一色亮紀と恋する館

「あの子ちょっと喋りすぎよ…というか貴方は?」
金髪の女性は一色に声をかけた。
「一色亮紀と言う者です。貴女は…鮎澤曜さん、ですか?」
「え、ええ。そうだけど、なんでわかったの?」
一色は優しく微笑んで少々甘い声で言った。
「なぜって、今大変有名な弁護士の先生じゃないですか。そしてとてもお綺麗だ。」
曜のご機嫌をとりあえず取っておこう、それが一色の魂胆だった。
この散らかった状態を佳芳にでも見られてしまえば、関係も悪くしかねない。
もうすでにあちらの女性、牧とは距離がある。
そして、鮎澤曜というのは仕事は難なくこなすが性格はあまり良くはないと言う噂を耳にしたことがあった。
証明されたな。
彼女も彼女らしい魅力がどこかにあるのやもしれないが、一色にそこまでの興味はなかった。
「そうなの!最近やっと世間が認めてくれるようになってね。一色さん?は私立探偵ですってね、聞いてる。
何かお困り事があればいつでもうちの事務所にどうぞ。私の名前を言ってくださればすぐ行きますから。」
慣れた手つきで上品に名刺を差し出す。
「ありがとうございます、助かります。」
丁寧に受け取って目を通した。事務所のデザインなのだろう。
推測にすぎないが曜の好みではなさそうな大人しいフォントと色使いだった。
「それは?」
曜が指差す先は一色の右手だった。
彼は國近夫妻の土産として羊羹を購入していたので、忘れないよう一緒に降りてきたのだ。
「羊羹です、お好きですか?」
曜はふうん、興味なさげにリアクションした。どうやら特段好きと言う感じではないらしい。
「普通ね。甘いものはあまり食べないの、お酒が好きだから。」
なるほど、一色は頷いた。
「すみません、事前にお訊きすればよかった。」
「いや、他の人が食べるでしょ。私はいいわ。」
そう言って曜は窓辺に離れていった。
一色はテーブルに羊羹の入った紙袋を置く。
京司と佳芳はどこなのだろうか。一色はリビングを出たり、廊下を彷徨ったりして2人を探した。
「どうしたんです?」
上から声が降ってきた。東堂の通る声だった。
「東堂さん、と日浦さんですか。館の中でも一緒だなんて随分と仲がよろしいんですね。」
少々皮肉をスパイスに階段を降りてくる2人に言葉を投げかける。
逢ばかりではなく、東堂に対してもいけすかないなと思い始めていた一色だった。
「そんな。偶々タイミングが合っただけですよ。」
軽く微笑む東堂。その言葉は本当のものと思える。
「てか、逢でいーっすよ。日浦サンなんて落ち着かないっす。」
逢は勢いよく駆け降りてきて、一色の前にぴんと背筋を伸ばして立った。
「そう、ですか。じゃあ逢君で。」
一色は微かな動揺を隠しながら答えた。
距離がやはり近い、身長差がなければもっと顔が良く見えただろう。
「はいはーい!逢君で〜す!」
なんだ、ただの元気のいい若者じゃないか。少し距離感がおかしなだけで。
自分は何を毛嫌いしていたのだろう、と一色は自分で自分のことがわからなくなった。
何をもってして彼らをよく思わなかったのだろう。
一色はここへ仕事をしに来ているのだ、彼らも依頼主ではなくとも仕事相手である。
人間として敬わなければならない、そう思うと自身が恥ずかしく感じた。
「東堂さんは、呼ばれたい名前とかありますか。」
そう訊くと東堂はきょとんした顔ではあ、と呟いた。
「特には…好きに呼んでもらって構いません。タメ口でもいいんですよ?」
「そう…ですか。じゃあ偶には気を抜いてみようかな。」
3人で並んでリビングに戻る。
「そういえば、羊羹を持ってきたんです。逢君、食べますか。」
「よーかん!?俺めっちゃ好きっす〜!ね、東堂さんも食うっしょ?」
「是非ともいただきたいですね。」
