亡くなった夫である崇さんのフェイスブックの更新通知が来た。彼が亡くなってもうすぐ一年経とうかというときだった。彼は三十歳の誕生日を迎える二十一日前に亡くなった。二歳年上のわたしは一緒に三十代になれる日を待っていたのに、永遠に叶わなくなった。
崇さんは北海道の旭岳ロープウェイの入り口で死んでいた。どうして彼がそこにいたのかは分からない。その日の朝、札幌の自宅マンションを出た彼は、仙台支店への出張にでているはずだった。
崇さんと思われる身元不明遺体の確認をして欲しいと道警から連絡を受けたとき、わたしは自宅に居た。朝早く彼を送り出した私は、午前中に、当時十一ヶ月の息子を児童館に連れて行き、帰宅して昼食を食べさせ、片付け、昼寝をさせようとしているときだった。
空は晴れていて、初夏の風が吹き、外を歩くだけで心が浮き立つ陽気だった。数日間の完全ワンオペ育児の開幕を応援されているような心地になって、いつになく前向きな気分で家事と育児をこなしていたというわけだ。
目立つ外傷は無し、と聞いていたとおり、長椅子のような寝台に横たえられた彼は、眠っているかのようだった。でもよく見れば、彼がただの容れ物に戻ってしまったという動かしようのない事実がそこにあった。心臓の止まった体は、魂という操縦者に乗り捨てられた容れ物でしかない。
事故か、事件か、自死か。現場の状況だけでは三つの可能性はどれも否定しきれず、警察は捜査を行う。検死が行われ、結果は心臓麻痺。彼の死は事故とされた。
とはいえ生命保険会社の審査は厳しかった。なにしろ崇さんは、息子・真人のハーフバースデーを機に、死亡時に八千万円もの保険金が支払われる生命保険に加入していた。そんな彼が加入から一年も経たずに亡くなったのだから、慎重な審査が必要と判断するのも納得のいく話ではある。遺族感情としては、不安と怒りしかなかったが。
崇さんが自死など選ぶはずはないのだ。だって彼はそういう人間を「くだらないもの」と嫌っていたのだから。
彼の加入していた生命保険は、加入から一年未満の自死での死亡保険金の支払いには応じていない。審査は二ヶ月に及び、崇さんの会社への聴取もあった。わたしも聞き取りを受けたが、受益者であるわたしからの聞き取りなど形だけだろう。
結果として、保険金は支払われた。自死じゃないんだから当たり前だ。ねらって心臓麻痺になんてなれるはずがないし、検死だってしたんだから。
「まま、すまほ! ぽちーん!」
「真人、ママのスマホ勝手に触らないで! ちょっとやだ! 押したの?」
死んだ人間のフェイスブックの更新通知なんて、たちの悪い冗談だと思った。開きたくなかったが、息子の真人がスマートフォンの画面をタッチしてしまった。フェイスブックの、崇さんのページが開かれた。
最新の更新は三十分前。
公開範囲は一部の友人。おそらく、私だけだろう。だってその内容が
『美香へ。もうすぐ会いに行けるかもしれない。まだ好きでいてくれるかな』
というものだったからだ。
不快でしかない。誰かが崇さんのページをハックして、わたしに接触しにきているのだとしか考えられない。だって死人がフェイスブックの更新をするなんて不可能なのだから。
崇さんが亡くなってからしばらくの間、わたしは崇さんの存在を家の中で探し続けていた。彼はわたしと真人を愛していたし、この家だけが彼の安らぎの場なのだから、化けて出るならわたしたちの家以外にありえないからだ。
通夜の前の晩、部屋に濡れた葉の匂いがした。
納骨の晩、眠るわたしと真人の隣に、彼の匂いが通りすがった。
それから二回、わたしと真人がお風呂に入っている間に、洗面所に人の気配がすることがあった。いずれもきっと崇さんだろうと思った。
でも、四十九日を待たずに彼の気配はぱったりと途絶えた。
彼はいつでも十五分前行動のひとだったので、早めに行ってしまったのだろうと思った。
「ぱぱのー?」
「やめてってば!」
「にこにこー」
また真人がわたしのスマートフォンを奪った。やられた。崇さんを名乗るいたずら投稿に、わたしが笑顔のスタンプで答えたことになっていた。
思えば、真人は崇さんとの最後の通話のときも、横から手を出して切ってしまった。
「いま児童館に来てる。そっちはもう搭乗口通ったの?」
あのとき、そう問いかけたわたしに彼はなにか言いたげだった。わたしは彼の搭乗便になんて興味がなかった。もう少し興味を持てていれば、彼が飛行機に乗っていないのではと気づけたのに。「うん」とか「ああ」とか彼が言って、台本にあるみたいな間があった。彼が口を開くのが、電話口の雰囲気で分かった。その瞬間に、横から手を伸ばした真人が通話を切ったのだ。
『ごめん、真人が切っちゃった。なにか用だった? かけ直す?』
どうしてわたしは問答無用で即座にかけ直さなかったのだろう。彼の後ろに、空港を思わせるアナウンスや人の声などが全く入っていないことに、違和感を覚えなかったのだろう。かけ直す? と問うのは、暗にかけ直すのが面倒だと伝えるのと一緒だ。
『もう行かないとだから大丈夫』
『OK! がんばってね! わたしはこれから寝かしつけ!』
『美香もがんばれ〜』
