「確かに、私と彼は恋人同士でした。同期でしたが歳上で、私の面倒を見てくれたんです。」
部署は違いましたけどね、と何かを誤魔化すように苦笑した。
「私は秘書で、彼は捜査員でしたから。」
その顔は微笑を浮かべていた。
そこから、まだ蝶を愛しているんだと感じ取れてしまうのが、一色には辛かった。
彼女は蝶に対してこうやって今でも微笑んでしまうほどの甘い恋慕を募らせていたのに、無情にも駒として使われ切り捨てられたのだ。
もう一生恋愛できない、と絶望し、抜け殻になっただろう。
「隙のなさと完璧な仕事ぶりに最初は恐れさえ感じていました、が私だけにしか見せない顔がそこにはあって…
未だに思います。あの顔は、あの彼は私しか知らないんだと。おかしいですよね、会社も辞めざるを得なくなって失ったものが大半だと言うのに、まだ…想いは消えないんだなんて。」
「いえ、おかしいことはありません。ただ、」
ただ
躊躇し飲み込みそうになって、いややはり言ってしまおうと言い直す。
「ただ、私には切なくてしょうがないです。」
胸がきゅっと痛んだ気がした。一色にしては珍しいことだった、同情し過ぎている。
「切ない…ですか。」
兎乃は意外だと言う風に繰り返した。
窓の外は霧のような雨が降っていた。しっとりと水分を含んだ空気が星空と月の放つ光に溶けていく。
「あ、すみません。切ないなんて軽く聞こえてしまいますよね。このような言葉では形容しきれない心情でしたろうに。配慮が足りず…」
彼女は前のめりになって見せるように首を素早く振った。
「いえ、そういうことじゃないですよ。」
兎乃は少し浮いた腰を下ろして、発言に困ったように俯き黙ってしまった。
冷たそうな指を、まるで想い人の唇に触れるかのように滑らかに絡ませ、それから足の向きを変えてルームシューズを抜き取るようにあだっぽく脱ぎかける。
「喉、乾きませんか?」
「え?ああ。そうですね、何か取りに行きましょうか。」
一色は立ち上がってドアノブを捻った。
兎乃は脱ぎかけたルームシューズを履き直して上品に小股で歩み寄る。
「寝れなくなると良くないですから珈琲や紅茶は避けたほうがいいですよね、何にしましょう。」
黒い絨毯の敷かれた階段を一歩前は一色、その後ろに兎乃と並ばず少しずれて降りる。
「そうですね…ホットジンジャーなどどうでしょう?」
部屋に入った他の者の迷惑にならないように吐息まじりに囁いた。
兎乃が生姜湯ですか、いいですねと目を細めて口元を緩める様は純粋無垢な少女に見えた。実際にそうなのだろうと一色は微笑み返す。
一階に降りてすぐ
「キッチンはこちらです。」
と兎乃が先導した。
キッチンがどこかを知っていることに一瞬何故だろうと妙に思った。
がしかし、そういえば食べ終わった後の食器は女性らが片付けてくれていたんだった、と一色は思い出すことができ、納得した。
何でも疑るのは良くない職業病の症状だった。重症らしい。
廊下共にキッチンの灯りはついたままであった。
「まだ誰か居るんですかね。」
「ええ…佳芳さん夫妻でしょうか…。2人でしたらお邪魔しちゃいますね?」
「まあ開けてみないとわかりませんから、本当にそうだったらお暇しましょう。」
探偵の提案に少女は確かに、と頷いて扉のノブに手を掛けた。
「まあ、」
「あ…」
「あ、やっぱり。」
「すみません。」
中に居たのは思った通り、佳芳と京司だった。
キッチンと言うより厨房と表現したほうが相応しい広さと設備であった。
佳芳は僅かに目を見張ってびっくりしたような顔をしたがすぐににっこりと笑いかけて、
「あらあらお二人揃ってどうされたんです?素敵ね。」
と兎乃に話しかけた。
「え、ああいやそう言うんじゃなくて…」
「喉が乾いてしまって。何か寝る前に良い飲み物はありますか?」
佳芳はそういうことだったのね、と答えた。本当に表情豊かである、その茶色い瞳や細めの眉や薄くルージュを塗った血色のいい唇が上がったり下がったりよく動いた。
比べてしまうのは違うと思いながら、態度や雰囲気が落ち着いている兎乃とは当然違う空気をまとっていると一色は2人を交互に見ていた。
「何がいいです?そこに一通り揃ってますよ。」
