颯霞さんは、やっぱり可愛い。こんなにもかっこよくて、綺麗なのに、それだけではなくて、可愛ささえもを兼ね備えてしまっているなんて、少しずるい。

 そんな風にキラキラとした、小さな子供のような瞳で期待されてしまうと、断ることなんて、出来なくなってしまう。

 颯霞さんはどこまで私を困らせたら、気が済むのだろう。もちろん、彼が私を困らせようとしているなんて、毛頭ないと思ってはいるが。


「は、い……」


 恥ずかしすぎて、死んでしまいたいと思うほど私にとって自分の本音を伝えるということは難し過ぎた。いや、慣れていなかった。


「七海さんっ……!」

「わっ、…そ、颯霞さん……?どうしたのです……んんっ」


 突然、颯霞さんから唇を塞がれた。そしてそれは、一度や二度の口づけではなくて、お互いの唇は離れることなくどんどん深くなっていく。

 お互いの体は密着していて、裸のせいかいつもよりも体温を近くに感じる。


「七海さん、……好きです、大好き……」

「んぁっ、…。んっ」


 颯霞さんはそう言いながら、私の首元に噛み付いた。昨日の一晩だけで、私の体にはもう“颯霞さんのもの”という意味を表すキスマークで埋め尽くされていた。

 颯霞さんは、支配欲求がとても強いということが、あの一晩だけで身に染みて分かってしまった。


「だ、だめ…です……っ!今、は」

「じゃあ、今じゃなければいいんですね?」


 昨日同じ、獣のような瞳に捕らわれて、ダメと言ってはいけない雰囲気が漂う。それはまるで危険信号のように、私の脳内に刻まれた。


「は、い……」


 ◇◇◇

 
 今日は、颯霞さんの屋敷に住み始める日。颯霞さんとの初夜から3日程の日が経って、私は只今、仮嫁入りの荷造りをしているところだ。

 仮、というのはまだ私と颯霞さんの正式な結婚が行われていないからだ。

 森の奥にひっそりとして建っている、書院造の屋敷に私は一人で住んでいる。

 国内最高の令嬢とされている私は幼少期から、琴、笛、生花、舞、文学と色々なことを両親から教え込まれた。と言っても、その両親は本当の親などではないのだが……。

 あの二人夫婦は私が本堂の娘だと、思い込んでいる。その経緯(いきさつ)はまだ話すことは出来ないが、この機密情報がもし外部に漏れてしまうという愚行が見られた場合、私は殺される。

 そして、私の周りにいる仲間も、殺されてしまう。そして、颯霞さんも私のことなど虫けらのように扱うかもしれない。

 颯霞さんは私を包み込むように抱きしめて眠っていた。私、今まで、颯霞さんの腕の中で眠ってしまっていたの……!?

 またもや私を襲った羞恥心のせいで、中々颯霞さんの顔を見ることが出来ない。

 なぜなら彼は、今、すごく愛おしそうに私を見つめてくるんだもの……。

 初めて颯霞さんとお会いした、あの時のお見合いの日。私を見る颯霞さんの眼差しの冷たさと、今とでは全く違いすぎていて、頭が混乱してしまう。

 私が、颯霞さんを傷つけてしまう日が来るかもしれない。色々な不安を抱えたまま、私は今日、この日まで生きてきた。

 大切な人がいる。愛おしいと思う人が出来た。守りたいと思うけれど、純粋な気持ちでそれを実行することが、出来ない。私は、悪い人間だ。

 この世で一番、皮肉で、みっともなくて、恥しかない、悪者、……。

 誰かに優しさを、本当の優しさを、与えられたことなど一度もなかった。温かい目で、私を見つめてくれた人など、この17年間、一人もいなかった。

 でも、颯霞さんだけは、颯霞さんだけは、そうではないと思いたい。信じてみたい。それだけで、こんなにも心が、満たされるのだから……。

 私は自分の荷造りを終えて、外衣に着替える。淡い水色や濃い青色などが使われているアヤメの花が、繊細に描かれた着物。自分には、水色が一番合うのだ。

 ………今日はなんだか、寂しくなってしまうほどに辺りが静かだ。風の音も、鳥のさえずる声でさえも、聴くことはできない。半分、気持ちが下へ傾きかけていた、その時。


「七海さん。お待ちしていました」