こんなにも良くしてくれる人を、騙すことなど本当はしたくない。でも、今この時にも、私を監視している人物はいるのだ。それだけ、私に託された任務は重大なものだから。
「七海さん。これからは婚約者として、私を頼ってくださいね」
すぐには反応することが、出来なかった。彼は優しい微笑みを私に向けてくれていた。それだけで、何だかとても泣きたい気持ちになったのだ。
「はい」
彼の一つ一つの行動が、私の胸に優しさとなって染み込んでくる。
「あの、颯霞さん……。私にここまで良くしてくれたのは、貴方が初めてでございます」
颯霞は一瞬、目を瞠った。そしてゆっくりと瞳を伏せて、再び口を開いた。
「七海さん。この婚約には多少の強引さもあったかと思います。七海さんはこの婚約を望んでいなかったかもしれません。ですが俺は、貴女が俺の婚約者で良かったと思っています。少しの後悔もありません。私は、貴女と、七海さんと、幸せになれるという自信があります」
その瞳、口調には一切の曇りも陰りもない。とても嘘を付いているようには見えなかった。
私は、こんなにも気遣ってもらっても良い人間なのだろうか。
この人と一緒になるということは、いつか、この人をひどい目に遭わせてしまうということだ。本当に、それで良いのだろうか?
「私も、そうなれることを願っています」
気づいたときにはもう、遅かった。私の口からは颯霞さんとの婚約への承諾と取られる台詞が発せられていた。
いつか後悔する日が来ると分かっていても、私は結局冷たい人間なのだ。今は私情を押し殺して、国のためになる行動を一番にと考えている。
そんな私を、絶対に誰にも知られてはならない。でも、この氷織颯霞になら、知られても良いと不覚にも思ってしまっていた。