それから私は颯霞さんに"じゃんけん"というものを教えた。

 じゃんけんの種類はグー、チョキ、パー。

 グーはチョキには強いけれどパーには弱い。

 チョキはパーに強くて、グーには弱い。パーはグーには強いがチョキに弱い。

 じゃんけんというものを知らない人と出会うのは初めてで、少し新鮮な感じがした。

 でも、それもそうだと思い至る。颯霞さんは国内最高の隊を担う人で、家柄は由緒正しい氷織家。

 任務遂行のため、氷織颯霞を調べるついでに氷織家のことも調べてみた時のことだが、氷織家の者は外界との接触を強く拒んでいるということだった。

 その理由までは調べようとはしなかったけれど、知ってみるのも悪くないかもしれない。


「それでは、ゲームの説明も一通りすませたことですので、始めましょうか」

「七海さん。ここで少し提案があるのですが、ただあっち向いてホイをするだけでは何だか物足りないと思ったので…先手5点を取った方のお願いを聞く、というのはどうですか?」

「はい。とても良いと思います」


 私が快く了承すると、颯霞さんはとても嬉しそうに微笑んだ。初めは少し冷たい印象を受けた颯霞さんの瞳は、今はとても柔らかく私を見つめている。少しずつ颯霞さんの気持ちが私へ向いてきているのを実感する。

 私もそれに応えたい、だなんておこがましい願いなのだろうか。颯霞さんとなら、結婚しても良いというほどに、私はもう、こんなにも颯霞さんに特別な情を抱いてしまっている。

 でも、その感情の名を口にすることは許されない。これは、決して許されることのない、儚い恋なのだから……。


「最初はグー、じゃんけん…ポン!」

「やった!七海さんに勝った!」

「じゃあいきますよ~!あっち向いて…ホイ!」

「うわぁ、……ハズレた」

「次は私の番です…!」


 そうやって私たちは隣町へ着くまでの間、ちょっとしたゲームをして遊んだ。彼の意外な子供らしい一面を見ることが出来て、とても心が満たされた。

 勝敗は颯霞さんの手に渡った。正確には、颯霞さんが勝つように仕向けた、という方が正しいのだろうか。

 颯霞さんは私が思っていたよりもとても良い人で、ただの時間つぶしのゲームにも快く、楽しそうに付き合ってくれた。


「七海さん。お願い事を、します」

「はい」



 少し緊張した。颯霞さんの真剣な瞳に映る私の顔は緊張で固まってしまっている。颯霞さんも少し緊張しているのか、ごくんと唾を飲み、喉仏が大きく動いた。


「子規堂七海さん。これからも、ずっと、……俺の隣に居てください」


 彼は愛おしいものを見つめるような瞳で、私を見つめていた。ずっと、一緒に…か。

 それは、私が応えることの出来る願いなのだろうか。


「そうなれると、いい……ですね」


 颯霞さんの瞳を見て話すことが出来なかった。それは、私にやましいことがあるから?

 それは、きっと違う。

 ……もしも今、颯霞さんの瞳を見つめてしまったら、その瞳に全てを見透かされてしまいそうになるから。それは、何だか怖かった。

 曖昧に答えた私に颯霞さんの表情に不安が滲んでいく。

 なぜ、この人はこんなにも真っ直ぐに生きられるのだろう。

 嘘偽りのない本当の自分をさらけ出しても、彼はきっと、沢山の人に好かれる。

 でも、自分は、そんな彼の隣を歩けるほど良い人間ではない。


「あ、颯霞さん。着いたみたいです」


 颯霞さんの私を見つめる真っ直ぐな瞳から逃れるように、私は車から外に出た。隣町は私の住んでいる都会よりもずっと離れたところにあった。

 颯霞さんは車を降りてから暫くの間、複雑そうな顔をしていたが、私はそれを見ていないふりをした。


「七海さん。これから軍の屯所(とんしょ)に向かいます」

「はい」

「あの、……ここまで来させてしまったのですが、迷惑ではなかったですか?」

 颯霞さんは自信なさげに目を伏せる。いつも凛としていて少し冷たくも感じていた瞳に今は不安の色が滲む。私はそんな様子の颯霞さんを見て、一瞬だけれど目を見開いた。


「いいえ。迷惑などそんなことはありえません」


 そう言って、自然と出てきた微笑み。我ながら、だめだなと思った。颯霞さんとの間に私情など一切抱いてはいけないのに、感情というものはそう簡単に制御できるものではないと、今、初めて知った。

 もう、どうしたら間違いで、どうしたら正解なのかが分からない。真っ暗で何もない道を、一人で彷徨っているみたいだ。

 そして、誰が、こんな展開を予想できていただろうか。屯所に向かう途中、颯霞さんは突然振り返って、私の方に目を向けた。その瞳は、真摯すぎて、何だか少し怖かった。気づかぬうちに背筋が伸びる。


「七海さん。…俺に、七海さんを抱かせてくれませんか」


 空耳、だったら良かったのに。そうだったのなら、私はまだ、大丈夫だったのに。颯霞さんと隣町へ行った後、そこからどうやって自分たちの住む都会に帰ってきたのか、全く覚えていない。颯霞さんも終始真顔で、何を考えているのか分からなかった。