即座に決まったら、逆に辞退しようと思ったが、軽いものではあるけれど面接はするようだ。食事を終えて、面接の日時と時間を伝えられ、帰りにコンビニに寄って履歴書と茶封筒を買って、証明写真を簡単に撮って、己の事を記入して、クリアファイルに挟んでから茶封筒に入れた。
 所詮学生のやるバイトだ。ダメだったら別の場所に行けばいい。そう思い込み、緊張を抑え込んで面接に挑んだ。
 定番の何でここを希望したのかとか、学校で頑張っていることは何か、というのは当たり障りのない返しが出来たと思う。
「木之上さんは大学生よね」
「はい。今は一人暮らしです」
 定休日であるというのに、店長はわざわざ時間を作ってくれたようだ。店内で落ち着いた雰囲気の中で臨ませてくれた。俺が短時間で作成した履歴書を持ちながら、店長は紙と俺を交互に何度か見ている。
「それじゃあ今のうちに余計にバイトしたいわね」
「はは、その通りです」
 うんうん、と店長が頷きながら納得している。
「それじゃあ、程々に頑張ってもらおうかな」
「……え? ということは?」
「ん? ああ、合格」
 あっけらかんと、満面の笑みで返された。ありがたいことではあるが、あっさりと簡単に決まってしまったので拍子抜けしてしまう。こういうのって、結果待ちとかするのかと思った。
 ぽかん、と呆けていれば、店長が何かを思い出したように手を叩いて、そうそうと言葉をこぼした。
「高校から大学になってもうちでバイトしている子が居るのだけれど、その子も花影だって言っていたわね。同い年だし、もしかしたら知り合いかも」
「はは、どうでしょう」
 同級生とはいえ大学という規模だ。全校生徒の数は膨大で、一学年と絞ってもその数は余裕で三桁になる。その中での知り合いと同じ場所でバイト、という確率はとんでもなく低い。
 ありえないな、と悟っていると、チリンと扉のベルの音が鳴る。
 今日は定休日だったはずだが、と思っていると「お疲れ様です」と挨拶をしながら入ってきたらしい。声の低さ的に男性だろうか。同い年で同性なら、知り合いでなかったとしても気軽に出来そうで安心した。
 声のした方に顔を向ければ、俺と相手は同時に目を開いた。
「昴?」
「空沢?!」
 サラサラな亜麻色の髪を揺らしている姿は馴染みがありすぎた。友人の一人である彼が目を丸くして俺を見ていた。
 店長は俺達を交互に見てから、「あらぁ」と嬉しそうで楽しそうな声をこぼした。
「けれど空沢くん、今日はお休みよ?」
「え? あれ、そうでしたっけ」
 店長の言葉に、空沢は慌ててスマホを取り出す。どうやらシフトを確認しているらしく、しばらくいじってから、小さな声で「本当だ……」と呟いていた。店長はそれに小さく笑ってから時計に目を向ける。
「そろそろお昼だし、折角だから作ろうか」
「え? いや悪いですよ」
「良いの良いの。気にしないで」
 店長はそういうとオープンキッチンの方へ向かい、エプロンを身に着け手を洗い始めた。本当に我々へ作ってくれるようだ。
 空沢が手伝うかと声をかけるが、気にしないで座っててほしいと言われて、彼は言葉に甘える形で俺の向かい側に座った。

「今からバイト探しとは、あの時の言葉も噓だったか」
「あの時……」
 彼の言葉を復唱すれば、脳内にあの時の誤魔化しが即座に過ってきた。顔から血の気が引いて、青くなったのが自分でも分かる。
「えっと、それは」
「まあ、あの時乗り気ではなかったもんな」
 彼はあっけらかんと、大して気にしていないような声色で言う。思わず瞬くと、彼は小さく吹き出して笑った。
「なに? 怒られるとか思ったわけ?」
「正直」
「あはは! んな程度で怒らねえよ」
 手を少しだけ叩きながら彼は呵々大笑した。
 俺としては「嘘まで言って逃げた」とか「人付き合いが悪い奴だな」くらいは言われる覚悟はした。だが彼から返ってきた言葉は、こちらが拍子抜けするもので。
 相変わらず、彼は心が広いというか、器が広い。彼と初めて出会った時からずっとそうだ。相手の顔色を伺って、考えて、人と接する俺とは違い、彼は即座に察知してしまう。敏感、というのもあるし鋭いとも言う。生まれ持っての才能なのか、努力して身に着けたのかは、本人のみぞ知るというやつだ。
 怒っているところも見たことがない。ふざけている同級生や木下に注意することはあるけれど。そうしたところが大人っぽくてこっそりと憧れていた。
「昴もここでバイト始めんだ」
「ああ、帰り道でもあるし……何よりご飯が美味しかった」
「それは大事だ。賄も美味いんだよ」
 大学生はとことん金欠だ。幸いなことに実家からの仕送りもあるけれど、何でもかんでも甘えてばかりはいられない。うちは決して、裕福に括られる家庭ではない。生活費に全てをあてたら、他の物に中々金を出せない。
 外食に金をかけたり、服に金を振り分けたり、娯楽にもお金が必要な年代である。人付き合いには金がいる、とはそういうことだ。だから、俺のような学生はバイトをするわけで、それに倣った。それに、こうした飲食店のバイトで賄も出れば、食費も少しは浮かせられるだろう。
「空沢はいつから?」
「高校からだな。地元がここらだから」
「じゃあ大先輩だ」
 そんな会話をしていると店長が、俺と空沢の前に一声かけながらお皿を置く。どうやら半熟玉子の乗ったカルボナーラだ。生クリームとチーズの合わさった、熱が加わった乳製品のにおいが湯気となって鼻腔をくすぐる。
