「幸せテロ?」
何それ、どういう意味? と紫陽花がもう一段階近づいてくる。近い。慣れない距離感に、つい次に話すべき言葉を探すのに時間がかかってしまう。
「……幸せな日常生活が映し出された写真を見ると、『幸せそうだな。それに比べて自分は……』って卑屈になってしまうんです。先輩の写真からはそういう『幸せ』なオーラが漂っていて。でもどこか他の人の投稿とは違うんです。たとえば『彼氏と名物パンケーキを食べに行ってきた』とか『ライブで大盛り上がりした!』とか、普通の『幸せアピール』の投稿じゃなくて。見てて不快な気分にはならないタイプの幸せテロ。どうしてそう感じるかって聞かれると、うまく言葉にできないんですけど……」
璃仁は自分の頭の中でまとまらない言葉たちをなんとか繋ぎ合わせて紫陽花に説明しようとした。もし自分の頭の中で考えていることを直接誰かに見せられる装置があるのなら迷わずそれに頼っていただろう。
璃仁が散々迷って口にした言葉を、紫陽花はなんとか咀嚼してくれたようで、「なるほど」と思慮深そうに頷いてみせた。その様子を見てまずはほっとする。まったく伝わっていなかったらどうしようと不安でならなかったから。
「つまり、私の投稿にはそこまでの華がないってこと?」
わざと、自虐する素振りで紫陽花は笑みを浮かべた。璃仁は「違います!」と即座に首を振った。璃仁の慌てた様子を紫陽花が面白がってまた笑う。
「そうじゃなくて、なんか、投稿された写真が『私を見て』って叫んでるんです」
そうだ、これだ。私を見て。紫陽花の写真が、写真の中の紫陽花が、全身全霊でそう叫んでいるように見える。だから人を虜に
する不思議なオーラのある彼女の写真に魅せられる人が多く、フォロワー数も多いのだと納得することができた。
「『私を見て』かあ」
私って、めちゃくちゃ「かまってちゃん」じゃん、と自らツッコミを入れつつも嬉しそうに頬を染める紫陽花の横顔が、夕暮れ時の橙色に染まってまぶしい。こんな隙間にも意外と光って入るもんなんだな。まるで「SHIO」が投稿する写真そのもののように、紫陽花の表情は見る者を釘付けにする。まあ今は璃仁しか紫陽花を見ていないのだけれど。そう意識すると、フォロワー数10万人の彼女を独り占めしているようで多少の罪悪感と喜びで心が揺れる。
「それにしても田辺くんって、感受性が豊かなんだね」
「そうでしょうか」
「うん。だって普通、私の投稿を見てそこまで思わないって」
「それは……そうかもしれませんけど」
「あと幸せテロっていう言葉、私好きかも」
「思ったことそのまま表現してみただけなんですけどね」
「そういう表現も、感受性が強いからなのかな」
紫陽花の言う通り、璃仁は昔から内に籠るタイプだったので一人で読書や映画鑑賞をしては感情移入をしてしまうのは自覚があった。だから紫陽花の写真が何かを語りかけるように感じたのかといえば半分は正解だろう。
でもそれ以上に、紫陽花の写真に紫陽花の魂が宿っているような力強さがあるのも事実だ。璃仁はそれを紫陽花に伝えようと思ったが、その前に紫陽花が立ち上がって璃仁から少し離れスカートについた砂を手で払ったので辞めた。
「さて、そろそろ帰ろうかな」
「えっ」
「どうしたの」
璃仁の予想に反して、彼女は割とあっさりと璃仁との会合を切り上げようとしていた。しかしよく考えてみれば、璃仁と紫陽花は今日出会ったばかりだから、そんなに長く話をしたくないというのは当然の気持ちかもしれない。だけどこの先もう二度と紫陽花と話ができなかったらどうしようという焦りが、璃仁の勇気を奮い立たせた。
「先輩、あの、また話とかって、できますか? 今度でいいんで……」
もごもごと尻すぼみになりながら、それでも先方の顔をじっと見つめると、紫陽花は神妙に頷いた。
「ええ。また機会があったら」
それは、暗にもう話したくないということを告げているのか、単に社交辞令なのかこの時の璃仁には分からなかった。けれど紫陽花と再び狭い隙間を通り抜け、校舎の外を出て別れたあとで、結局彼女のことをほとんど聞けていなかったことに気がついた。