【@kao_kisaさんが新しい投稿をアップしました! お気に入りの投稿を見つけてみましょう】


 電車の窓から差し込んできた朝日のまぶしさに、璃仁(りひと)は思わず目を瞑る。無意識に画面の上を滑らしていた親指を一瞬だけ静止させ再び目を開けると、反射して見にくいはずのスマホの画面に、写真投稿アプリの通知がはっきりと浮かび上がった。
 璃仁自身、写真投稿アプリ自体は鑑賞用で使っている。自ら投稿することはなく、時々こうして流れてくる他人の投稿を見るだけだ。

 今日も、学校の最寄駅に運ばれるあいだ、視界は四角い箱の中に閉じ込められていた。何気なくアプリを開き眺めているだけなのに、そこには璃仁が経験したことのない華やかな世界が広がっていた。友達と毎夜飲み明かす大学生、カラオケで熱唱する男女のグループ、菜の花畑で弾ける笑顔を浮かべる女の子。その中でも一際きらびやかな投稿をしている【@kao_kisa】というユーザーの投稿を、璃仁は人知れず追っていた。ユーザー名は「SHIO」と書かれている。「しおり」さんという名前なのかもしれない。だが、璃仁はこの「SHIO」とは知り合いでもなんでもなく、写真アプリ上で知っているだけだった。彼女は今日、「#新学期 #高校生3年目の桜」というハッシュタグと共に桜の花びらにキスをしているような写真を投稿していた。顔全体は桜で隠れていて、見えるのは艶のある唇と白い肌、少し茶色がかった長い髪の毛だけ。桜の花びらの向こうに、きっと美しい顔をした彼女がいるのだろうと想像が膨らむ。みるみるうちに「いいね」の数が増えていく。「顔見せて」「可愛い」「本当に綺麗」と肯定的なコメントが次々投稿される。璃仁は一足遅れて「いいね」を押した。


1年前くらいだろうか。璃仁が初めて写真投稿アプリを開いた時に、いくつかおすすめの投稿が出てきた。その中に「SHIO」の投稿があった。夕日をバックに花束を抱え、横向きで空を見上げている女の子の写真だった。

「可愛い」

 思わず口にしてから、周囲に誰もいないか確認した。その日、璃仁は高校の入学式に行く途中だった。今みたいに初めての通学電車に乗り、最寄駅を降りて学校まで歩いている時に見かけた幻想のように眩い女の子の投稿にため息が漏れてしまった。
 投稿された写真が本人なのか、はたまた誰か違う人物を撮ったものなのか確かめたくて、
「SHIO」のアカウントを覗いてプロフィール画像を拡大してみると、どうやら写真の女の子は「SHIO」本人らしかった。フォロワーはなんと10万人超。しかし公式マークなどはついておらず、モデルや芸能人でもなさそうだ。単なる一般人でこれほどのフォロワーがいるなんて、自分とは住んでる世界が違うのだと思う。

「お前、今日入学式なのに寝癖ついてんぞ」

 後ろから振りかけられた声に、璃仁ははっと振り返る。しかし、声の主は隣を歩く別の男子へと声をかけたらしく、璃仁に言葉を投げかけたのではなかった。ほっとすると同時に、羞恥が全身を駆け巡る。それほど気にしなくてもいいことなのかもしれないが、璃仁にとって、見た目のこと——特に服装や身だしなみについて指摘されるのは身に堪えることだった。

「こんぐらい大丈夫だって」

「そんなこと言ってたらモテねえぞ」

「おい、入学式の日から不吉なこと言うなよ〜」

 二人は同じ中学校から進学してきたのか、仲良さげな様子で肩を叩き合っている。新しい紺色のブレザーはまだ少し大きく、二人とも制服に「着せられている」感が否めない。でも、璃仁だって端から見れば同じように「着せられている」のだろう。どうか不格好にだけは見えませんように、と密かに祈った。
 周囲を見渡してみれば、璃仁が入学する県立東雲高校の制服を着ている新1年生が公道を占領していた。後ろから自転車に乗ったサラリーマンが気怠げにベルを鳴らすと、女子集団がさっと横に避けた。璃仁は自転車に轢かれないように道の端っこを歩いていた。坂を登ればもうすぐ学校に着く。高校の前の坂道には桜並木がここぞとばかりに植えられていて、入学式の今日、満開を迎えていた。

 普段、癖で下を向いて歩くことが多い璃仁だったが、この時ばかりは咲き乱れる桜の木を見上げながら坂道を登っていた。
 その時、坂道を登りきった場所——つまり、校門の前に佇む一人の女子生徒が目に飛び込んできた。

「あっ」

 自分の口からアホらしい声が漏れたことを、璃仁は意識することすらできなかった。なぜなら、そこにいる女の子が、先ほど写真投稿アプリで見かけた「SHIO」の写真とそっくりだったからだ。
 女子生徒の胸には青色の校章が付いており、璃仁よりも一つ上の2年生だということが分かった。ちなみに璃仁の学年は緑色の校章だ。彼女は桜の写真を撮りたいらしく、スマホを掲げて桜の花を見つめていた。璃仁のことはもちろん視界には入っていない。スマホ越しに桜を見つめるその横顔が、まるで作り物みたいに映って、璃仁は息をのむ。
 桜なんかより、自分を撮ればいいのに——。
 ふと心に浮かんだことが、どれだけ恥ずかしいことかを自覚する前に、後ろから誰かに肩をぶつけられた。

「あ、すみません」

 自分と同じ一年生の女の子だった。友達と喋るのに夢中で前を見ていなかったようだ。

「いえ……」

 璃仁の方も、桜を撮る女子の先輩に見惚れていたので仕方がない。ぶつかった女の子から、再び先輩の方へと視線を写したところ、彼女はもうそこにはいなかった。