「お嬢様はまだここへ来て短いですから知らなかったと思うのですが、実は真琴さん。ああ見えて全く女性慣れをしていないのですよ」
「へ……っ、そうなの?」
「はい、だからきっと、こんなにも美しいお嬢様に触れられそうになって、とてもお恥ずかしくなったのだと思います」
百合の話を聞きながら、私はそんなことないと思うのだけど、という気持ちを抱く。私に触られそうになったくらいで恥ずかしくなる意味が正直よく分からない。
それくらい、女性慣れをしていないのかしら……?
「もしかしたら真琴さんは、七海お嬢様に異性としての好意を抱いているのでは……?」
そんな風にありもしないことを推測している百合の表情は、やっぱり楽しそうだ。困惑気味の私になどどこ吹く風で、ふふっと笑みをこぼしている。
「もう、百合ったら。そんなことある訳ないでしょ」
百合のその言葉に真っ赤になっていた時の真琴さんのあの顔を思い出して、可笑しくなって笑ってしまう。
私と百合はその後、色恋話をしながら朝食を楽しんだ。百合が私の側にいてくれる朝食は、一人で食べる朝食より何倍も、美味しい気がした。
私は、この出来事を甘く見過ぎていたのかもしれない。この一部始終を、颯霞さんに聞かれていたなんて───。
そんなことを思いもせずに、私は呑気に百合との話に花を咲かせていたんだ。
◇◇◇
その夜。私の部屋に夕食を運ぶために、再び真琴さんが書斎に顔を出した。今朝とは違う硬い表情に、百合の言葉を思い出し、思わずまた吹き出しそうになってしまう。
だけどきっと、本人は女性慣れをしていないことを気にしているんだわ……。ここで私がからかうような真似をすれば、気分は良くないわよね。
私はそう考えて、一生懸命吹き出すのをこらえて、本で顔を隠した。そんな私を、訝しげに真琴さんが見ているのが、確認しなくても分かる。
「子規堂様、お夕食のお時間です。ずっと椅子に座っているのもお体に障りますので、こちらの席にお座り下さい」
「ふふ、そんなに心配なさらなくても私は他の女性よりも丈夫ですので大丈夫ですよ」
私はそう言いながらも、真琴さんが引いてくれている椅子に腰掛けた。この椅子は、作業をする時の椅子よりも何倍も座り心地が良い。
颯霞さんがわざわざ私のためにプレゼントしてくれたものなのだけど、あっちの椅子も座り心地の良いものに変える、なんて言い出すものだから、必死に止めたんだったっけ……。
それでも颯霞さんが私の言うことを聞いてくれないから、焦って『作業をする時に触り心地の良過ぎる椅子に座ると眠たくなってしまうんです!』と必死に言い訳を並べていたなぁ……。
颯霞さんはそんな私の言い分に、『そんなものなんですか……?』と渋々顔を曇らせながらだけど、聞き入れてくれたんだっけ。
氷織家に入って来てまもなくの頃の思い出に、私は思い出し笑いしてしまった。
そんな私を、真琴さんが不思議そうに首を傾げて見ていた。メイドさんや百合が夕食の支給をしてくれている時に、私と真琴さんはお互いに一言も発さず、見つめ合っていた。
特に深い意味はない。けれど、私はその深くて真剣な真琴さんの瞳に吸い込まれていくような、そんな変な感情を覚えていた。
────ところに。
バァーーーンッ!!という扉が壊れるような、そんな大きくて耳に響く騒音が書斎中に響き渡ったと思うと、扉の外から感情をなくしたような表情をした颯霞さんが現れた。
ツカツカと靴の音を響かせながら、ただ一人を怖いくらいに静かな瞳で見つめて私の書斎に何も言わずに入って来る。
……おかしい、颯霞さんらしくない。
真琴さんはそんな颯霞さんにビクッと体を震わせて、何だか、怯えているように見える。この二人の間に、一体何があったと言うの……?
久しぶりに見る颯霞さんの雰囲気は私が知っているそれと目を疑うほどに異なっていて、心に荒波が押し寄せるようにして不安になる。
「颯霞さん、……っ?」