万姫の比翼の印は、右手の甲、珠蘭と同じ場所にできたらしい。
詩夏は遠目にしか見ていないが、確かに珠蘭と似たような赤い痣が浮き出ていた。
(ということは、香麗の願いが叶ったとして、私は現世に留まれるのかしら)
詩夏に変わりはないから、いまいち確信が得られない。
一方、後宮や外朝はひどく慌ただしくなっていた。
なにせ待望の連理の姫だ。早く万姫を皇后に迎えよと、憂炎はだいぶ急かされているらしい。
万姫が連理の姫なら、そうした方がいいと詩夏も思う。個人的には不安を覚えるが、連理の姫がこの国に豊穣を齎すならそれでいい。
(だから、私は——)
ちくちく痛む心臓を抑えながら、詩夏は翠明宮の自室で荷造りをしていた。
夜のことである。釣り燈籠の明かりの下で見ると、詩夏自身の荷物はびっくりするくらい少ない。口元に自嘲の笑みが滲んだ。現世に間借りしているだけの悪霊にはお似合いだ。
明日の朝には、詩夏は翠明宮から追い出される。連理の姫が見つかったので、後宮解散の命令が珠蘭から下されたのだ。
(せっかく繋いだ命だもの。この国を見て回ろう。私は何も知らなさ過ぎたわ……)
そのとき、翠明宮の入口の方が騒がしくなった。二つの足音が入り混じり、鈴々の「お待ちください!」という大声が聞こえてくる。
「鈴々、大丈夫⁉︎」
取るものもとりあえず駆け付ける。そして廊下に現れた人影に、詩夏は立ち尽くした。
「……憂炎様」
廊下の暗がりに立っていた憂炎は、大股に歩いてくると詩夏の室の中に顔を向けた。
「何をしている?」
「荷造り。後宮は解散すると国母から令旨が」
「知っている。だから来た。今夜を逃せば二度と詩夏姐に会えないと思って」
どういうことか、と眉をひそめると、憂炎は鈴々に何事か囁く。鈴々は真っ青になりながらも、迷いなく頷いて踵を返した。
「一体何を……」
憂炎は黙ったまま扉を閉めると、まっすぐに詩夏を注視する。射抜くような視線が詩夏の頭の先から爪先まで素早く行き来し、
「丁香麗の願いは叶ったのか。詩夏姐に変化は?」
それか、とこわばった体から力を抜く。詩夏は肩をすくめ、首を横に振った。
「正直に言えば分からないわ。でも私は消えずにここにいる。きっと瑛貴妃が連理の姫だったのでしょう。おめでとう」
「正気か?」
憂炎が訝しげに片眉を上げる。不機嫌そうに腕を組んだ。執務の後に着替えてきたのか、冕服ではなく長袍姿だった。
詩夏は慎重に言葉を選ぶ。
「もちろん……連理の姫はこの国に豊穣を齎す。なら、迷う暇は無い」
「俺には瑛万姫が本物の連理の姫とは思えない。いくらなんでも珠蘭に都合が良過ぎるだろう」
ぐ、と詩夏は押し黙った。その通りだ。詩夏だって、自分が消えていないという事実から類推しているに過ぎない。
詩夏は遠目にしか見ていないが、確かに珠蘭と似たような赤い痣が浮き出ていた。
(ということは、香麗の願いが叶ったとして、私は現世に留まれるのかしら)
詩夏に変わりはないから、いまいち確信が得られない。
一方、後宮や外朝はひどく慌ただしくなっていた。
なにせ待望の連理の姫だ。早く万姫を皇后に迎えよと、憂炎はだいぶ急かされているらしい。
万姫が連理の姫なら、そうした方がいいと詩夏も思う。個人的には不安を覚えるが、連理の姫がこの国に豊穣を齎すならそれでいい。
(だから、私は——)
ちくちく痛む心臓を抑えながら、詩夏は翠明宮の自室で荷造りをしていた。
夜のことである。釣り燈籠の明かりの下で見ると、詩夏自身の荷物はびっくりするくらい少ない。口元に自嘲の笑みが滲んだ。現世に間借りしているだけの悪霊にはお似合いだ。
明日の朝には、詩夏は翠明宮から追い出される。連理の姫が見つかったので、後宮解散の命令が珠蘭から下されたのだ。
(せっかく繋いだ命だもの。この国を見て回ろう。私は何も知らなさ過ぎたわ……)
そのとき、翠明宮の入口の方が騒がしくなった。二つの足音が入り混じり、鈴々の「お待ちください!」という大声が聞こえてくる。
「鈴々、大丈夫⁉︎」
取るものもとりあえず駆け付ける。そして廊下に現れた人影に、詩夏は立ち尽くした。
「……憂炎様」
廊下の暗がりに立っていた憂炎は、大股に歩いてくると詩夏の室の中に顔を向けた。
「何をしている?」
「荷造り。後宮は解散すると国母から令旨が」
「知っている。だから来た。今夜を逃せば二度と詩夏姐に会えないと思って」
どういうことか、と眉をひそめると、憂炎は鈴々に何事か囁く。鈴々は真っ青になりながらも、迷いなく頷いて踵を返した。
「一体何を……」
憂炎は黙ったまま扉を閉めると、まっすぐに詩夏を注視する。射抜くような視線が詩夏の頭の先から爪先まで素早く行き来し、
「丁香麗の願いは叶ったのか。詩夏姐に変化は?」
それか、とこわばった体から力を抜く。詩夏は肩をすくめ、首を横に振った。
「正直に言えば分からないわ。でも私は消えずにここにいる。きっと瑛貴妃が連理の姫だったのでしょう。おめでとう」
「正気か?」
憂炎が訝しげに片眉を上げる。不機嫌そうに腕を組んだ。執務の後に着替えてきたのか、冕服ではなく長袍姿だった。
詩夏は慎重に言葉を選ぶ。
「もちろん……連理の姫はこの国に豊穣を齎す。なら、迷う暇は無い」
「俺には瑛万姫が本物の連理の姫とは思えない。いくらなんでも珠蘭に都合が良過ぎるだろう」
ぐ、と詩夏は押し黙った。その通りだ。詩夏だって、自分が消えていないという事実から類推しているに過ぎない。