◇◇◇


「は、い…。あの私、初めて、なので……」


 颯霞さんの顔が嬉しそうにくしゃりとなる。私がまだ初めてだと知り、喜んでくれているのだろうか。

 颯霞さんの屋敷の寝室にて。恐らく今、私は人生で最大の羞恥を味わっている。


「もちろん、優しくするつもりです。もし止められなかったら、本当にすみません」


 こんなにも恥ずかしい言葉が、自然と口から出てきてしまう颯霞さんが半ば信じられない。細身だと思っていた颯霞さんの体は、私が思っていたよりも大きくて、程よい筋肉が付いている。色が他の人よりも断然白いのは、譲ることが出来ないが。


「七海さん、…大丈夫ですか」


 颯霞さんも、早く欲求を抑える苦しみから解き放たれたいだろうに、こんな時までも、私の気持ちを最優先してくれる。この人は、なんて良い人なのかしら。


「は、い。私も、颯霞さんの全部、欲しい、です…」


 そう頬を赤らめて呟くと、颯霞さんの柔らかそうな唇が私の唇を塞ぐようにして優しく重なる。


「…っん、」


 颯霞さんの舌が口の中に入ってきて、口の中も犯されている気分だ。

 でも、それも何だか心地よくて、人の体温の温かさに激しく安心する。颯霞さんといる時、颯霞さんと一つになっている時、私の胸はどうして、こんなにも温かくなるのだろう…。

 私の初めてを捧げてもいいと思えた相手は颯霞さんが初めてだ。……なんて、颯霞さんには絶対に言わないけれど。私がそんなことを言った暁には、天にまで昇ってしまいそうなほどに喜んでしまうと思うから。

 なんて傲慢で自意識過剰な考えなのだろう。そんな風に心の中で思うが、そんなことを忘れさせられるくらいの甘い痛みが私の体全体を蝕んでいく。

 蝶の毒に侵されたようにして、私の脳内は彼と今繋がっていることだけしか考えられない。

 私は颯霞さんの首に腕を絡ませて、抱きついた。


「七海、さん……?」

「颯霞さ、…あっ……キス、したい。キス、してください」


 私がそう言うと、颯霞さんが激しく驚いたのが伝わってきた。


「七海さん、…っそれって、俺のこと…好きになってくれたってことですか……?」


 私はその質問には答えたくなくて、颯霞さんの唇に自分の唇を重ね合わせた。颯霞さんの灰色の瞳が、目が、大きく見開く。でも、それは一瞬の出来事で、次の瞬間には、貪り合うような、激しいキスが始まった。


「んっ…ぁ、……んん」

「ななみ、さん……っ。愛しています、本当に心の底から、貴女だけを、」


 颯霞さんは何度も何度も私に深いキスの雨を降らす。その声音は少し切なげで、颯霞さんの心の籠もった告白を今だけは素直に受け取りたいと思ったのだ。


「颯霞、さん……っ」


 ───そんな甘くて苦い初夜を、私達は過ごした。


 ◇◇◇


 眩しい太陽の光が、カーテンの隙間からこちらを照らしている。私はその眩しい光で目を覚ました。起きた時、自分が真っ裸になっていて驚いたが、昨夜の颯霞さんとの情事を思い出して、顔が火照ってしまった。


「ん、……七海さん。おはようございます」

「え、えと……はい。おはようございます」

「七海さん。なんであの時、キスしてくれたんですか」


 颯霞さんの綺麗な顔が、私に近づいてくる。それにあたふたしていまう私を楽しんでいるかのように、颯霞さんの表情は意地悪だ。


「ねぇ、七海さん。どうしてですか」


 お互いの唇の距離が、もう僅か1cmほどになった時、私は観念して、今の自分の想いをさらけ出してしまった。


「私は、颯霞さんのことを、とても良い人だと思っています。私に無償の優しさを与えてくれて、それにとてもかっこいいです……。私は、颯霞さんと、なら……結婚しても良いと思ったんです」


 たどたどしくなってしまったけれど、これは全て、嘘偽りのない私の本音だ。颯霞さんにこんなことを伝える予定など一切なかった。

 一切なかったのに、純粋に期待してくれていて、私を信じてくれる颯霞さんに本音で向き合わないということは、出来なかった。


「それってやっぱり、……俺と同じ気持ち、ということでいいんですかっ?」