□□□
その日は、朝から慌ただしかった。
その理由は、ヘッツから渡された書状にある。
「第一正妃が魔界にいるのは分かっている。魔王よ、すぐにこちらに引き渡せ。さもなくば、貴様にもう一度敗北の二文字を刻んでやろう……だってさ、つーか第一正妃ってどういうこと?」
「勇者は、特にお気に入りの女性を第一から第七まで決めて、正妃にしてるんです」
「節操ねぇなあの変態!」
そう、それは勇者から、魔王である俺に宛てた手紙だった。
聖女の居場所はすでにバレていて、どういうわけか俺が攫って来たことになっている。
「すみません……こんなことになっているなんて。お城に書き置きを残していたんですけど」
「なんて書いたんだ?」
「魔界へ行きますと」
「正直すぎるな」
しかし、どうしたものか。
こうなると勇者は完全に俺を目の敵にしているだろう。
まさか、乗り込んでくるつもりじゃないよな?
やめてくれよ。もう魔界の空気が戦で穢れるのはごめんなんだよ。
「本当に、申し訳ありません……魔王さま。せっかく魔王さまが、苦労して今の魔界を作り上げたというのに」
「聖女? なんの話しをしてるんだ」
「……私、知っているんです。なぜ魔王さまが、十年前の戦いで勇者に負けたのか。それに、魔王さまは人間領を脅かしていたどころが、争いが起こってしまわないように奔走していたことも」
聖女はすべてを知っていた。
そもそも、なぜ魔界と人間領が戦を起こすまでに最悪の関係になっていたか。それは前魔王の俺の父親が元凶だった。
親父は血を血で洗うような、激しい殺し合いを好む真の戦闘狂で、その欲求の対象になっていたのが人間だったのだ。
誰もが親父に逆らえなかった。
魔界で、魔王の力を押しのけられる魔族など存在しなかったから。
そうしてあっという間に数十年と時間は流れていた。人間領も、そして魔界の魔族たちもすでに限界が近かった時期。
人間領では勇者が誕生した。
魔界では子である俺が、親である親父を倒した。
政権を奪い、即位し、すぐに事態の緩和に努めどうにかして混乱を収めようと必死に動き回ったんだ。
だが、それはもう手遅れだった。
俺が即位する頃には、もう勇者の影はそこまで迫っていたのだ。
勇者一行という、最強の矛を手にした人間軍の士気は最高潮に達し、話し合いすら持ちかけられず、せめて被害を抑えようと俺は魔界の手前で勇者を待ち受けた。
一対一で戦いに挑むこと。それが被害の最小だと考え、それに相手も応じ戦いの火蓋は切られた。
だが、相手は馬鹿だった。
ほかの仲間がそばにいるにも関わらず、最終決戦だと感極まり、あろう事か俺に向けて打とうとした必殺技が『絶神級魔法』。
あれは禁じられた魔法のなかでも、一番使っちゃいけないもので。使い慣れていないと敵味方関係なく使用者以外を消滅させる恐ろしい魔法だった。
扱っていい場所もかぎられる。
まず別空間を出現させ、その中に入ってからでないと被害が国一つにもなり得るもので、空間魔法を使えない馬鹿が扱ってはいけない魔法だった。
恐らく教会の人間が、その威力も理解せずに、ただ魔王を倒せると言って勇者に教えたのかもしれない。
俺は絶神級魔法の陣が空に出現したと同時に、すぐに空間魔法の準備をしていた。
人間も一緒に助けたのは、魔族だけ区別する余裕があまりなかったのと、彼らは親父の犠牲者でもあったからという罪滅ぼしの気持ちがあったのかもしれない。
そして、その絶神級魔法が放たれた際に、一番危険な位置にいたのが当時、九歳だった聖女だ。
やむを得ず聖女を俺のもとに引き寄せ、自分を盾に魔法から守ったが……衝撃は強く俺はかなりの重症を負った。
それが、十年前の敗北だった。
