もう何度目か分からない欠伸をしながら、私は学校へと向かう。学校へ行くときはいつも鉛のように重たい足が、今日は更に重く感じた。

いつもよりも早く家を出たからか、学校に着くと教室にはまだ誰もいなかった。
がらんとした教室でひとり席に座っていると、しばらくして廊下のほうから甲高い声が聞こえてきた。
あの声を聞いただけで、顔を見ずとも誰だか分かる。栗原春香だ。

ーーガラッ。

「あれ? なんだ今日はまだ誰も来てないんだ。アニオタだけとか、つまんな」
「春香、待ってればそのうち皆来るよ」

教室に入ってきたのは、思った通り栗原さんと川瀬さんだ。

自分の席へと向かう栗原さんの髪の毛を見て、私は息を飲んだ。

ひとつに束ねられた栗原さんの栗色の髪には、昨日ツイッターで見たものと全く同じピンクのシュシュがある。

ああ、まさか、まろんちゃんは栗原さんだったの?

嬉しいのか悲しいのか分からない。どうにも複雑な気持ちになる。


考えてみれば、マロンは外国語で栗という意味だし。
栗原さんはシュシュに限らず、普段からハンカチだとか身のまわりの物はよくピンク色の物を身につけていた。
ピンクはアニメ『アイドル!!』の桃李くんのカラーだから、間違いない。

そうか、やはり彼女が……。


「ちょっとアニオタ。さっきからなに人のことジロジロ見てんだよ」

私は無意識のうちに栗原さんのほうを見てしまっていたらしく、彼女がイラついたように言う。


「そんな汚い目で人のこと見ないでくれる? キモいんだけど」

栗原さんの言葉に、自分の中で何かが壊れる音がした。


「栗原さん。なんで、そんなことが言えるの?」
「は?」
「まろんちゃん、私に友達だって言ってくれたじゃない。あれは、嘘だったの?」

気づいたら私は、栗原さんに向かってそんなことを口走っていた。


「ねぇ。SNSでちいちゃんと話せて嬉しいって、私とは気が合うって言ってたよね? それなのに……」

なんであなたは、学校ではいつも私にひどいことばかり言うの?
まろんちゃんもアニメが好きなはずなのに、どうしてオタクのことをキモいとか、そんなふうに言えるの?

私の目からは、涙が溢れてきた。こんなところで泣きたくないのに。一度流れてしまった涙は、なかなか止まらない。


「ちょっと、アニオタ。あんた、さっきから何を言ってるの? まろんとか、意味分かんないんだけど」

俯いていた顔を上げると、栗原さんは明らかに戸惑っているようだった。

もしかしてまろんちゃんは、栗原さんじゃないの?

「さっきから訳の分からないことばっかり言って、あんた頭おかしいんじゃない? ほんとオタクって気持ち悪い」

「……ねぇ、春香。もうその辺にしときなよ」


怒っているような低い声が、栗原さんの隣から聞こえた。


「これ以上わたしの友達を傷つけるようなこと言ったら、春香のこと許さないから。ほんとごめんね、ちいちゃん……」

そう言うと、川瀬さんが私の目元に自分のハンカチをそっと当ててくれる。そのハンカチは、淡いピンク色で。


「さっきからずっと、黙っていてごめんね。まろんは、わたしなの」

うそ。よく見ると、川瀬さんのスクールバッグにも、ツイッターで見たあの写真と同じピンクのシュシュがつけてあった。

そう、だったんだ。本当のまろんちゃんは、川瀬さんだったんだね。


「まさか橋本さんが、ちいちゃんだったなんて。ずっとずっと会いたかったよ、ちいちゃん」
「私もだよ、まろんちゃん」
「これからはSNSだけでなく、学校でもたくさん話そうよ……千夏ちゃん」


このとき私は、ずっと顔の見えなかったまろんちゃんと、ようやく本当の友達になれた気がした。