気持ちが浮き沈みしたまま時間だけが過ぎて、6月も最終日になった。期末テストがあり無心で勉強をしていたせいもあって体重はこの10日間で2キロも減ってしまったから、そろそろ両親に気づかれてしまうかもしれない。璃仁はなるべく母や父とは顔を合わせないようにして日々過ごしていた。
朝早く目覚めてしまったので、そのまま学校に行くことに。普段よりも一時間は早い。朝練のある部活動生以外、学校にはまだ他の生徒が来る気配がなかった。
幸い今日は雨が降っていない。曇り空だけど、連日の雨にうんざりしていた。このまま梅雨が明ければいいのに思う。
校舎に入るまでに体育館と講堂の横を通る必要があるのだが、ふと違和感を覚えて足を止めた。
声が聞こえたのだ。
はっきりとした声ではない。小さな子が啜り泣くようなか細い音だった。ともすれば聞き逃してしまいそうなほどの声なのに、静まりかえった早朝の学校では驚くほど鮮明に聞こえた。
嗚咽と鼻を啜る音がしたのは体育館と講堂の間の空間だった。心臓の音が急速に速くなる。悪趣味だとは思いつつも、確かめずにはいられない。一歩ずつ、その場所に近づいた。璃仁と紫陽花だけが知る狭い通路の入り口にそっと目を向ける。目に飛び込んできたのは、壁の間でうずくまるようにして顔を覆っている先輩の弱々しい姿だった。
「……うぅっ」
いつも凛とした物言いで、SNSでは艶やかな美しさを醸し出している紫陽花。そんな彼女が誰にも気づかれない場所で涙を流している。その事実が、凍りついていた璃仁の心を砕いてくれた。
紫陽花はずっと、本音を見せなかった。出会ったばかりの璃仁の前で抱えている悩みを話すことはなかった。それなのに、璃仁は紫陽花のことを知った気になっていた。自分はこんなにも紫陽花のことを好きなのに、どうして紫陽花は自分を拒絶するのだろうと怒りを覚えた。それがいかに浅はかで自分勝手な感情だったのか、気づかされたのだ。
本当は今すぐにでも紫陽花の隣に行きたい。その背中に触れて抱えているすべてを吐き出させたい。でも、今の璃仁には紫陽花の身体に触れるどころか声をかける資格さえないのだ。
「……」
何もできないまま、璃仁は泣いている紫陽花をそのままに秘密の場所からそっと離れた。
どうして気がつかなかったんだろう。どうして璃仁を拒絶する紫陽花の気持ちをよく考えようとしなかったんだろう。彼女が何の理由もなく、璃仁のことを拒絶するはずがないのに。彼女のことを分かった気になって勝手に怒っていた自分が恥ずかしく、許せなかった。
やっぱり、紫陽花のことを諦められない。
近づこうとすればするほど逃げていく彼女を、なんとかして捕まえたかった。フォロワー10数万人の人気者の彼女に対して、自分に振り向いてもらえると思うことはおこがましいのかもしれない。でも、たとえ恋人になれなくても、他愛もない話をするただの先輩後輩にはなれるはずだ。
誰もいない下駄箱でひっそりと胸に誓いを立てた。