人間が魔界を統治することは不可能。俺に勝ったらさっさと人間領に引き返して行ったあの頭の軽さには感謝したが、結果的に俺は負けたのだ。
「……聖女を助けたのはあの一瞬だ。まさか覚えていたなんて知らなかったな」
「私の体にはあなたの魔力の残り香がありました。それから気になって、魔界のことも独断で調べたんです。人間領に被害を及ぼしていたのは前魔王で、魔王さまは関係なかったと」
「いや、関係はあったさ。俺が親父をもっと早く止めてれば、被害は抑えられたんだからな」
それでも、聖女は首を横に振る。
「私、あの時から魔王さまを忘れられませんでした。本当はずっと会いたかったんです。勇者を倒してもらうことも目的でしたが、本当は口実だったのかもしれません」
聖女なのに、悪い女ですよね……と、弱々しく笑う彼女は、決意を秘めた目を俺に向けると。
「だから、私は人間領に帰ろうと思います」
聖女は、真っ直ぐな眼差しで言った。
「な、に、言って?」
どくりと、心臓が大きく跳ねる。
聖女の言葉の意味がすぐに理解できなかった。
「魔界で生活して分かりました。ここはとても温かくて、優しい場所です。私が起こしてしまった問題で巻き込んでいい場所ではないんです」
聖女はゆっくりと、こちらに近づいてくる。
俺の手にある、今朝方送られてきた書状に触れ、それをそっと奪った。
「大丈夫です。まだ、私が帰れば間に合います」
「……聖女」
「私、ここにいる皆さんが大好きです。侍女さんたちも、兵士さんたちも、街にいる魔族の皆さんも……あ、ちょっといやらしいけどヘッツさんも」
それに、と聖女は間を空けて、俺を見上げる。
「私……魔王さまが一番大好きみたいなんです」
ここへきて、聖女は花のような笑顔を見せた。
ああ、馬鹿だな。
手は震えてるし、堪えてるけど涙まで浮かべて、そんなに必死に我慢している。そこまでして無理に出て行こうとしているんだ。
……本当に馬鹿だ、俺は。
「聖女……行かなくていい」
俺は、そっと聖女の頬に触れた。
思わず瞬きを落とした聖女の瞳からは、大粒の滴がほろりとこぼれた。
「聖女が行く必要はない。こんなに震えて、本当は怖いんだろ? 帰ったら何されるか分からない。一人で不安で、そんな女を簡単に行かせる大馬鹿者に俺はなりたくない」
「でも、でも魔王さま……」
「なに、心配すんな。勇者が魔王と戦うために生まれるなら、魔王っていうのは、勇者と戦うために存在してるんだろ? なら俺は、その役目を存分に利用させてもらうだけだ」
「言っている意味がよく分からないですよぉ……」
「はは、俺も」
ボロボロと泣き始めた聖女の濡れた頬を何度も手で拭ってやる。
どこからか「そこは抱き締めるところッス!!」「そうですわ!」「これだから魔王さまは!!」という野次馬の声が聞こえたが、無視だ無視。
――だって。
「魔王さま、私はここへいてもいいんでしょうか?」
「いいんだよ、聖女」
抱き締めたら、この愛らしい笑顔が見られないじゃないか。
□ 〜おまけ〜もしもハーレムだったら〜□
さて、これから勇者への対策を考えないとな。
といっても、すでに打つ手はあるんだが。
「ちょ、ちょ、魔王さま!」
俺が執務机で人間領に送る書状の内容を考えていると、ノックもせず無作法に扉をぶち開けたヘッツが青い顔をして入ってきた。
「おっ前ぇ……なんだよいきなり」
「きゃ、客人ッス!! また人間!!」
「はあ?」
この展開、デジャヴュなんだが。
……
…………
「魔王、一緒に勇者を倒しに行きましょう!」
玉座に腰をかける俺に、そう強く言い放つのは……。
「はあ……女剣士が何言ってんの?」
聖女の次は、女剣士。
俺の受難はまだまだ続くようである。



