は決してそのようなことはいたしておりませぬ」
「それは私の勝手な作り話! この人は関係ない! と言うか、今会ったばかりって言ったでしょ!?」
「なんだその言い草は!」
「っ!」
「翠蘭、お前はこの間、ひどく嬉しそうだったな」
「は?」
「井総督に報告に上がらせた時だ。垂簾の奥でお前は、こやつの姿を見て嬉しそうにしていたではないか」
「あれは……!」
 推しキャラと、声と口調がそっくりだったから、なんて言ってもまず通じないだろう。
「いい声の人だなぁと思って……」
 口ごもる私の姿に、皇帝は後ろめたいものがあると確信したようだ。完全な邪推だが。
「もうよい!」
 彼は一方的に話を打ち切ってしまう。
「ちょ、皇帝!?」
「皇后・翠蘭は幽閉! 井浩然は後日処刑とする。井を牢へぶち込んでおけ!」
「陛下!!」
 井総督が数人の兵士に引きずられていく。
 皇帝は私を見下ろしニヤリと笑った。
(なんてことを……!)

 一旦部屋に戻された私は、イライラと部屋を歩き回る。
(なんなの、あれ! 完全な言いがかりだし、嫌がらせだ)
 数日後、私はここから出されて、狭い別の部屋に移されるらしい。
(それは別にいいんだ。元々、私はインドア人間だし。屋根のある部屋を与えられて食事もちゃんと出されるみたいだから)
 一生衣食住には困らない。その上、皇后の役割から解き放たれ執筆し放題。むしろ願ったりかなったりの展開かもしれない。
(でも、井総督は違う)
 全く身に覚えのない「皇后と不義密通」の罪で処刑されるのだ。
「ふざけるな!」
 私は架子床(ベッド)を殴る。
 私がストレス発散のために書いたたわいもない小説のために、人ひとりの命が奪われるなんてあってはならない。
(てか、そのストレスの元凶が皇帝だっての!!)
 あの小説を書いたのは、井総督の存在すら知らなかった時だ。モデルになんてするわけがない。
 まぁ、今の私の意識が入る前の翠蘭が、彼を知っていたかどうかまで分からないが。
(あのアホ皇帝――!)
 幾度も拳を枕に叩き付ける。そうでもしなければやってられなかった。
(私にできることはない? せめて井総督の命だけは……)
「荒れているな」
 面白がるような声が背後から聞こえて来た。
「……皇帝」