手で棚を指しながら流しの蛇口を捻り、白いポットに水をいっぱいに注ぐ。
湯を沸かしてくれるらしい。
京司は座っていたがその丸椅子を作業机の下にしまって、僕たちはそろそろ寝よう、と佳芳の肩を抱いた。
「え、でもまだお湯が…」
「大丈夫だよ、ご自分で自由にやりたいはずさ。失礼しよう。
洗い物は置いておいてくださって構いませんよ。」
一色と兎乃の方を振り向いて眉を下げて微笑む京司。
この人は心配になるほど優しく言葉を発するんだなと一色は思った。
「いえいえ、それくらいやります。元栓閉めて上がりますのでご心配なく。」
兎乃がそう言って礼をするので、一色も続けて感謝の意と就寝前の挨拶をした。
佳芳もそれじゃあ、と頷いて納得した様子だった。世話好きな性格なんだろう、微かに寂しさが瞳に影を落としていた。
2人は寄り添ってキッチンを出ていく。寝室は一階にあるらしい。
「本当に仲がよろしいですよね、どこで出会ったんでしょう。」
「ええ、そうですね。…結婚願望がおありで?」
そう彼が半分冗談で問うと兎乃はいえ!と声を大にして否定した。
「そうじゃありません!それはないです。ただ気になっただけです。」
必死に違うと言い張る彼女をおかしく思いながらそれは失礼、と返す。
「…彼のことで過敏になっているんです。誰かを愛すのは疲れます。」
棚の茶葉やインスタントコーヒーや粉末ドリンクを物色しながら、ため息まじりに吐露した。
その横顔は影っていて、哀愁と言うよりも諦めたような表情であった。
まだ静かなポットの前に立った兎乃の隣に一色は並んだ。
彼はコーヒーが好きで、今も飲みたかったが兎乃の言う通り寝れなくなると困るので、先程提案したホットジンジャーにしようと手を伸ばした。
「失礼。」
透明なガラスの瓶に入った粉末生姜を一つ取り出して、食事の時自分が使ったコップを持ってきた。
兎乃はホットココアにするらしい。白いコップに茶色い粉末が入っている。
粉末生姜の封を切って、中身をサラサラとコップの中に落とすと濃い生姜の香りが一色の鼻につんと触れた。
2人はお湯が沸くのを待ちながら何をするでもなく、ただ突っ立っていた。
外の雨音は止むこともなく、さあさあと降り続けていた。
一色は三好達治の大阿蘇を思い出した。
”雨は蕭々と降っている”
今の感じはまさにそれだ。
一色はこの詩を雨が降る時決まって思い出すが、そこに深い意味はない。
しかし学校で学ぶよりも先に、教科書で見つけるよりも前に、家の書庫にあった三好達治の詩集を読んだことがあった。
確か小学校に上がってすぐ。1人で読めたのは振り仮名のおかげだった。
子供ながらに独特のリズムと言葉遣いや、筆者に視点に惹かれて何度も読み直した記憶があった。
文中に出てくる馬はきっと可愛んだろうな、と感じたのを今でもぼんやりと覚えている。
そろそろ沸くかな、とポットに目を向けて注意した。
「あの…」
「はい?あっ」
兎乃がふと口を開きかけたのと同時にお湯がぶくぶく言いながら沸騰して溢れた。
瞬間、ぶしゅぶしゅと湯気を立てながらガスコンロの火が青から赤へと変色して大きく揺らめいた。
「あっ、いけない。」
「大丈夫ですよ、気をつけて。…私がやりましょう。」
一色はそう提案して、蓋をカタカタ鳴らすポットに手ぬぐいを被せた手を伸ばす。
「すみません…」
気にしないで、と言うように頷いてポットを退けてガスコンロの火を消した。手ぬぐいから最初は微かに、そのうち段々はっきりと熱が伝わっていくのがわかる。
兎乃は申し訳なさそうに頭を垂れて、肩を強張らせて何度も謝った。
「ちゃんと見ていなくて…ごめんなさい。」
「大丈夫です。それより何です、言いかけたでしょう?」
さらりと話を変えてしまって、にっこりと笑いかける。
謝らせてしまうのが嫌だった、とはまた別に、たかが湯が沸きすぎたくらいで彼女が伝えてようとしてくれたことを聞き逃すのが我慢ならなかったのだ。
「ご海容いただき感謝です。ええっとですね…」
ごにょごにょと語尾を濁らせ、視線をうようよ泳がす。どうやら発言するのに躊躇う内容なのかもしれない。
一色はそれ以上急かさず、黙って隣に居た。
「期待させてしまっていたらごめんなさい。それほど重要なことではないんです。ただ…」
ただ?
