「颯霞、さん……私、」

「こんなところ、見せるつもりはなかったのに……」


 颯霞さんの頬に手を添えた私を後悔の色で見つめる、その不安げに揺れる瞳。颯霞さんは私の手に自分の手を重ね、頬を擦り寄せた。


「颯霞さん、大丈夫ですか……?」


 少しだけ取り乱して息苦しそうな颯霞さんの肩を私は強く上下に擦った。颯霞さんのこの変貌は、もしかしたらだけど、本人の意思とは何か違うのかもしれない。


「自分でも、おかしいと思っているんです。だけど、この胸に疼く衝動を、どうしても抑えきれない……っ。俺は小さい頃から、どこかおかしいと言われ続けていました」


 苦しそうに眉をしかめる颯霞さんの顔が、切なそうに歪む。私を見つめるその瞳が、すがるようにして私を見ていた。


「七海、さん……。この衝動を、どうしたら止められると思いますか」


 先程の獣のような瞳とは違う、どこか朧げで切なそうな顔をした颯霞さんが、切実に私に問いかけた。


「颯霞さん、───私のことを、抱いてください」


 颯霞さんが息も絶え絶えになるほどの苦しい嫉妬を落ち着けるためには、それが一番の手かと思った。

 颯霞さんの暴走を止められるのは、この世界にたった一人。私しかいないと、不覚にも思ってしまった。

 それが、もし私の行き過ぎた勘違いだとしたら、顔から火が出てしまうほど恥ずかしくて、その考えが私を死ぬほど辱めてしまうのだけど……。

 颯霞さんは、そんなことを言った私をとても苦しげな表情で見据えて、心を見透かされるほどに強くて熱い瞳で、射抜いた。


「俺は、今すごく貴女を抱きたいです。激しく犯して、七海さんがヘトヘトになるまで泣かせて、俺のことが好きだと言わせたいです。───だけど、七海さんがそれを望んでいない」


 そう言う颯霞さんの瞳には、嘘がなかった。自分の今の肉欲を嘘偽りなく私に吐露し、それでも私を最優先して、大事にしようとしてくれる。

 本当に、今颯霞さんが言った通りになってもいいのに───。

 そんな(みだ)らなことを思ってしまったこの気持ちを、颯霞さんのその深い藍色に、見透かされそうになるのを私は恐れている。


「俺はただ、いつもいつも不安なんです。明日目が覚めて朝になってしまえば、七海さんは俺のことなど忘れてどこか遠くへと行ってしまうのではないか……、こんな不甲斐ない俺のことを嫌いになって、冷たい瞳で見られてしまうのではないか……、と」

「───っ、なぜ、そう思うんですか?」


 颯霞さんは、何かに勘づいているのだろうか……?

 私は、切なそうに顔を歪めてそう言葉を零す颯霞さんを、疑い深い瞳で見つめてしまう。

 たった一人の大切で愛おしい人を、そんな邪な感情を抱いて見つめなければいけないのが、すごくすごく悲しかった。

 心が削がれてしまうほどに、私はこの自分自身を、心底憎く思い、どうしようもない不安を外に吐き出すことが出来ずにいた。


「それは、えっと……」


 颯霞さんは動揺したように瞳を揺らめかせ、少しだけ困ったような顔をした。何かを言い淀んでいるような、躊躇っているような……。

 私にそれを話していいのか、懸命に試行錯誤しているように見えた。

 だけど最終的に颯霞さんは困ったように八の字に眉を下げて、苦しそうに微笑むだけだった。

 私のことで、颯霞さんに気を遣わせてしまった。


「颯霞さん、私───」


 もう、いっそのこと今まで隠し続けてきた秘密を、颯霞さんに話してしまおうかと思った。

 あの御二方が私の命の恩人だということは変わらないけれど、なぜ私は人殺しの義務を課せられているのだろうかと、今更ながら疑問に思った。


「七海さんにとって、それを話すことが辛いことならば、俺はもう自分からこんな風に七海さんを困らせてしまうような言動は慎みます」


 颯霞さんとの心の距離が離れていくような、そんな苦しさに似た感覚は今までも何度も感じてきた。

 だけどその度に、私は「まだ大丈夫、まだ……」と挫けそうになる自分に強く言い聞かせていた。