「だって七海さんは、本当に心から信じた人間にしか、子規堂家の剣術をお見せしないでしょう?」
颯霞さんは嬉しそうに目を伏せて、そしてゆっくりと私に視線を寄越した。この何とも言えない空気感が、今の私の心にとても優しく響いた。
……颯霞さんの、言う通りだ。私は、本当に心を許せた人にしか、本当の自分の姿を見せたりはしない。颯霞さんはそんなところまで、私のことを理解していたのだろうか。
他人の心の内のことには疎い私には、颯霞さんの今の言動はとても驚くべきものだった。
「はい、あの……そうです」
どこに視点を定まらせるべきか、一瞬分からなくなった。なぜなら、颯霞さんが私を見る視線の位置を、変えてくれないから……。
颯霞さんは自分の聞いた質問なのに、私のその答えに息をつまらせて、少し驚いている様子だ。
呆気にとられたような、そんなつもりはなかったような、そんな感情が視線から読み取れた。
冷めたと思っていた顔がまた熱くなるのを感じながら、私はもう一度口を開く。
「……颯霞さんは、私にとって、本当に特別で大切な存在なんです」
赤い絨毯の敷かれた長い廊下を歩いていた足を、ゆっくりと止めた。
颯霞さんに向き直り、今もなお驚いた顔で私を見続ける颯霞さんを、私は波風立たない静かで真っ直ぐな瞳で射抜いた。
腰の前の方の位置で両手を添え、背筋をぴんと伸ばす。なぜ、急にそんなことを打ち明けようと思ったのか。
───それは、こんなことを言えるのは、もう今しかないと思ったからだ。
颯霞さんは、知らないかもしれない。私が貴方を想う気持ちが大きくなるほど、私たちの距離はだんだんと離れていってしまっているのだということに、気付くことはないのかもしれない。
「俺も、七海さんのこと、世界で一番大切に想っています」
そんな愛のセリフを顔色一つ変えずに言える颯霞さんに、私は嬉しさよりも「これからどうしよう」と悩む思いが勝ってしまう。
せっかく両想いになれたのに……、なんで私は。
「ふふ、嬉しいです」
颯霞さんが言ってくれたその言葉を、上手く返してやれないのだろう……?
嬉しさよりも切なさや苦しさが、どんどん心を蝕んで支配していくようだ。……颯霞さんは、そんな私の感情に気付いていないのだろうか。
こんなことを考えてしまっている私はバツが悪くなり、颯霞さんの目をまともに見れなくなった。
汚れも、都合が悪いようなやましいこともない隠し事一つしていないような、そんな誠実な颯霞さんに見つめられると、私はどうしていいか分からなくなる。
まるで私の全てをその曇りない真っ直ぐな瞳で見透かされているようで、落ち着いていられない。
私は嘘だらけで、一つや二つの隠し事一つせず生きてこれたことが今までにあまりなかった。
いつもいつも、気付いたら私は演技をしていて、本当に思っていることなど他人に伝える必要はないだろうと思っていた。
だから私は、この何の曇りもない澄み切った颯霞さんの瞳に見つめられると、本当の自分まで見られているような気がして、落ち着かなくなるんだ。
颯霞さんには、この人だけには、嘘は付きたくないと思った。本当の私を愛して欲しいと思った。
「颯霞さん、行きましょう。早く行かなければ、兵隊さんたちが不満を抱いてしまいます」
「……っは、はい!そうですね、行きましょう」
何が物思いに耽っていた颯霞さんは、突然意識を取り戻したようにして、瞳を大きく見開いた。颯霞さんの温かくて大きな手が私の背中に添えられる。
今日は着物を着ているけれど、袖のたもとをたすき掛けで縛れば邪魔にならなくて済むだろう。
「七海さん、これを……」
螺旋階段を下り終えた時、颯霞さんが丁寧な手つきでそれを渡してきた。
「…わぁ、ありがとうございます。今から取りに行こうと思っていたところでした」
「はは、なら先に渡せて良かった……。刀を振る時に着物の袖があると大変だろうなと思っていたんです」