「……詳しくは知らない。でも、紫陽花先輩はパパ活なんかするような人間じゃないんだ」
苦しい答えかもしれない。実際、何人かの女子は璃仁の言葉を聞いて哀れみの目を向けてきた。羞恥で頭が燃えるように熱くなる。そもそもいくつもの視線の中で発言をすること自体、璃仁には出過ぎたことなのだ。
もはやクラスの全員が、璃仁の言葉にじっと耳を傾けていた。誹謗と嘲笑が混じったような視線が肌に突き刺さる。
「お前、紫陽花とどういう関係なの?」
みんなよりも一歩前に進み出て璃仁に食ってかかったのは言うまでもなく海藤だった。
「どうって、単なる知り合いだけど」
海藤に自分と紫陽花の関係を知られるのはなんとなく嫌だった。海藤という男は、璃仁に何か少しでも隙があればそこを嫌らしく突いてくるのだ。今後海藤から紫陽花のことで何らかの攻撃に遭うのだけは避けたかった。
「へえ〜帰宅部のお前が、どうして紫陽花と知り合いなんだろうな?」
下品な笑みを浮かべながら、海藤が「なあ、みんな?」と周囲のやつらに同意を求めた。誰も頷かないが、みな心の中では璃仁のことを笑っているのではないかという嫌な想像をしてしまう。
「俺が誰と知り合いだろうが、海藤には関係ない。それより、海藤の方こそ紫陽花先輩の何なんだ? この間紫陽花先輩にしつこく話しかけてたじゃないか」
璃仁は以前、登校中に紫陽花に言い寄る海藤の姿を目撃している。誰にも言うなと口止めされていたが、この状況で聞かないわけにはいかなかった。
海藤は璃仁の言葉に鼻の穴を大きく膨らませ、荒い息を吐いた。瞬時に頭に血が上っていることが分かったが、同時に何を考えているのか、ふっと表情を緩めた。
「俺だって単なる知り合いさ。知り合いに話しかけるのに何か理由が必要か?」
「でも、あの時紫陽花先輩は嫌がってたよ」
「黙れ」
海藤が指の関節をポキポキと鳴らす音が、静寂に包まれた教室に響いた。それ以上言ったらどうなるか分かってるだろうなという無言の圧力が璃仁の肩に重くのしかかる。本当は海藤が紫陽花に無理やり近づいていたことについてもっと責めたかたったが、璃仁にそこまでの勇気はなかった。
「……とにかく、紫陽花先輩はパパ活なんてしない。それは絶対だ」
「ふ、どうだかな。あの女ならそれぐらいやるだろ。フォロワーだってそうやって集めたおやじたちばっかじゃねえの?」
品のない捨て台詞を吐いて、海藤は教室から出て行った。止まっていた時間が動き出したかのように、頭上からチャイムの音が降ってくる。璃仁と海藤の対峙する様子を見て固まっていたクラスメイトたちも、思い出したかのように動き出す。あと5分もすれば担任がやってくる。それまでに各々授業の準備をするのだった。