祖国でも、日本国でも、私は邪魔者でしかなかった。私は、沢山の人に愛されていると、そう思い込んでいた。

 ヴィラン皇子と婚約したことで、誰かが怒りと、殺意と、憎悪を抱いていたということにも気付かずに───。

 ああ、何という愚かな娘なのだろう。愚かで、可哀想で、どうしようもない子供。

 ヴィラン皇子の婚約を私の両親が受け入れなければ、私はまだあの国の皇女として幸せに生きれていたのではないだろうかと思うと、両親への憎しみが私の心を支配してどんどん蝕んでいく。

 いつか、この日本国で幸せになれる日が来るのだろうか……?

 この焦燥と不安と悲しみから、私を救い出してくれるようなそんな太陽のような希望に、出逢えるのだろうか。

 未来(さき)のことなんて並の人間には分からない。分かるのは多分、皇帝くらいだろう。だから私は、恩人から命令される任務を機械的に熟して、孤独な日々をただ無心に生きていかなければならない。

 どんなに苦しくとも、私は自分で自分の命を終わらせることなど出来ない。

 ───ノア様たちと約束したのだ。祖国から連れ出してもらった時に、一生貴方方にこの身を捧げて尽くすと、血の誓いをしたのだ。


『この御身(おんみ)、一生をかけて貴方方へ捧げます。ノア様方の祖国のために、この日本国を追い詰め我々の手中に(とら)えてみせます。この日本国をノア様方の祖国の傘下とするために、私はどんなことでもすると、ここに血の誓いを立てます───』


 片膝を付き、深く頭を下げ、拳を地に押し付けた、あの感覚が私を酷く苦しめる。私はこの日本国の恐るべき敵なのだと、そう思わなければならないことがあんなにも辛くなる日が来るなんて。

 ───氷織颯霞さん。

 一人の日本国男性を愛してしまった。国内最高の軍隊を率いる、総隊長。私が愛する貴方は、私の一番の敵だ。

 そして貴方にとっても、私は日本国のために殺さなければならない、憎悪すべき敵なのだ───。

 だから私は、氷織颯霞とのお見合いを受け入れ、その者の純情を奪い油断させ、殺すつもりだった。何の感情も抱くことなく、殺せるはずだった。

 だけど今はそんなことなど、冗談でも出来ない。

 氷織颯霞が私のことを愛しているとあの二人に伝わってしまえば、すぐにでも戦闘命令が無慈悲にも下されるだろう。

 だから私はその日まで、氷織颯霞を全うに愛し、心がぐだぐだに壊れてしまうほどの苦しい嘘を、()き続けることにする。


 ◇◇◇


 七海は颯霞の屋敷の二階の書斎でただひたすらにある報告書に文字を書き連ねていた。颯霞さんが与えてくれた私のための立派な書斎に黒インクの独特な匂いが漂っている。

 そのインクがぴしゃっと飛び散り、上質な紙の報告書に黒い斑点が染み込んでいく。私はその様子を見ながら、いっそ死んでしまいたいという気持ちになった。

 ……もう、これで一体何度目だろうか。何度書き直しても上手くいかないのは、私が心ここにあらずなせいだ。そして、僅かな頭痛もしている。その原因はやっぱり颯霞さんのことだ。


「はぁ……、」


 私の口から、この感情をどこに吐き出せば良いのかと悩み疲れるため息が吐き出された。大きな窓から燦燦(さんさん)と差す淡い光。季節は移ろい、今はもう十二月。

 颯霞さんと初めて会ったあのお見合いの日から、もう一ヶ月が過ぎていた。……こんな短期間の内に、恋愛感情という一番抱いてはいけなかった情を、私は颯霞さんに抱いてしまっている。

 そして、颯霞さんが私を想う気持ちも日に日に大きくなっているのを何となく悟ってしまえる自分のこの鋭敏さに、今は嫌味の言葉しか出てこない。

 颯霞さんへのこの気持ちは、これ以上は大きくしてはならない。

 無防備な感情でいると、すぐにノア様やリリー様に私のこの感情を見破られてしまう。それが、今の私には凄く怖かった。