それから長い沈黙があったのだが、璃仁はふと疑問に思ったことを聞いた。
「先輩はどうして写真投稿SNSをしているんですか? あれって、一番自分の幸せな部分を見せるものだと思ってるんですが」
そう。幸福恐怖症だと聞いた璃仁が、頭の中で一つだけ腑に落ちなかったことがこれだった。SNSにもいろんなタイプのものがある。友達とメッセージをやりとりするだけのもの、自由気ままに思ったことをぱっと呟けるもの。その中でも写真投稿SNSというのは、群を抜いて「キラキラした自分」を見せられるSNSのように思う。ユーザーも、憂鬱な気分で投稿をしている人はあまりおらず、どちらかと言えば楽しかったこと、幸せだったことを投稿する傾向にある。璃仁がSNSの写真投稿を「幸せテロ」だと思ったのは、まさにそんな性質があるからだ。
「それは、ショック療法、みたいな」
「ショック療法?」
「ええ。幸せになるのが怖いと思う自分があえて幸せな投稿をすることで、周りから羨ましがられたり憧れられたりするわけじゃん。幸せになるのは怖いことじゃなくて、素晴らしいことなんだって、脳が勝手に勘違いしてくれないかなって思ってやってたの。幸せな雰囲気の投稿をすることで、いつか本当に幸せな気持ちになれる気がして。ごめん、意味わかんないよねえ……」
紫陽花が言葉を紡ぐ度に、間接照明で照らされたホテルの一室が、およそ現実味のない空間のように感じられた。もしこれが夢だったら、自分はなんて欲望にまみれた妄想をしているのだろうと呆れる。でも、隣から聞こえてくる不規則な紫陽花の吐息の音が、これが現実であることを思い知らせてくれた。
「分からないことも、ないです」
紫陽花がショック療法と題してSNSを始め、あれだけのフォロワー数を集めたことには心底驚かされた。趣味や幸せのアピールなんかではなく、自分の弱さを克服しようとした結果だったなんて。
と同時に、璃仁にも他人のこととは思えない節があった。
璃仁はいまだに笑うのが怖い。他人の前で笑顔を見せることで傷つけられた過去が、どうしてもフラッシュバックする。
だけど、隣で紫陽花が笑っているのを見ると落ち着くのだ。いつか、自分ももう一度笑えるようになる日が来るかもしれないと淡い期待を抱いてしまう。紫陽花にとっても、SNSで自ら「幸せな自分」を発信することが希望だったのかもしれない。
「本当は誰にも言うつもりなかったの。璃仁くんが初めてだよ。思えば璃仁くんが、取り繕わない本当の私を晒してくれた初めての人かもしれない。なんてね」
いたずらを思いついた子供みたいな笑みを浮かべ、そのまま再び枕に頭をもたげた紫陽花。今日は一日身体も頭も使いまくってお互いかなり疲れている。ここらで休んだ方がいいだろう。
「先輩の初めての人になれて良かったです。いかがわしい意味じゃないですよ」
「誰もそんなこと言ってないでしょ」
「そうですね。すみません」
「もう謝らない」
璃仁たちは互いに冗談を言い合いながら、うつらうつらする意識の中、愛しい人の息遣いを間近で感じていた。ほとんど倒れ込むような体勢でベッドにうつ伏せになった二人だったが、もはや仰向けになる気力も残っていなかった。璃仁は慣れない体勢をしているのに、隣で静かに目を閉じる紫陽花がいるというだけで、ひどく安心感を覚えた。
このままずっと、二人だけの世界で生きられたらいいのに。
17歳の璃仁と18歳の紫陽花は、あと1、2年もすれば成人なのに、今はとても中途半端で無力な子供なのだと痛感した。
「先輩、俺がきっと守りますから」
紫陽花の寝息が聞こえるのを確かめた後、璃仁は誰にも聞こえないぐらいの声でそっと呟いた。