「七海さんっ!俺の話を聞いてください……っ!」
颯霞さんの低くて怒ったような声が思ったよりも近くで響く。私ははっとして、颯霞さんの瞳を見つめた。
「貴女は、何をそんなに怖がっているのですか。貴女はもう、俺の恋人なんです。俺は、剣術を叩き込まれた七海さんに、決して女性のように傷一つない手ではない七海さんに、惹かれたのです」
その瞳は本気だった。私は、一体何てことを思ってしまったのだろう。颯霞さんのことを優しい人だと思った。
そんな考えを押し捨てて、この人が私を悪く言い放つ未来を想像した。なんて愚かな行いなのだろう。
「で、でも、私の体は決して女性のように小柄ではありません。この手も、綺麗には程遠いほどなのです。私なんかが、颯霞さんに受け入れてもらえるわけが、……」
「七海さんは、初めてお会いした時からとても可憐で美しい女性だと思っています。それに、その傷ついてしまった手も、私にとってはとても大切なものです。それは、七海さんの努力の証だと思うからです。俺は、そんなかっこいい七海のことを尊敬しています」
颯霞さんの温かい手が、私の手を優しく包み込んでいた。胸から溢れ出してしまうほどにいっぱいになってしまった嬉しくて、温かい気持ちを今すぐ誰かに伝えたい。
「信じても、よろしいのでしょうか……?」
「はい!俺は、嘘を一番嫌う人間だということを噂で聞いていないのですか?七海さんが誰に何と言われていようと、俺はそんなことを当てにしたりなんかしません。俺は、自分の見たものを信じようと、決めたのです」
「はいっ、……」
◇◇◇
彼女は一体、どんな秘密を抱えているのか。子規堂七海という女性が、一体どんな人なのか。
初めて会ったあの日から、あの人のことを考えてしまう自分がいた。
可憐でとても美しく華やかさを纏った彼女を初めて見た瞬間、正直とても驚いた。
淡紫色の着物の下に何重もの衣を纏い、菖蒲の花が優雅にも美しく描かれている。
金色の糸を刺繍針で丁寧に丁寧に縫っていったような、そんな鮮やかな模様の刺繍もその女性にはぴったりで思わず張り詰めていた気が少しだけ、緩んでしまった。
そして同時に、嫌悪感をも抱いていた。今まで俺の周りにいた女性たちは皆、ケバケバしく、いつも鼻にくる香水の匂いが漂っていた。
そのせいで、女性に対して嫌な印象を抱いてしまっていたのだ。
……だから彼女も、それらと同じだと、信じて疑わなかった。
「お初にお目にかかります。子規堂七海と申します」
一つ一つの所作がとても綺麗で美しい。彼女がゆっくりと顔を上げて、お互いに目が合った時。
彼女の艷やかな黒髪が宙を舞い、ふと見えた寂しそうな微笑み。
彼女は、今まで生きてきた中で出会った人たちとは、何かが違うと直感した。それが何かはまだ分からない。
けれど、計り知れないほどの、大きくて重い、責任を背負っているように見えたのは、気のせいだったのだろうか。
◇◇◇
いつの間にか、肌寒く感じる季節は予期する暇も与えないほどに早くやって来た。車の中は温かいと言えど、今日の外気温は十五度ほど。
「七海さん。体調は大丈夫ですか?寒くはないですか?もし体調が悪ければ気になさらずに言って…」
「あ、あの……本当に大丈夫ですから」
颯霞さんは先程からこの様子。1分経つごとに同じ質問をされている気がする。颯霞さんは重度の心配性だということが判明してしまった。
それにとても過保護だ。これでは外の景色を楽しむことさえ出来ない。別に迷惑というわけではないが、何か策を考えなければ。
「颯霞さん。これからゲームというものをしませんか」
我ながら、突拍子もない提案だと心の中で苦笑する。でも、颯霞さんは少し興味を持ってくれたようだ。
「ゲーム、というと?」
「あっち向いてホイっていうゲームです!」
「七海さん。俺、ゲームというものを今までしたことがないのですが、…」
「ふふ、そうでしたか。でも、大丈夫ですよ。何せこれは私が生み出した遊びですからね」