「なんで……」
声の主の顔を見た紫陽花の声が震えている。璃仁もとっさに振り返ると、電車を待つ人の列から一歩外れたところから、海藤と取り巻きの男たちがこちらを睨んでいた。
「なんで? って言うのはこっちの方なんだけど。なんで田辺としおが一緒にいるんだよ。どういうことなんだ」
海藤が紫陽花のことを「しお」と呼ぶのを、以前駅前で聞いたことがある。海藤と紫陽花が知り合いだということもその時に知った。でも、紫陽花の口から海藤との関係について教えてもらったことはない。
紫陽花は海藤の存在に、言葉を失ったように固まってしまっていた。璃仁はごくりと生唾を飲み込む。海藤を前にすると、璃仁は反射的に足がすくんでしまっていた。このままでは紫陽花の前で格好悪いところを見せてしまう。そう危惧した璃仁は、震える紫陽花の手をもう一度強く握りしめ、電車の列から抜けて走り出した。
「おいっ!」
突然逃走した璃仁たちを、海藤と取り巻きが追いかけてくる。くそう。なんて執念だ。そこまでして璃仁たちを追いかけて、一体何が楽しんだよっ。全身全霊で怒りをぶつけたいけれど、今は紫陽花と安全な場所に逃げる方が先だった。璃仁は道を走るタク
シーを止め、さっとタクシーに乗り込む。
「とりあえず、街の方までっ」
街、と言えば市内で随一の繁華街だということは、この辺の人なら誰でも知っていた。だから運転手も特に行き先を聞き返すこともなく車を走らせた。
後を振り返ると、車の窓越しに海藤たちが膝に手をついて悔しそうな表情を浮かべているのが見える。良かった。とりあえずあいつらから逃れられた。安堵のため息が口から漏れて、隣に紫陽花がいることを忘れていた。
「助けてくれてありがとう」
紫陽花がほっとしたように胸を撫で下ろす。紫陽花を助けた、というよりは自分が逃げたという感覚が強かった璃仁は「ああ、いえ」と気の抜けた返事をした。
「今の、海藤って言うんですけど、紫陽花先輩は知り合いなんですか?」
海藤が紫陽花に言い寄っているところを見てから、ずっと気になっていたことを聞いた。紫陽花は璃仁の口から「海藤」という名前が出てきたことに驚いたのか、目を丸くしている。
「璃仁くん、知ってたんだ」
「はい。クラスメイトなんです」