ああ、まるで私は───囚われた鉄槌のようで、便利な剣のようではないか。
絶望で覆い尽くされるのは、まだこの時ではないというのに。私の心は、こんなにも脆くて弱かったのだろうか。
頭を抱え、随分と長い時間が経っていたその時、───
「七海、さん……?」
とても驚いたような声が私の鼓膜に響いた。私はその声を聞いた瞬間、はっとして慌てて立ち上がる。
「あ、あら……颯霞さん。こんにちは」
「七海さん。こんな所でどうしたのですか?凄く辛そうだったんだけど……」
その瞳は私を心配そうに見つめていた。
頭を抱えてうずくまっていたところを見られてしまったというのか?
私は、何という失態をしてしまったのだろう。どうやって取繕えばいいのか。さすがの私も、すぐには思いつけなくて愛想笑いを浮かべるしかない。
「今日はとても暑いではありませんか?それで少々暑さにやられてしまっただけなのです」
「本当に?今日はもう十一月です。暑さにやられるわけがありません」
「それよりも、颯霞さんこそなぜこんな所におられるのですか?」
「俺は今日隣町に行く予定なのです。車はあちらの方で待機させています」
確かに、彼はいつも着ていた和服ではなくて、洋装をしている。長身で細身の彼にその漆黒色のスーツはとても似合っていて女性顔負けの美しさだった。
おそらく、隣町へと行く際に私を見かけたのだろう。
「良ければ七海さんもご一緒にどうですか?」
彼は優しい微笑みを浮かべてそう言った。正直とても驚いた。先程のことで私への訝しさが増したと思っていたのに。
「……っ、はい!是非行きたいです」
「後、色々と七海さんのことに踏み込みすぎてしまい不快な思いをさせてしまいました。ただ、俺は心配だったんです」
「いえ、そんなことは全くございません。ただ、少し心が乱れてしまって……。偶にですが、あるのです。今回のようなことが」
「そうなのですか……」
彼は再び心配そうに眉を下げ、こちらに向けて手を伸ばしてきた。彼の行動の意味が分からなかった。
「躓いてしまっては七海さんが怪我をしてしまいますので。お手をどうぞ」
その意味が分かった途端、私の頬はぽっと火が付くようにして赤くなった。
私の手など、とても女性のものと言えるものではない。彼はそれに気づいてしまうかもしれない。
でも、ここで身を引いてしまうのは何だか嫌だった。彼に触れたいと、思ってしまった。
「ありがとう、ございます」
恐る恐る手を伸ばし、ゆっくりと彼の手に重ねた。男の人の手というのは私が想像していた以上に大きくて、安心する。
彼の手が私の手を優しく包み込む。今、私は真っ赤になってしまっているかもしれない。
こんな小さなことで動じることなどなかった私が初めて、気恥ずかしさを覚えている。
「七海さんの手はとても綺麗な手をしていますね。剣術をしていたりしますか?」
彼は私の手を、綺麗な手だと言った。でも、それよりも、彼にはすぐに、この手に触れただけで剣術を叩き込まされた手だと分かってしまった。
恥ずかしさとやるせなさのあまり胸が詰まり、思わず手を離そうとする。
けれど、どう力を入れても私の手は彼の手から逃れることが出来ない。私は思わず颯霞さんのこと睨んでしまった。
「七海さん」
「あ、あのっ!離して、…」
「もしかして君がさっき蹲って泣いてたのはそれのせいですか?あの、だったら……」
「離してください……!」
自分にとって最大のコンプレックス。それを、颯霞さんに触れられてしまって、冷静でいられるわけがない。だって颯霞さんは、今までの人たちとは全く違ったからだ。
先程も、私のことを悪く言うことはなかった。心の底から心配してくれて、事情を聞き出そうとした。それに全く嫌悪を感じなかったのは、それは颯霞さんの優しさだと分かっていたから。
でも、優しさ以外の言葉なんて聞きたくない。
───また、傷付きたくない。