意外に3人での会話は弾んだ。
「あ、お帰りなさい。」
リビングの扉を開くと曜が挨拶をしてくれた。小首を傾げてその2人は?と訊いてくる。
「ああ、一緒に来た方々です。東堂さんと逢君。」
「どうも。」
「よろっす。」
2人は曜と軽く会話を交わしていた。
一色は視線を、未だソファに座って牧の話に耳を傾ける兎乃に向けた。
先程よりも笑顔が多くなったように感じられる。見ていると同じように顔が緩んだ。
その時パタパタと急いで駆ける音が微かに聞こえてきた。
「ごめんなさい、皆さんお揃いですか。」
佳芳である。少し息を切らして、表情は不安心な雰囲気が漂っていた。
ドアをかちゃりと閉めて視線を泳がす。
「佳芳さん!京司さんは大丈夫なんですか?」
兎乃が肩をびくっと震わせ立ち上がる。
京司が倒れ込んだ時にも手を貸そうとしていた、余程心配だったらしい。
「え、ええ。状態は良いです。ありがとうございます、気にかけてくださって。」
「いえ、落ち着いたならいいんです。…持病などですか?」
兎乃の問いかけに対し、佳芳はふるふるを首を横に振って違うと言った。
「過労でしょう。疲れが溜まりやすい人ですから。」
「何、國近さん何かあったの。」
曜が困惑した声色で言った。確かに牧と曜は知らされていないのかもしれなかった。
「少しね。でももう心配ないです。」
大丈夫、と落ち着いた顔で言う。曜は安堵したようにため息を漏らして椅子に腰をかけた。
「本格的にゲームを始めるのは夫が来てからにしたいと思ってます、どうでしょう。」
佳芳の提案に皆は深く頷き、京司を看に戻る彼女を見守った。
東堂が口を開く。
「仕方ないですね。」
「ええ、軽く自己紹介でも済ませておきますか?」
「そうですね。」
一色の意見に兎乃は賛同の意を示した。
「私は一色亮紀、探偵業を営んでいます。ここに居られる皆さんとはどなたとも面識がないですが、仲良くしていただければと思います。よろしくお願いいたします。」
「かたっ、そんな気ぃ遣わなくてもいいと思うっすけどね。」
「そうよ。私は鮎澤曜、東京で弁護士をしてます。何か困ったことがあればうちに来てね、少しはサービスする。…んー、元々ゲームが好きなのよね。ホラゲーも戦闘系も勿論謎解きもやるわ。」
逢が口を挟み、曜が乗っ取っていった。
先程はさほど感じなかったが、曜はもしかしなくても自分よりも年上なんじゃないかと一色は思っていた。
年下ではないことは確かである。どんな偉い弁護士の先生でも年上に対し敬語が使えないと言うのはありえない。
それに加え、金髪を靡かせる姿や白い首筋。瞳の瞬きに音でも鳴りそうなその容姿の美麗さは認めざるをえなく、そこに大人の色気が醸し出されているのもまた本当であった。
一色はふふ、と気づかれないよう控えめに笑って、他の者の話に耳を傾ける。
「俺は日浦逢っす!デザイン系の仕事してます、結構楽しいっすよ。謎解きの本の装丁に関わった時読んでみて知ったんす、なんで謎解きはそれからの趣味。27歳!よろしくね!」
そして逢って呼んで!と元気よく付け加えた。
ね、と兎乃の方をくるりと向く。全く、調子のいい奴だ。
とはいえ、デザインの仕事をしているとは。一色は感心した。
ファッションセンスも仕事を愛しているからこその独創性があるのやもしれない。
一色は彼の色んなところにぶら下げた鎖やチェーンがなんだか、とっても価値のある素敵な物に思えてならなくなった。
次は東堂だった。
「私は記者をしてます。東堂一基です。逢とは何度かDMなどで会話したことがあって、まあ会うのは初めてですけど。職業柄興味津々なところがありましてね、それがこれに繋がったんでしょう。どうぞよろしく。」
見るからにインテリ、仕事のできる男。
