月曜日の朝、璃仁はひどく寝不足の状態で学校に来ていた。
 休みの間中金曜日の晩のことを考えていて、昨日の晩もよく眠れなかったのだ。気がつけば午前3時になっても覚醒したままで、いつ眠りについたのか思い出せない。とにかく、朝目覚まし時計の音で目を覚ましてから眠気が身体を襲っていた。
 学校に着くと早速机の上に突っ伏して目を閉じた。まだ始業までには少し時間がある。10分でもいいから寝たいという欲求のままに行動していた。

「ねえ知ってる? 3年生の崎川紫陽花先輩って人、パパ活してるんだって」

 囁くような声に耳がピクリと反応した。誰かは分からない。クラスメイトの女子が「崎川紫陽花」と「パパ活」という聞き捨てならない単語の組み合わせを口にした。

「え、そうなの? 崎川先輩って、あのインフルエンサーだよね? パパ活ってやばすぎ」

 璃仁は、顔を上げずに女子たちの会話を盗み聞きしようと必死だった。
 根も葉もない噂に決まっている。紫陽花がパパ活などするはずがない。そう心で否定する一方で、昨晩目にした紫陽花と男が居酒屋へと入っていく光景がフラッシュバックする。違う。あれはそういう関係ではなかった。いや、そういう関係ではないはずだ。でもそれならばやっぱり紫陽花はあの中年男に本気で恋愛をしているのだろうか。

「なんか男子が昨日見たって言ってたよ。崎川さんと男の人がお店に入っていくところ」

「まじで? それってやっぱりそういうお店なの?」

「そうらしいよー。あんまりよく分かんないけど、男子ってそういう情報に詳しいじゃん」

「うわあ。まじやばい。学校に知られたら退学にならない?」

「うん。少なくとも休学にはなるんじゃない?」

「崎川先輩ってそういうタイプの人だったの? 私、憧れてたのにがっかりした」

「だよね。私も、もうフォロー解除しちゃったよ」

 違う。だから違うって。
 頭の中で声が枯れそうなほど叫んだ。
 紫陽花とあの男はパパ活なんてしていない。でも、証拠はない。誰も信じてはくれないかもしれないけれど、璃仁の直感が告げるのだ。
 紫陽花は初対面では素っ気ない女の子に見えるけれど、本を投げ捨てられ傷ついた璃仁の心にそっと寄り添ってくれた。あの時、璃仁がどれだけ救われた気持ちになったか、今でも鮮明に思い出せる。他人の痛みを共感して慰めてくれる、そんな心根の優しい女の子なんだ。
 ぐるぐると答えのない憶測が頭の中を駆け巡った。そのうち、紫陽花がパパ活をしているということだけは否定したいと切に願うようになった。

「紫陽花先輩は、そんなんじゃない」

 気がつけば顔を上げ、紫陽花のことを噂する女子に向かって叫んでいた。
 女子たちが一斉に璃仁の方を見た。幽霊でも見てしまったかのように、それぞれがぎょっと目を見開いている。少し離れたところから、海藤が璃仁に蔑むような視線を投げかけているのを感じた。

「田辺、どういう意味? なんか知ってんの?」

 気の強い女子の一人が一歩前に出てきて璃仁に問う。しまった。紫陽花とつながっていることをクラスメイトに知られたらまずい。どうしてまずいのか、それはそばで海藤の次の言葉を待っている海藤がいるからに他ならなかった。

 しかしもう手遅れだ。璃仁はしっかりと、紫陽花と何らかの関係性があることを暴露してしまっている。