「一色さんにも結婚願望がおありで?あ、というか奥様は…?」
「あはっ」
彼は少年のようにくしゃっと鼻に皺を寄せておかしそうに笑った。
「なんだ、そんなことか。いや、そんなことと言うのは失礼ですね。まだ結婚はしてませんよ、もう少し仕事で成果を上げたいです。それからでしょうか。」
「なるほど…気になってしまって。すみません。」
「いえいえ。」
 兎乃が布巾を取り出して溢れた熱湯を拭う。
「話の続きになりますけど、私彼と一緒になるとばかり思っていたんです。
でも少しも想定していない方向に行ってしまったので、これから本当にどうしようか先が見えないんです。
もう、恋とか、するの怖くなるんだろうなと思ってます。」
「…それはそうでしょうね。」
胸がナイフで突かれたようにちくちくと痛んだ。悲哀の血糊が染み出してくる。
これはただ単に同情しているだけに違いなかった。彼女を想うあまり心を締め付けているのではない。
決して、そんな決して。
「私も、もう恋愛できないと思ったことがありますよ。」
大して好きでもない年上の女性と体を重ねて嫌でも快楽に堕ちた、あの夜のことだ。
ゆっくりと攻められるあの妖艶な体を拒めなかった。彼女が疲れて寝ている横で歯を食いしばり声を殺して泣いた。
綺麗すぎる月の光が若い一色をより一層苦しめ、彼の涙を輝かした。
こんな風に女性と関係を持ってしまえば、人間として男として誠意のない者になってしまう。こんなんでは誰も愛せない。誰も抱けない。誰にも恋できない。
したとしても辛いだろう。自分を嫌いになるだろう。もう、どうしたらいいのかわからなかった。
ホテルの白いシーツの上でため息を何度か吐いて、泣きながら一万円札を置いて部屋を出た。
彼女に捨てられるよりも、置いて帰ってしまう方が楽だった。
「女性を愛す資格などないと思ったことが、あります。」
それまで女遊びをしたことも、放蕩の限りを尽くしたこともなかった。誠実に生きてきたつもりでいたのだ。それなのに一瞬で堕ちた。
自分に呆れてその時初めて煙草を吸った。勿論ひどく咽せて喉が削れたようにがらがらと痛んだがそれ以上にやるせなかった。
一色はポットを掴んで兎乃の目の前に置かれた白いコップにゆっくりと注ぐ。
「これくらいでよろしいでしょうか。」
8分目ほどで傾けた手を戻した。
「ええ、ありがとうございます。」
「熱いですよ、気をつけて。」
「はい。」
素直にこくんと頷いて熱を帯びたコップを華奢な指を包み込んだ。
彼女が、心底嬉しそうに濃い琥珀色を見つめて微笑んだりするので一色は狼狽した。
お湯を注いだだけなのにこんなにも暖かい笑顔をされてしまっては、悦ばしいことだが照れて困ってしまう。
自分のコップにもお湯を注いでスプーンでくるくるかき混ぜた。指にかかる湯気が熱い。
「訊いていいのか分かりませんが、どんな時だったんですか?女性を愛せないって思ったのは。」
予期していた質問を投げかけられた。
「…女性に対して誠意のないことをした、と言えばわかるでしょうか。」
そう答えると兎乃はぼんやりとそうですか、と反応を返した。
「すみません、はっきりと申し上げず。」
「いえ、こちらこそごめんなさい。誰にでも過ちはあるものです。」
目を伏せてまさに聖母かのような雰囲気を醸し出して、優しい笑みを浮かべてそう言った。
彼女もスプーンでココアを軽く混ぜる。
「私のこと、嫌いになりませんか?」
どうしたんだろう、女々しい言葉しか思いつかない。弱い脆い言葉しかこの口を出ない。
「ならないです。」
