年に二回開催される超大型同人即売会『Comic universe』、通称コミバス。
自作の小説本をそれなりに売り上げ、ネットの創作仲間とオフ会を楽しみ、私は最高の気分だった。帰宅すれば段ボール一箱分の新たな同人誌が待っている。そう思うと、帰りの電車では頬が緩みっぱなしだった。
「ただいまぁ」
玄関には小さな靴が行儀よく並んでいた。
結婚して家を出た弟が、家族を連れて帰省したのだ。年末年始をこの家で過ごすために。
奥からはおせち料理を作っているらしい、出汁のいい匂いが漂っていた。
「……お帰り、朱音」
エプロン姿の母に、私は東京土産を手渡す。
「これ、お菓子。蒼真たち来てんでしょ? みんなで食べよう」
私はうきうきと階段を上り自室の扉を開ける。
(年末年始は部屋にこもって同人誌三昧、ひゃっふぅー!)
けれど私を待っていたのは、信じがたい光景だった。
「……へ」
何が起こったのか、理解が出来なかった。
中はひどく閑散としていた。同人誌を隠してあった場所は全て開かれ、空っぽになっている。全開にされたクローゼットの中にも、あるはずの段ボールの山がなかった。壁のポスターも、机のアクスタも、何もかも消えていた。
「な……」
「捨てたわよ」
ぞっとするほど冷たい母の声。
私は振り返り、強張る口を何とか動かす。
「……え? 家に送った本、も?」
「当たり前でしょうっ!」
突然母がキレた。
「あんたいい加減にしなさいよ! もうすぐ40にもなるのに、いつまでも独身のまま好き放題やって!」
その剣幕に息を飲む。頭から、氷水をぶっかけられた気がした。
「蒼真はちゃんと結婚して家を出て、子どももいるのに! お嫁さんの百花さんなんて、一緒におせち作ってくれているのよ! それに比べてあんたは、いつまでもマンガマンガで手伝いもせず、フラフラ出かけて!」
「ご、ごめ……。でも……」
「お正月明けたら、あんたにはこの家を出てってもらうからね! 独り立ちしなさい!」
「えっ? でも、家借りるお金、ない……」
「貯金はどうしたの!? お給料、全部マンガにつぎ込んだなんて言わないわよね?」
「……。小説とか、グッズとか、イベントも……」
「もうっ、いやっ!」
母は両手で顔を覆うと、さめざめと泣きだしてしまった。
「あんた、私たちが死んだらどうするつもり? 結婚も出産もしないままじゃ、いずれ待ってるのは孤独死じゃない。あんた、どうやって生きていくつもり? 蒼真にも迷惑かかるのよ?」
「……」
母がトーンを落とすに従い、私の中に怒りがふつふつと湧き上がってきた。
「捨てること、ないじゃない……」。
「何?」
「だからって! 本捨てることないでしょ!? 酷い!」
「朱音! あんたまだそんなことを!」
声を発したのをきっかけに、私の目から涙がぼろぼろとこぼれ落ちた。
「結婚なんてしたくないよ! なんでそのことを責められなきゃいけないの? 押し付けないでよ!」
「私はあんたのためを思って言ってるのよ?」
「何が私のためよ! 人の宝物根こそぎ捨てるとか、もう心の殺人じゃん!」
私は母を押しのけ、階段に向かう。
「わかった、この家に私の居場所はないんでしょ! もういい! 消えてやる!」
普段出さない大声を出したのがいけなかったのか。
本を連日徹夜で作り、イベント中は興奮でまともに寝てなかったせいだろうか。
大切なものを丸ごと捨てられたショックのためだろうか。
突然目の前がちかちかと白く染まり、重力が狂ったように体が揺れた。
「朱音!」
(あ……)
足の下の感覚が消え、私の体は空中に投げ出される。
そして次の瞬間、したたかに叩き付けられた。幾度も、幾度も、幾度も。
(あ、が……)
「朱音!」
全身を襲う激痛、そして私の名を呼ぶ声。それらはやがて急速に遠のいてゆく。
悲鳴に似た誰かの声を聞いたのを最後に、私は意識を手放した。
自作の小説本をそれなりに売り上げ、ネットの創作仲間とオフ会を楽しみ、私は最高の気分だった。帰宅すれば段ボール一箱分の新たな同人誌が待っている。そう思うと、帰りの電車では頬が緩みっぱなしだった。
「ただいまぁ」
玄関には小さな靴が行儀よく並んでいた。
結婚して家を出た弟が、家族を連れて帰省したのだ。年末年始をこの家で過ごすために。
奥からはおせち料理を作っているらしい、出汁のいい匂いが漂っていた。
「……お帰り、朱音」
エプロン姿の母に、私は東京土産を手渡す。
「これ、お菓子。蒼真たち来てんでしょ? みんなで食べよう」
私はうきうきと階段を上り自室の扉を開ける。
(年末年始は部屋にこもって同人誌三昧、ひゃっふぅー!)
