「あら、あんたどこ行くの?」

 翌日、結局ほとんど一睡もしないままこの日を迎え、約束の時間が近づくまで璃仁は高鳴る胸を押さえられずにいた。少し早いが先に待ち合わせ場所で紫陽花を待っていようと出かける準備をしていると、母が後ろから声をかけてきた。土曜日の夕方のことだったので、父も母も家でのんびりとテレビを見ているところだった。

「ちょっと、花火大会に」

「花火大会? ほほう。誰と?」

 勘の良い母は鋭い眼光を向けてきた。犯人から犯行動機を聞き出す警察のようだ。この人に隠し事をしても仕方がないと思い、璃仁は正直に答えることにした。

「学校の先輩だよ。そんなに親しくなかったんだけど」

「へえ。それって、この間話してた例の先輩のこと?」

 母がつくった蒸しパンを食べながら人間関係について相談した日のことを思い出す。もう2ヶ月も前のことなのにしっかりと覚えている母はさすがとしか言いようがない。

「うん、まあそんなところ」

 璃仁は自然とぶっきらぼうな返事をしてしまう。どうも、この母親に対しては嘘がつけないのだ。母には人から本音を引き出す特殊な力が備わっているらしい。

「そうかいそうかい。そりゃ良かった。あー安心した!」

 少し大げさなんじゃないかというくらい大きなため息をつく母。隣で父が「なんだ? 女の話か?」と興味津々な顔をしている。ああ、どうしてこの親たちは揃いも揃って息子の恋路に首をつっこんでくるのだろうか。

「璃仁、諦めなかったんだね」

 不意に母が真面目な表情になり、璃仁の目を真っ直ぐに見つめた。諦めなかった。そうだ。あの日母から言われた通り、紫陽花に全力でぶつかっていった。その結果、今こうして一緒に花火大会に出かけられる仲まで進展したのだ。

「まあ、そうだね。お母さんの言う通りにやってみたよ」

「そっか。偉い!」

 母が璃仁の頭をわしゃわしゃ撫でる。璃仁が昔、絵のコンクールや読書感想文を書いて入賞したときによくされていたことだ。この歳になってまで同じことをされるなんて思ってもおらず、こっぱずかしい。でも、母のされるがままになっていたのだから、心地よかったのも事実だ。

「そうだ、そんな格好じゃだめじゃない!」

「え?」

「だって、相手は女の子でしょ? 浴衣ぐらい着てくるんじゃない」

「浴衣……」

 そうか。全然考えていなかったが、母の言う通りだ。浴衣姿の紫陽花を想像すると、妄想だけで陶酔してしまいそうになった。確かに紫陽花が浴衣を着るなら自分もそれなりの格好をした方がいいような気がする。でも、どうしよう。璃仁は数えられる程度の服しか持っていないし、それも普通のTシャツや短パンだけだ。