声も低めだが甘く、全ての女性を魅了してしまいそうな完璧さがある。
余裕がありそうに見えるが、先刻の車内で恋愛について一色が問いかけたところ話を逸らした。
この人物も何かあったんだと見てとれる。
「あ、私ですか?えっと、三宅牧です。ハンドメイド作家をしています。ハンドメイドの本を出すことが今の夢なんです。兎乃ちゃんとはお話がたくさんできて嬉しいです。皆さんも仲良くしてください!」
ふわふわとにこやかに言った。彼女は可愛らしいの典型のような人物、と言えば想像できるだろうか。
周りに漂う酸素すら、彼女の世界のキャラクターとして動いているように感じられる。
隣に居た兎乃はにっこりと彼女の言葉を受け取っていた。
「私は杜若兎乃です。少し前まで会社で秘書として勤めていました。謎解きサークルは主にオンラインで参加していて、イベントは初めてです。よろしくお願いします。」
口元に笑みを浮かべて、深い青髪を揺らして話した。
決して曜のような色気が漂う訳でも、牧みたくマスコットらしい可愛らしさを感じる訳でもないのだ。
しかしながら、とても人の目を、いえ一色の視線を釘付けにして離さない。
少しでも見ていなかったらいつの間にか遠ざかり、消えていなくなっていまいそうな美しい儚さがあった。
綺麗だ。
煌めき時折陰る茶色の眼球も、細い指も長めの爪も、小さな唇も。
そして透き通った水のような麗しいその声も、夜闇の嫋やかなロングヘア…
彼の意識を持って行って、戻らせない。
いけない、完全に見惚れ切っていた。一色は我に返る。
「さて、どうしましょうか。」
「そうですよね…佳芳さん戻ってこないですし…」
東堂と牧が心配気に佳芳の去った廊下を眺める。
確かに、京司の様子を見に行ったきり音沙汰もなく、あちらの状況の予想もできなかった。
「それほど良くないんですかね。」
兎乃は不安の影が宿る表情でぽつりと呟く。
「佳芳さんも慣れていた様ですし、看病は任せていいでしょう。もう少し待ってみませんか、」
一色は兎乃や他の者に答えるかの様に言ってみせた。
「そうっすね、俺らが見に行っても役に立てないだろうし。」
「私、部屋で少し寝たいの。疲れちゃったわ。」
「それはそれは。弁護士先生はお忙しいですもんね。」
「私は一階に残ってようかな、佳芳さんのお手伝いができる様に。」
皆が各々個室や行く場所へ話しながら散り散りになっていく。
そんな中兎乃はただ呆然と虚空を見つめて突っ立ったままで居た。
ただぼうっとしてる訳ではなく、何かを思案している表情であると見てとれた。
「杜若さんは、どうされるんですか。」
一色が話を振ると、瞬時に気づいて彼の方を見上げた。
「え、そうですね…荷物の整理をしてこようかと思います。一色さんはいかがなさいます?」
「私ですか。」
一色は自分で投げかけた質問があまり答えやすいものでなかったんだとその時気づいた。
これからの時間どう過ごすだなんて、気分に任せてしまえる事をその度々に計画などしないのだから。
「私もそうですね、荷物を片付けて仕事の整理でもしてきます。終わったらここに戻るかもしれません。」
「そうですか。」
「はい、あと…」
言いかけて、やはりと思って止めた。
その時、一色の脳内ではある一つの仮説と憶測が形作られていたのだが、まだ調査が済んでいない。
もしも、その仮説がただの妄想だとしたら彼女を巻き込み、迷惑をかけかねなかった。
一色は口を噤んでいえ、と自身の言葉を否定する。
「すみません、後程伺います。」
「え、ええ。わかりました。ではまた。」
彼女は少々怪訝な顔で答え、階段を上って行った。
杜若兎乃。
深い魅力と共に、彼女に対するその仮説が一色の頭の中を埋めつくした。
彼女は犯罪を犯しているのかもしれない人物、であった。