メッセージのやりとりはそれで最後になった。彼がわたしに最後にくれた言葉は、がんばれ〜。
言葉のとおり、わたしは一人でがんばらなくてはいけなくなった。
崇さんは北海道の旭岳ロープウェイの入り口で死んでいた。どうして彼がそこにいたのかは分からない。その日の朝、札幌の自宅マンションを出た彼は、仙台支店への出張にでているはずだった。
崇さんと思われる身元不明遺体の確認をして欲しいと道警から連絡を受けたとき、わたしは自宅に居た。朝早く彼を送り出した私は、午前中に、当時十一ヶ月の息子を児童館に連れて行き、帰宅して昼食を食べさせ、片付け、昼寝をさせようとしているときだった。
空は晴れていて、初夏の風が吹き、外を歩くだけで心が浮き立つ陽気だった。数日間の完全ワンオペ育児の開幕を応援されているような心地になって、いつになく前向きな気分で家事と育児をこなしていたというわけだ。
目立つ外傷は無し、と聞いていたとおり、長椅子のような寝台に横たえられた彼は、眠っているかのようだった。でもよく見れば、彼がただの容れ物に戻ってしまったという動かしようのない事実がそこにあった。心臓の止まった体は、魂という操縦者に乗り捨てられた容れ物でしかない。
事故か、事件か、自死か。現場の状況だけでは三つの可能性はどれも否定しきれず、警察は捜査を行う。検死が行われ、結果は心臓麻痺。彼の死は事故とされた。
とはいえ生命保険会社の審査は厳しかった。なにしろ崇さんは、息子・真人のハーフバースデーを機に、死亡時に八千万円もの保険金が支払われる生命保険に加入していた。そんな彼が加入から一年も経たずに亡くなったのだから、慎重な審査が必要と判断するのも納得のいく話ではある。遺族感情としては、不安と怒りしかなかったが。
崇さんが自死など選ぶはずはないのだ。だって彼はそういう人間を「くだらないもの」と嫌っていたのだから。
彼の加入していた生命保険は、加入から一年未満の自死での死亡保険金の支払いには応じていない。審査は二ヶ月に及び、崇さんの会社への聴取もあった。わたしも聞き取りを受けたが、受益者であるわたしからの聞き取りなど形だけだろう。
結果として、保険金は支払われた。自死じゃないんだから当たり前だ。ねらって心臓麻痺になんてなれるはずがないし、検死だってしたんだから。
「まま、すまほ! ぽちーん!」
「真人、ママのスマホ勝手に触らないで! ちょっとやだ! 押したの?」
死んだ人間のフェイスブックの更新通知なんて、たちの悪い冗談だと思った。開きたくなかったが、息子の真人がスマートフォンの画面をタッチしてしまった。フェイスブックの、崇さんのページが開かれた。
最新の更新は三十分前。
公開範囲は一部の友人。おそらく、私だけだろう。だってその内容が
『美香へ。もうすぐ会いに行けるかもしれない。まだ好きでいてくれるかな』
というものだったからだ。
不快でしかない。誰かが崇さんのページをハックして、わたしに接触しにきているのだとしか考えられない。だって死人がフェイスブックの更新をするなんて不可能なのだから。
崇さんが亡くなってからしばらくの間、わたしは崇さんの存在を家の中で探し続けていた。彼はわたしと真人を愛していたし、この家だけが彼の安らぎの場なのだから、化けて出るならわたしたちの家以外にありえないからだ。
通夜の前の晩、部屋に濡れた葉の匂いがした。
納骨の晩、眠るわたしと真人の隣に、彼の匂いが通りすがった。
それから二回、わたしと真人がお風呂に入っている間に、洗面所に人の気配がすることがあった。いずれもきっと崇さんだろうと思った。
でも、四十九日を待たずに彼の気配はぱったりと途絶えた。
彼はいつでも十五分前行動のひとだったので、早めに行ってしまったのだろうと思った。
「ぱぱのー?」
「やめてってば!」
「にこにこー」
また真人がわたしのスマートフォンを奪った。やられた。崇さんを名乗るいたずら投稿に、わたしが笑顔のスタンプで答えたことになっていた。
思えば、真人は崇さんとの最後の通話のときも、横から手を出して切ってしまった。
「いま児童館に来てる。そっちはもう搭乗口通ったの?」
あのとき、そう問いかけたわたしに彼はなにか言いたげだった。わたしは彼の搭乗便になんて興味がなかった。もう少し興味を持てていれば、彼が飛行機に乗っていないのではと気づけたのに。「うん」とか「ああ」とか彼が言って、台本にあるみたいな間があった。彼が口を開くのが、電話口の雰囲気で分かった。その瞬間に、横から手を伸ばした真人が通話を切ったのだ。
『ごめん、真人が切っちゃった。なにか用だった? かけ直す?』
どうしてわたしは問答無用で即座にかけ直さなかったのだろう。彼の後ろに、空港を思わせるアナウンスや人の声などが全く入っていないことに、違和感を覚えなかったのだろう。かけ直す? と問うのは、暗にかけ直すのが面倒だと伝えるのと一緒だ。
『もう行かないとだから大丈夫』
『OK! がんばってね! わたしはこれから寝かしつけ!』
『美香もがんばれ〜』
メッセージのやりとりはそれで最後になった。彼がわたしに最後にくれた言葉は、がんばれ〜。
言葉のとおり、わたしは一人でがんばらなくてはいけなくなった。