足を激しくバタつかせ、でたらめに両手を振り回す。その右手がちょうど憂炎の胸元を引っ掻いて、袍の襟を乱した。指先が何か固いものに触れた。
 ——シャラン、と。
 金属の擦れる音がする。憂炎の首元から垂れ落ちてきたものに、詩夏は目を丸くした。
「……は……?」
 詩夏の視線の先で揺れているのは、琥珀の嵌められた指輪。その輝きには見覚えがあった。
「私の……最後にあげた……」
 処刑前、最後に会った憂炎に贈った、一粒の琥珀だった。
 それは燈籠の光を浴び、銀の石座の上で黄金色にきらめいている。
 どうやら指輪に仕立て直して、肌身離さず持っていたらしい。なんでそんなものを、というか換金しろと言っただろう、と見上げると、憂炎は素早く指輪を握り締めて顔を逸らした。
「……えっと? ずっと持っていたの?」
「なんのことだか」
「え? どうしてそこは誤魔化すの?」
「…………」
「な、なぜ無視を?」
 袍の肘の辺りをくいくいと引くと、憂炎は大事そうに指輪をしまい、ボソッと言った。
「……勝手に指輪にして、気を悪くするかと思って……」
「しないわよ……?」
 なんだか脱力してしまって、詩夏は敷布に体を投げ出した。憂炎も詩夏から離れて、牀榻に腰掛ける。先ほどまでの不穏な熱に浮かされた空気は霧散していた。
 憂炎の唇がかすかに動いた。
「……悪かった。無体を強いて、怯えさせた」
「嗜虐趣味はないんじゃなかったの」
「それは時と場合による」
「そこはしっかり否定して⁉︎ えぇ……育て方を間違えたのかしら」
「それは関係がない。詩夏姐と過ごせたのは一年くらいだ。育てられたつもりは無い」
「そんなに短かった?」
「ああ。急に詩夏姐がいなくなって、訳が分からなかった。成長してその理由を知って——俺は皇帝になると決めたんだ」
 憂炎が袍の胸元に手を当てる。
「詩夏姐のような死を、この国の誰にも迎えさせない。そのためなら珠蘭の目論見だって乗ってやった。だが、時が経つにつれて、俺も珠蘭のようになってしまう可能性はある。だから……最初の決意を忘れないために、この指輪を作った」
 袍の下の指輪を撫でているらしいその横顔に、最後に別れたときの、あの子の面影が重なる。
 詩夏は知らず、憂炎の方に手を伸ばしていた。
(ああ、なんだ。こんな簡単なことだったのね)
「……ふ」
「……どうした?」
「いえ、私もつまらないことで悩んでいたと思って」
 詩夏の伸ばした手に、躊躇いがちに憂炎の手が重なる。温かい手のひらだった。詩夏はそれを支えに、えいっと起き上がった。
 驚いたような憂炎の顔を窺って、詩夏は言う。
「草の根分けても連理の姫を探し出すわ。そうしないと私は消えて——憂炎を一人にしてしまうから」
 憂炎の瞳が見開かれる。小さく首を傾けて、詩夏ははにかんだ。
「他に、私にできることはある?」
「……ある」
 憂炎が掠れた声で言う。もう片方の手で詩夏の頬を包んで、こつんと額を合わせた。
 祈るように目を伏せて、
「この先、何が起きても俺を信じてくれ」
「ええ、もちろん」
 詩夏は迷いなく首肯する。間近で憂炎がふっと口元を緩めるのがわかった。長い指で詩夏の唇をなぞり、奥底に熱を湛えた瞳でこちらを見つめてくる。絡み合う視線に、詩夏の鼓動が大きく跳ねた。
「本当にあなたという人は、どこまでも度し難い。……口付けていいか」
「……う」
 頷きそうになって、胸の裏側から意地悪な気持ちが湧いてくる。さっきはちょっと怖かったのだ。すんなり応じるのも面白くない。
 スッと目を細め、うっすら笑んでみせた。
「悪霊を現世に留めておくのに、口付けは必要なの?」
「……そうくるか」
 憂炎が決まり悪げに言う。そろそろと離れ、詩夏の顔を見やった。