一日でも鍛錬をサボってしまったら、体は重く動かなくなる。そこから私の体にずっと隠れて潜んでいた病気が、徐々に私の体を蝕んでいった───。
『あれはもしかすると異能を発するかもしれない。このまま剣術を続けさせれば、体も丈夫になり子規堂家も今よりもっと飛躍出来よう』
父が本当に見ていたのは、夢見ていたのは、私の気持ちなどではなくて“異能”……。
ただ、それだけだった───。
私はまだ、知らなかった。本当は、私は父の実の娘でさえないということを。汚い大人たちの手駒にされ、私はこの二人の娘としてこの日本国に生きていたということを……。
◇◇◇
……あぁ、嫌なことを思い出してしまった。もう完全に消し去ったと思っていた過去の記憶たち。あの頃のことを思い出すといつもいつも吐き気と頭痛が私を襲う。
もうあの人たちからは解放されたのだと分かっていても、私はずっと過去の柵から抜け出せずに、覚めぬ夢を見続けていることしか出来ない。
もう自分はあの頃の私とは違うのに、それでもこの体に染み付いてしまった痛みは癒えることを知らない。
「……七海さんも、何か思うことがあるのでしょう」
酷く暗くて、切なげな声だった。颯霞さんは私の背に優しく添えていた右手をそっと離し、寝室の扉を無表情で開ける。
私は思わず、申し訳ないことをしてしまったな、と心が痛くなるがそう思うだけだ。私が何か颯霞さんにしてあげられることなど何もない。
それなのに、こんなにも心にぽっかりと穴が空いてしまったような、そんな切なげな気持ちになるのはなぜなの……?
私はこれから、颯霞さんに酷い仕打ちをしなければならないのに。私の手に握られた刀で、いつかは大切な人さえも───。
そう考えて、私の視界がぐらりと歪んだ。涙が頬から流れ、手足が言うことを聞かずに力が抜けたようにして地に立っていられなくなった。
「……っ七海さん───っ!!!!」
覚えているのは、酷く取り乱した様子の颯霞さんが、私の名を呼ぶとても驚いたような声だけだった。
◇◇◇
俺の好きな人は、いつも自分のことに対してだけはひどく寡黙だった。何かを抱え、何かに苦しみ、それでもその苦しみから逃げようとはしない、強い人だった。
自分に心を開いて欲しい。俺に悩みを打ち明けて欲しい。もっともっと、俺に溺れて、俺のことが大好きになって欲しい。こんな恥ずかしい感情はどれも初めてで、この気持ちをどう扱えばいいのか分からなかった。
「……っ七海さん───っ!!!!」
彼女はいつも、自分の限界を知らな過ぎている。心の限界を、体の限界を、精神の限界を……彼女は簡単に、壊してしまうのだ。
突然全身の力が抜けてしまったように倒れ落ちた七海さんの体を必死の思いで抱き止めた。
剣術をしているから普通の女性の体よりも健康なものだと思っていた七海さんの体は、予想以上に軽かった。
身長は俺のほうが断然高いけれど、それでも七海さんも女性の中では高い方だ。その身長相応の体重を満たしていない七海さんを、ますます心配してしまう。
七海さんの太腿の裏に腕を回し、頭を俺の肩に添えた。そして七海さんを抱き上げたまま、俺は自分の寝室へと入って行った。
全身の力が抜けている人間を抱き上げるのは凄く大変だと、どこかの異能者が言っていたが、それは間違いだ。だって今、俺が抱き上げている七海さんはこんなにも軽くて、弱々しいのだから……。
俺はゆっくりと七海さんをベッドに下ろして、ふかふかの布団をかけて、ベッド脇の棚に置いてあるスタンドライトの電気を付けた。
「ん、……んん」
七海さんの苦しそうな唸り声がこの無駄に広い寝室に響き渡る。おでこからは汗が垂れ、眉をきつく顰めていた。悪夢にうなされているのか……?
もし、それが七海さんの悩みの根源になっているのなら───。
俺は自分の右手をじっと見つめた。
「いや、何を考えているんだ俺は…。そんなの駄目に決まってるだろ、……」