「ううん。付き合ってもらったのは私の方だから。幸せって、もしかしてこういうことなのかなって思ったりもして。って言うと、私の哲学に反するんだけど」

「『溺れて息ができなくなること』って言ってましたもんね」

「ええ」

 いつぞや彼女と初デートをしたときに、「幸せ」の定義について彼女が予想外の言葉を口にしていたのを思い出す。あのときの言葉の真意は今でも分からない。でも、彼女の母親や新しい父親候補の話を聞いた後の今となっては、なんとなく彼女の気持ちが分かる気がしたのだ。

「私にとって『幸せ』って、どうしても手に入らないものなの。手に入ったら、本当に息ができなくなるかもしれない。そう思ってたから、今日璃仁くんと花火を見たこと、私はきっとこの先一生忘れないと思う」

 電車が駅に停車するごとに人が減っていって、同じ車両には離れた席に一人、二人、と座っているだけになった。その人たちはイヤホンをしており、たぶん璃仁たちの会話は聞こえていない。だからこの明るい車内の中で、二人きりで肩を寄せ合っているような錯覚に陥っていた。

 紫陽花が抱えているものを、璃仁はいっぺんに背負い、受け流したいという衝動に駆られた。紫陽花の息遣いが間近に感じられる。璃仁の心臓は痛いくらいに鳴っていた。紫陽花が璃仁に対し、どれだけの信頼を寄せてくれているのか分からない。でも、こうして一緒に花火大会に行き、幸せかもしれないと言ってくれたことは確かな感触として璃仁の胸に残った。