真っ直ぐとこちらを見据え、真剣な表情で言った。彼女のその言葉は本当のものらしかった。いや絶対にそうなんだと感じ取れた。
「ならないですよ。一色さん大丈夫ですか、何だか、今にも涙が出そうな顔してらっしゃいます。」
「え?」
焦って隠して、目元をぐっと拭った。袖に水滴の跡はない。でもやはり少し様子がおかしくなっているのは自分でもわかった。
「え、ええ。多分、大丈夫です。」
多分ってなんだ。
曖昧な表現に自分で苛ついて、唇を強く噛み締めた。泣くなよ、自分。
兎乃は心配した顔で彼を見つめて、慰めるように口を開いて言った。
「なぜ嫌いになりましょうか。貴方の新たな一面が見えて嬉しいです。やはり人とは関わってみないとわからないものですね。
私、バスの中で一色さんを初めて見た時少し警戒しました。でもとっても良いお方です。」
「け、警戒ですか。心外だな…」
「ふふっ、すみません。綺麗な男性は怖いですから。」
綺麗?耳を疑ったが確かにそう言った。
一色に、自身が綺麗だとか美しいだとかいう自覚は到底ないが、他人の美意識に打ちのめされるような感覚は経験があった。
美を追求し、着飾り、輝いているその様は一見大衆の憧れと化すが恐れを抱かせるのもまた確かだ。
この人の前では醜いものは全て価値がないものなのではないかと、彼や彼女に近づけなくなる。
綺麗と聞いて思い出した。蝶も容姿が良かった、調べた時に本人らしい画像を手に入れたことがある。
顔の良さで女も若者も落とすらしい。結婚詐欺師によくある嫌味な手口だった、それも相俟って一色は蝶が嫌いだった。
「貴女も大変麗しい方ですよ。杜若さん。」
口説いてみせても彼女はなんともないんだろうな、と諦めるようにコップの中身を見つめた。
「…そうでしょうか。美しくなれば何か変わっていたんでしょうか。」
彼女もココアを覗き込んで俯き、独り言のように呟いた。その声は囀るようにかぼそくて切ない。
「貴女は何も悪くない。貴女は十二分にお美しいです。」
「や、違います。もっと素敵な女性だったら、あの人さえも私を心から好いてくれたのかもしれないですし、それに」
「あいつはそんな人間味など持ち合わせてませんよ。杜若さんは素敵な女性です。」
ぐっと語気を強めて言う。
「もっと秘書としても優秀だったかもしれないです。やはり私には足りないところばかりです。女としての美しさも、仕事のスキルや経験も全て。」
「そんなことありません、違う。」
「何でです?何故一色さんはそんなに違うって言ってくれるんですか、だって、事実です。」
勿論彼女がそう感じるならそうなのかもしれない、しかし蝶が悪なのはこれもまた絶対的な事実であった。
だから彼女は悪くない。最初声を聞いた時、本当に綺麗な声をしてると思った。青い髪がよく似合っていて、まだ幼さの残る所作が可憐だった。
それくらい、もう既に、彼の心は彼女に惹きつけられていた。
「違うからです。私が思う貴女と違うからだ。」
「そうならそうです、貴方の思い描いた私ほど本来の私は良い人じゃない。綺麗じゃないです。」
苦しそうに顔を歪ませて、泣きそうに声を籠らせて、まるで魂の声を引き絞るようだった。
生命がいま絶たれると言ったような、そんな弱さと踠きのある音だった。透き通っているから、なお一層苦しい。
「だからと言って嫌いにはならないです。」
俯いた彼女に語りかけた。肩がぴくりと反応する。
「あんな犯罪者の男のこと、何故覚えたままなんです。忘れてしまいましょう、いいんですもう無くして。」
「無くす…?」
涙声だった。
