大きな男の人が海藤を後ろから羽交い締めにした。璃仁の方も、数人の大人が肩を抑え込んだ。

「やめるんだ」

 強い言葉で押し込まれた海藤と璃仁は、なにもできずにガックリと身体から力を抜いた。大人の前では、二人はまだまだ子供だった。大切なものを守ると誓っても、敵わない相手がいる。
 戦意焼失した海藤は、いつもの海藤ではなかった。虚ろな瞳で璃仁と紫陽花を見つめ、やがてポツリと漏らした。

「俺はもう、しおにとって何者でもないんだな……」

 彼の目に絶望の色が浮かぶ。常に強気だった海藤の表情に、初めて翳りが見えた瞬間だった。璃仁は目を凝らして項垂れる海藤を記憶に焼きつける。今日だ。今日初めて、自分はこの男に対抗し、勝ったとは言えないが打ち負かしたのだ。

「ごめんなさい」

 紫陽花が俯いて、誰にともなく呟いた。もう二度と海藤には関わらないという宣言のように思われた。海藤もそう受け取ったのか、瞳を大きく見開き、やがて大人たちに押さえつけられていた身体をすっと抜き、璃仁たちに背中を向けた。

「おい!」

 海藤を刃交い締めにしていた男が海藤の腕を再び掴もうとしたが、他の男がそれを止めた。

「逃げてるんだ。もういいだろう」

「……」

 遠くからパトカーのサイレンの音が聞こえる。やって来た警察に事情を聞かれたが、周囲の大人が説明をしてれて事なきを得た。璃仁は周りの人たちに頭を下げ、痛む傷を抑えながら身体を引きずるようにして歩き出す。

「璃仁くん待って」

 紫陽花が後ろから肩をポンと叩いてきた。正直今は紫陽花の顔もまともに見られない気がした璃仁は、半分だけ顔を傾けた。

「今日は私といて」

「……なんで」

 たとえ海藤とはいえ、人を殴った璃仁のことを、紫陽花がどう思っているのか知るのが怖かった。呆れられたかもしれない。人として嫌いになられたかもしれない。そう思うのに、紫陽花は「だって」と璃仁を離さなかった。

「『紫陽花先輩だけは俺が守る』って言ってくれたじゃん。私、今日このまま家に帰りたくない。さっきメールで、お母さんから『どこにいるの!?』って発狂したようなメッセージが来てて……。お願い璃仁くん。私を守ってよ」

 途中から涙まじりの声が聞こえて、璃仁ははっと振り返った。紫陽花が背中を丸めて泣いていた。璃仁は紫陽花の頬に手を当てる。きっと自分の顔面は傷だらけで見るに耐えないだろう。

「ごめん……違うね。守ってくれてありがとう」

 透明な涙が紫陽花の頬を何度も滑り落ちる。こんな時なのに、紫陽花の涙は何度見ても美しいと思う。
 ああ、逃げなくて良かった。
 海藤を前にして、足がすくまなかったかと言われれば嘘になる。今まで陰湿な嫌がらせをされてきたことがフラッシュバックして、反射的に心が海藤から目を背けようとした。

 でも、それじゃ変われない。震える紫陽花を守れない。
 そう思うと、立ち向かうことができた。あんなに怖かった相手なのに。璃仁がここまで強く出ることができたのは、すべて紫陽花のおかげだった。

「すみません。約束、ちゃんと守ります」

「もう、だから謝らないでいいの」

 コツンと、紫陽花が自分の頭を璃仁の背中にもたげた。一つ年上の先輩なのに、どこか小さく見える。この人のことを、一生守りたいと思った。