けれど私を待っていたのは、信じがたい光景だった。
「……へ」
何が起こったのか、理解が出来なかった。
中はひどく閑散としていた。同人誌を隠してあった場所は全て開かれ、空っぽになっている。全開にされたクローゼットの中にも、あるはずの段ボールの山がなかった。壁のポスターも、机のアクスタも、何もかも消えていた。
「な……」
「捨てたわよ」
ぞっとするほど冷たい母の声。
私は振り返り、強張る口を何とか動かす。
「……え? 家に送った本、も?」
「当たり前でしょうっ!」
突然母がキレた。
「あんたいい加減にしなさいよ! もうすぐ40にもなるのに、いつまでも独身のまま好き放題やって!」
その剣幕に息を飲む。頭から、氷水をぶっかけられた気がした。
「蒼真はちゃんと結婚して家を出て、子どももいるのに! お嫁さんの百花さんなんて、一緒におせち作ってくれているのよ! それに比べてあんたは、いつまでもマンガマンガで手伝いもせず、フラフラ出かけて!」
「ご、ごめ……。でも……」
「お正月明けたら、あんたにはこの家を出てってもらうからね! 独り立ちしなさい!」
「えっ? でも、家借りるお金、ない……」
「貯金はどうしたの!? お給料、全部マンガにつぎ込んだなんて言わないわよね?」
「……。小説とか、グッズとか、イベントも……」
「もうっ、いやっ!」
母は両手で顔を覆うと、さめざめと泣きだしてしまった。
「あんた、私たちが死んだらどうするつもり? 結婚も出産もしないままじゃ、いずれ待ってるのは孤独死じゃない。あんた、どうやって生きていくつもり? 蒼真にも迷惑かかるのよ?」
「……」
母がトーンを落とすに従い、私の中に怒りがふつふつと湧き上がってきた。
「捨てること、ないじゃない……」。
「何?」
「だからって! 本捨てることないでしょ!? 酷い!」
「朱音! あんたまだそんなことを!」
声を発したのをきっかけに、私の目から涙がぼろぼろとこぼれ落ちた。
「結婚なんてしたくないよ! なんでそのことを責められなきゃいけないの? 押し付けないでよ!」
「私はあんたのためを思って言ってるのよ?」
「何が私のためよ! 人の宝物根こそぎ捨てるとか、もう心の殺人じゃん!」
私は母を押しのけ、階段に向かう。
「わかった、この家に私の居場所はないんでしょ! もういい! 消えてやる!」
普段出さない大声を出したのがいけなかったのか。
本を連日徹夜で作り、イベント中は興奮でまともに寝てなかったせいだろうか。
大切なものを丸ごと捨てられたショックのためだろうか。
突然目の前がちかちかと白く染まり、重力が狂ったように体が揺れた。
「朱音!」
(あ……)
足の下の感覚が消え、私の体は空中に投げ出される。
そして次の瞬間、したたかに叩き付けられた。幾度も、幾度も、幾度も。
(あ、が……)
「朱音!」
全身を襲う激痛、そして私の名を呼ぶ声。それらはやがて急速に遠のいてゆく。
悲鳴に似た誰かの声を聞いたのを最後に、私は意識を手放した。