「こんな立派なの良いんですか?」
「良いのよ。寧ろ食品ロスに協力してくれてありがとうって感じ」
「ああ、賞味期限目前の生クリームと卵が」
「空沢くんシッ!」
 店長が慌てて口元に人差し指をあてる。どうやら彼の推理が当たったらしい。分かりやすい人だ。
 彼らの言葉を聞きながら、食事を始める挨拶をしてからフォークを手に取る。まずは玉子を割った。とろりと流れ出して、白いクリームを黄色くとろとろに染め上げていく。ふわふわと漂う乳製品の匂いと湯気を共にあびながら、ゆっくりとフォークで混ぜてから巻き付ける。
 フォークに巻かれたパスタを口に含めば、このお店で初めて食べた時と同じように、優しい味がじんわりと体を温めた。
 店長が少しだけ抜けると言ってきたので、二人で了承した。彼女の手元にはお盆の上に乗る、同じカルボナーラのお皿が二つ。一つは自身のお昼かもしれない。そうなると、もう一つは家族の物だろうか。
「弟さんが居るんだってさ」
「ふうん……」
 平日の昼間でも家に居るということは、まあそういうことなんだろうな。別に深く追求するような話題でもないので、氷が数個入れられたコップの縁を口に添える。
「昴には向いてるかもなあ、ここのバイト」
 同じカルボナーラを口に含みながら言う。彼の言葉に瞬くと同時に、斜めになったコップから、カランと音を立てて積み上がった氷が崩れ落ちる。
「ここはなぜか優しい人が集まるからさ」
「それはいいね」
「昴も優しいしな」
「……それは買いかぶりすぎだな」
 薄く笑みを浮かべる。俺は、優しい、とは違う気がする。
 確かに、人に嫌われるのが嫌だから、良い人に見えるように偽っているけれど、それだけにすぎない。
「必死に虚勢を張っているだけだよ」
 少し物思いに耽っていたら、彼は「ほーん」と小さく声をこぼし、テーブルに腕を乗せながら組み、再度俺を見つめてくる。
「昴は良い人って呼ばれるのが嫌、とか?」
「嫌、というわけではない、けど。……どうだろう、嬉しいと思うけど、少し分かんないな」
「何かあったのか?」
 空沢が真っすぐと目を見てくる。曇りのない瞳だ。
 出会った時から思っていた。まるですべてを包み込んで、許してくれるような、地球みたいな瞳だなと。色合いから思うのではなくて、きっと心の広さなどそうした内面が瞳から輝き出ているのだろう。
 だからこそ、偶に怖くなる。俺の過去のこと、本心を聞いて、引かれたら。今まで築き上げてきた関係が、一瞬で崩れ落ちてしまったら。
「無理に言わなくても良いんだよ」
 気がつけば、隣の席に腰かけていた金咲さんがぽつりと口にする。
「けど、少し、背負っていた荷物を持ってくれる人が居たら、楽になれるかもね」
 ゆっくりとこちらを向いた彼女の瞳が、俺の瞳を射抜く。ああ、彼女の瞳もそっくりだ。エネルギーを注いでくれるような、そんな地球が重なって見える。
 この二人の前で、弱い俺は自身が揺らぎそうになって怖くなる。
 今までの俺は、過去の経験から、他人を完璧に信じることは出来ずに、虚勢を張って生きてきた。
 当たり前だろう。人間に嫌われるのは嫌だ、嫌いなものは嫌いだ。見たくないものは見たくない。私情を挟まず全てをさらけ出すなんて芸当、俺にはできない。俺が、人間だからだ。
 だから、ここで彼に己の一部を晒すのは、賭けだ。大学で出会ってからの、彼を信じてみる。大きな賭けだ。
「……まあ、小さい頃にさ」
 少しだけ笑みを浮かべながら、重くなりすぎない様にと細心の注意を払いながら、一つ一つの言葉を口にする。小学生のころ、いじめられていた友人を庇ったら、今度は自身がいじめの標的になったこと。それ以降、仮面をかぶるように優しい、良い人として偽って生きてきたこと。
 ゆっくりと自分の事を、思いを口にしていく。彼は最後まで口を挟むことは無く、相槌をうちながら最後まで話を聞いていた。
「こんな感じ」
「成程」
 彼は最後に水を一口含んでから、優し気な笑みを浮かべた。
「昴はえらいな」
「は、え? いや、それは空沢だろ。長い自分語りを聞いて少しも嫌な顔してない」
「あはは、そういうとこ」
 笑い声をこぼして、彼は言葉を続ける。
「気付いてないかもしれないけど、昴は偽ってないよ。いつだって相手ありきで人と誠実に向き合っている。感謝を忘れないし、丁寧だ」
「そんなことは」
「って思うのは、実は簡単じゃないわけ。誰でも出来ることじゃない。きっと昴が子供のころからの才能なんだろうな」
 胸の奥が熱くなって、嬉しいという感情が込み上がってくる。
 ああ、よかった。そんな安堵感で胸が満たされて、年甲斐もなく涙がこぼれそうになる。
「それじゃあ、昴はこれからどうしたい?」
 お互いに美味しいカルボナーラを平らげてしまえば、空沢がそう口にする。
「そうだな……」
 皿の上に置かれている、フォークの反射で少し歪んで見える己の顔。歪んでいても分かる、怯えている心境。それを乗り越えるために、己が出来ること、やりたいことってなんだ。
 そう問いかけて、真っ先に浮かぶのは一つの結果だった。小さく笑みをこぼす。
「やっぱり、木下と話し合ってみるさ」
 俺の言葉を聞いて、空沢は一瞬驚いたような表情をするけれど、すぐに笑みを返す。
 知ってた、と言葉を呟かれて、彼には一生勝てそうにないなと認識する。