「そう。無くして。記憶を無くして。あんな奴のこと思い出さなくて良いんですよ。」
蝶に、あいつが関わって不幸が訪れた人を沢山見てきた。何十件も依頼を受けた。何件も相談に乗った。どれだけ電話に答えたか知らない。
あいつは詐欺や金だけじゃない、証拠や根拠はないが殺しも必ずやっているであろう。相当に許し難い存在なのだ。蝶を追ってここまで来た。彼に報いを受けさせるために何年も費やした。
兎乃が忘れることができた分、一色は彼の罪を胸の奥まで刻む。
たとえ奥まで刻んで、自分の心の臓が破れようとも張り裂けようとも、血が噴き出しても。
その覚悟で、ここまで来たのだ。
「だから、泣かないでください。ね、大丈夫ですよ。」
一度座りましょう、と丸椅子を取り出して彼女を座らせた。
途中言い合いのようになってしまったことに反省しながら、肩を優しく摩ってやった。
ひくひくと苦しそうに嗚咽を繰り返し、風が通るような細く震える呼吸の音が、彼の心を急かした。
早く彼女を落ち着かせないと。
「大丈夫、吸ってください。できます、大丈夫。」
向き合ってじっと見つめて説得するように言った。
ただ、ただ大丈夫と言い続けて、伝えて、こちらも心痛めて泣きそうになりながら訴えた。
兎乃も段々とゆっくり正しいリズムで呼吸するようになり、涙も引いて、浅くぺこりとお辞儀した。
「ごめんなさい、ありがとうございます。一色さんが居て、助かりました。」
「いえ、苦しいことを訊いてしまって本当にすみません。思い出したくなかったろうに。」
背中を宥めるように上下に撫でて自身も丸椅子に腰かけた。
「まだ熱いですかね。」
兎乃のココアが入ったコップを引き寄せて、茶色の湯に浸かっているスプーンを二、三回回して流しに置いた。
つやつやと光が映った水面が布のようにたおやかに揺れる。ココアの中にもう一つの世界があるように思えて、何とも不思議で綺麗だった。
「落ち着きました?」
無言で小刻みに頷いた。涙声がまだ治らないんだろう、一色も頷き返して白いコップを彼女の目の前に差し出した。
自分もホットジンジャー片手にその香りを少々楽しんでから息を吹きかけて冷ます。
もう片方の手はまだ彼女の背中に微かに触れていた。離してしまうのは単純に嫌だった。
「いただきます。」
「…私も、いただきます。」
「あ、あつ…。」
「あちっ!」
同時に肩を震わせ、舌を痺れさせた。
2人で目を見合わせて、おかしくなって、くしゃっと笑う。
「あはっ」
「ふふ、熱かったですね。」
「ええ、もう少し冷ましましょうか。」
「はい。」
真っ赤な舌をちろりと覗かせて、無邪気な子供のように笑う様に魅せられた。
ほんのりと桃のように頬を染めて恥ずかしそうに困り眉で笑っては、また口をつけてみて熱い、とみずみずしい唇をぺろりと舐める。
雨の音など聞こえないぐらい、それこそ蝶のことなんて本当に忘れてしまうくらいに笑い合った。
その時2人はこの館で、この国で、この星で、もしかしたらこの宇宙で一番に分かち合っていたかもしれない。
偶然なのか、奇跡と言ってもいいのか、運命では大袈裟か、車内で出会った2人はまた顔を合わせてこんなにも理解し合っていた。
四葉のクローバーを見つけられる幸福よりも、稀なことかもしれなかった。



神が罪人の元を尋ねる。
「あなたは犯人役ですね。」
影は頷く。
「絶対に誰にも言わないで。」
影は了解する。
「緊張していますか?」
影は苦笑する。
「大丈夫。やれますよ。」
影は微笑む。
「ではお願いしますね。」
影は会釈する。
影は、笑う。

さあ神よ。愚かな罪人に制裁をお与えください。