「片想いとかそういうんじゃないけど……先輩から、拒絶されてて」

 これが片想いでなかったら何になるんだろうと心の中でツッコミながらとりあえず「人に拒絶されている」という事実を話した。

「避けられるようなことをした記憶がなくて。まあ、浅い付き合いだったから仕方ないのかもしれないけど……」

 母は何も言わない。ただ璃仁の言葉を黙って頷きながら聞いていた。

「ただその人と、もう一度話がしたいんだ。なんかこのままだとずっともやもやするような気がして。それだけ」

 全てを話すことはできなかった。でも、これだけの言葉でも母には十分だったようで、「なるほど」と神妙に頷いた。母の真剣な表情を見たのは久しぶりだ。普段は家庭を明るく盛り上げようと軽いノリで会話をしているから。だがそれは、一人っ子かつ鍵っ子の璃仁が寂しくないようにと気を遣ってくれていたのかもしれない。そういう母の気持ちに、この歳になって敏感になっている。
 母は、「紅茶でも飲む?」と立ち上がった。「うん」と返事をすると、お湯を沸かして温かい紅茶を入れてくれた。紅茶と蒸しパンは、昔から母の好きな組み合わせだった。滅多に外食をしない我が家にとって、アフタヌーンティー気分を味わえるこの組み合わせが、母にはたまらないのだろう。
 紅茶の香ばしい香りは、荒んでいた璃仁の心を幾分か落ち着けてくれた。紅茶ってこんなにいい匂いだったっけ。あまり紅茶を飲まない璃仁は、紅茶の良さを分かる歳になってしまったのかとジジくさいことを思う。

 紅茶を一口含み、蒸しパンを頬張ったあと、母は「ふう」と息をついた。

「そんなことを悩んでいたのね」

 大事なものが手のひらの中にまだちゃんと残っているのか、確かめるような口ぶりだった。璃仁は「まあ」と素っ気なく答える。

「知らなかったわ。最近あんまり話せてなかったし、知らないのは当然か。あー璃仁も大人になっちゃったのね」

「俺はまだ立派な子供だけど」

「そうかもしれないけど、そういう悩みを抱えていることが大人なのよ」

「そうかな」

「大人になったらそんなことばっかりだって。仕事してたら人間関係に悩むこと多いし」

 あっけらかんとした口調で母が話し出す。璃仁は珍しく、母の言うことを素直に聞いていた。

「だけど、面倒だって思ったらそういう関係ってすぐに切っちゃうじゃない。べつにこの苦手な人と深く関わらなくていいやって。でも、璃仁が今悩んでる相手は、嫌われてでも関わりたいと思う人なんでしょ」

「まあ……そんなところ」

 璃仁の返事を聞いて、母は納得したように頷いた。湯気が立っていた紅茶が少しずつ冷めていく。温かいうちに飲もうと、璃仁は一気に紅茶を飲み干した。

「だったら簡単じゃない。その人に嫌われても避けられても、全力でぶつかっていくしかない。それでまた拒絶されたらまた立ち向かっていく。自分が納得するまでとことん頑張るのよ。相手を傷つけるのはなしだけどね」

 母の目に込められた力が璃仁を圧倒する。言葉通り、真っ直ぐにぶつけられた母の思いが璃仁の心を動かした。