そこには、優しく微笑んでいる、颯霞さんがいた。突然の出来事に、頭が追いつかなくて目を見開く他ない。

 洋装をした颯霞さんは車に寄りかかって私を待っていたみたいで、その目が優しく細められた。今日も今日とて、とてもお美しい姿に思わず目が眩む。


「あ、あの…颯霞さん。どうして、…」

「七海さんをお迎えに参りました。さすがに好きな女性を歩いて越させる男など、底辺でもありえません」

「あ、ええと……」


 颯霞さんの整った綺麗な顔を見ていると、3日前の夜のことが思い出されてしまう。

 血走った目と獣のように激しかったあの日の颯霞さん。愛おしそうに私を触る、あの手付き。

 思わず、顔が真っ赤に染まった。


「七海さん…?大丈夫ですか、顔が真っ赤です」


 こういうところで鈍感な颯霞さんに、少し不満を抱いてしまう。国内最高の隊を担う人なのだから、頭の回転は常人よりも遥かに速いはずだろうし、その鈍感さが嘘ではないから、憎めない。


「な、なんでもありません!」


 やや不満を含んだ声を発した私に、颯霞さんは目をまん丸くして笑った。


「ふふっ、七海さん、駄々をこねる子供のようです」

「か、からかわないでください!」


 こっちは心臓が持ちそうにないんです!という意味を込めた瞳を颯霞さんに向ける。彼は未だに楽しそうに笑い続けている。


「颯霞さん。この荷物を車に入れてもらってもいいですか。私を笑った罰です」


 怒気を含んだ声でそう告げると、颯霞さんは締まらない緩んだ頬のまま、嬉しそうに頷いた。こんなにも感情を揺さぶられてしまうなんて、らしくない。

 颯霞さんは、いつも私が想像していることの斜め上のことをしてくる。急に真剣な顔をして、抱かせてください、だなんて言ったときはさすがに驚いてしまって声さえ出なかったものだ。


「七海さん。これで荷物は全部ですか?俺が思っていたよりも少ないですね…」

「あ、いえ。本当はまだ中にもあります。しかし、それらは琴や花瓶やお裁縫道具などと重いものなので、…迷惑かなと思いまして、……」


 お稽古の道具を持っていきたかったのは山々だが、颯霞さんに迷惑はかけられない。そう思って、半ば諦めていたのだが…。

「迷惑だなんて、そんな言葉、もう二度と言わないでください」


 途端に怖い顔をして、颯霞さんの背後に黒い霧が押し寄せたと、思った。怖気づいて少し下がろうとした私の腰を、颯霞さんが素早く抱き寄せる。そして次の瞬間には、唇を塞がれてしまっていた。


「んっ、……!?」


 一度や二度の口付けじゃない。これはもう深すぎるほどの口付けだ。颯霞さんの舌が私の舌と絡みついて離さない。私の唾液を全てを飲み飲むかのように、ごくんと大きくて立派な喉仏が上下に揺れた。

 息が出来ないほどの口付けをされて、さすがに限界だった。しかし、私が唇を離そうと身をもがくと、颯霞さんが私を抱きしめる力を強くする。


「七海、さん。もっと俺に、頼って。俺を独占して。束縛してよ。他の女とかなんか目も合わせちゃだめだっていうくらい、俺に七海の嫉妬をくれ」

「へ、……?」


 甘くて深すぎる口づけの合間に、颯霞さんらしくない口調で、声音で、そう言われる。しかも今、七海って私のことを呼び捨てした。

 本当の颯霞さんはどっちなの?

 獣のように飢えた瞳で私を見つめないでよ。そんなに寂しそうな顔して、私に口付けしないでよ。


「七海。好き。大好き…。こんな気持ち、初めてなんだ。だから、……俺から離れていかないで、俺をずっと好きでいて」


 私のちょっとした言動が、颯霞さんをこんなにも不安にしてしまうなんて……。

 恋人として、婚約者として、失敗じゃない……!

 颯霞さんは、きっと普通の人たちのように愛情を受けて育ってこられなかったのだろう。

 国一番の隊長という肩書に加え、そんな国民からの重圧を背負い、どれだけ肩身の狭い毎日を過ごしてきたのだろう。そう考えてしまうと、とても胸が痛む。