その日の夜、璃仁と紫陽花は家に帰宅しなければならないぎりぎりの時間まで、一緒に学校近くの公園で過ごした。璃仁はその日塾だったが、腹痛だと言って休むことにした。親には申し訳ないが、今は塾に行くことよりも紫陽花のそばにいることの方が大切だった。

 夜の公園は、昼間とはまったく違っていて、物寂しい空気がそこらじゅうに漂っていた。まだ秋とは言えない気温だが、1週間前よりは確実に涼しくなっていて、秋の虫の鳴く声だけが公園に響いていた。誰も座らないブランコ越しに見える空間は、しんしんとしていてまるで異世界のようだ。あのブランコの向こうに行くと、知らない世界にたどり着くのかもしれない。馬鹿みたいな子供の妄想を繰り広げ、隣に座る紫陽花の横顔を見た。

 紫陽花は公園にいる間、終始何かを考えて込んでいる様子だった。璃仁はまだ顔の傷が痛くて、あまり何かを真剣に考える余裕がない。紫陽花からもらった絆創膏が、唯一璃仁を傷の痛みから少しだけ解放してくれた。

「私、決めた」

 秋の虫の声が途切れ途切れに聞こえる中、紫陽花が決意を秘めた表情で呟いた。

「決めたって、何をですか?」

 何を考えていたのか、何を思いながらずっと隣にいてくれたのか、璃仁には紫陽花の心の内が分からなかった。
 紫陽花はじっと璃仁の顔を見つめて、複雑な表情を浮かべた。瞳の奥に少しだけ迷いが生じているようだ。でも、揺れていた瞳はいつしかキッと焦点が定まって、何かの決心が本物だということを語った。

「私、燃える」

「は?」

 突然「燃える」などと人間を主語にしては使わない言葉を発した紫陽花に、璃仁は頓狂な声を上げてしまう。

「いや、燃えるとはちょっと違うか。燃やす? ううん、これはもう、爆破に近いかもしれない」

 一人で悶々と適当な言葉を探している紫陽花だが、そもそも璃仁には彼女が何を言っているのかさっぱり分からない。

「燃やすとか爆破とか物騒なんですけど……一体何をしようとしてるんですか」

 まさか本当に火をつけたり爆弾を投下したりするわけじゃあるまいし、どういうことなんだろうか。璃仁の頭の中ではひたすら、ぐるぐると疑問の渦が渦巻いていた。

「私のSNSで、今からいろいろ暴露する。私、今日あの男の話を聞いて思ったの。このままじゃいけないって。幸せになることから逃げたまま、一生を終えたくない」

 唇を噛み締めてそう宣言する紫陽花だったが、璃仁は心配だった。

「でも暴露って、そんなことして大丈夫なんですか? ファンの人たちが離れていっちゃうんじゃ……」

 紫陽花のSNSのフォロワーは言わずもがな、彼女の美しい姿を見ることを娯楽としている。紫陽花が何を暴露しようとしているのかは分からないが、もし投稿が炎上することになれば、彼女のファンたちはがっかりしてしまうのではないか?

「大丈夫。そもそも本当に炎上なんてするか分からないし。それに、たとえフォロワーが全員いなくなっても、璃仁くんがいる」

 璃仁は自分の目が大きく見開かれるのを感じた。夜の闇の中で、紫陽花の周りだけが不思議な光をまとっているかのようにほの明るく灯って見える。

 紫陽花は、自分のファンを失ってもいいと言った。
 璃仁さえいればいいと。
 その言葉が意味するところを考えたら、胸が熱くならないはずがなかった。