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 執務に追われたその夜、俺は浴場で一人のんびりと湯に浸かっていた。

「いーい湯だ、な、ハハッ!」なんて人に聞かれたら恥ずかしい鼻歌を混じえつつ、もう一度身体を洗おうと湯船から立ち上がったとき……

「魔王さまっ、お背中お流しします!」
「ギャー!」

 ざぶん、と水しぶきを飛ばしながら俺は瞬時に体勢を低くする。
 湯気で多少視界が見ずらいものの、確かにそこにいるのは聖女だった。しかし、その格好が衝撃的なものだった。

「布一枚で何やってんだッ!」

 しかも丈が短い。あれでは少し脚を動かしただけでも見えてしまうのではとハラハラする。何が見えるって? 察しろ。
 というか、なんで男の俺の方が身体を隠して悲鳴をあげてるんだ!

「説得するって言ったではありませんか」
「こういう説得は予想外だよ! あっ、動くな! 一歩も動いちゃダメだぞ!」
「そうはいきません、魔王さ」
「ああもう!」

 俺は脱衣場に置いてある風呂用バスローブを浮遊魔法で取り寄せる。空中で広げ、そのまま聖女の身体を覆った。しっかりと紐も結んでやる。これで幾分マシだろう。
 聖女はきょとん、と不思議そうな顔で俺を見ていた。恥じらいも無く、ただこのような行動をとった俺が不思議で堪らないと言いたげな表情である。

 いったい勇者のところで何をやっていたんだよ。勇者も何やってんだよ本当に。俺と戦ったとき放った『絶神級魔法』で自分の理性も召されてしまったのか?

「とにかくだ、浴場には入ってくるな! わかったな聖女」
「……はい。わかりました」

 とぼとぼと聖女は踵を返して出ていく。
 一気に疲労がきた俺は、背を浴水槽の壁に預け、深いため息を吐いた。

「…………聖女、すげえな」


 その後、それだけでは終わらなかった。


「魔王さま、あーんしてください」

 夕食の席。
 なぜか聖女がこちらに体を寄せ、胸を押し付けながら俺に餌付けをしてきた。胸で腕は押されるし、キツいしで、せっかくの風呂上がりも台無しだ。

 きっとこれも説得に必要な小細工の一つなのだろう。激しくズレてるんだよなあこの子。
じっと目を細めがちに聖女を見ると、これも駄目なのかと言いたそうに肩を落としていた。

「……あの勇者(変態)によくやらされていたので、これなら大丈夫かと思ったのですが」
「俺と勇者(変態)が同じ価値観だと思わないで欲しいわ……とりあえず、行儀悪い。ちゃんと座れ」
「あ、はい……」

 聖女は「また失敗です……」と悔しそうに呟いた。まさか数日間、これが続くのだろうか。そう考えると明日を迎えることが少し億劫になってしまった。こんな考えだからヘッツから引きこもり精神とか言われるんだろうな。

 ちなみにヘッツは、聖女に食事を食べさせてもらう(未遂)俺を見て、羨ましそうにしていた。お前ぶれねぇな。



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 聖女の計画はまだ続く。

 魔王城に滞在して数日経過し、さすがの俺も聖女が居ることに慣れ始めていた。
 日中はことある事にアタックされたがそれは可愛いもので、俺は難なく交わしたのだが。

 珍しくこの日、それだけでは済まなかった。

「あー疲れた。今日は早めに寝るか」

 明日は月に一度の謁見会が行われる。
 俺への報告を一人一人、書類を通しながら聞くのでかなり根気のいる時間だが、それぞれの街の代表の民と顔を合わせる良い機会でもあるので必ず月一で行っていた。

 ベッドに身体を預け、明日の流れを確認しながら瞼をゆっくりと下ろしていく。
あと数秒もすれば眠れそう……というところで、

「魔王さま!」

 聖女 が あらわれた ▼

 それもスケスケのネグリジェ姿という強烈な召物で寝所に忍び込んできたのだ。
政務に疲れていた俺は、もう意識を手放したい想いでいっぱいになっていた。

「こんな夜中に、嫁入り前の女が男の寝床に忍び込むな」
「え? ひやっ」

 聖女が高い声をあげる。
 俺は寝所にある適当なシーツを浮遊魔法で聖女の身体に巻き付け、そのまま彼女の滞在部屋へと飛ばした。廊下から微かな叫び声が聞こえるが、一刻も早く寝たかった俺は気にせず枕に身を委ねた。

 次の日の朝。
 聖女は懲りずに俺の寝所へ忍び込んできた。

 朝なら問題ないですよねっ、じゃない。
 それも今度は服の上からでもデカいとわかる胸が、顔に落ちてきて危うく窒息しそうになった。殺す気か。
 正直なところ、寝起きがお世辞にも良いとは言えない俺は、朝からまたスケスケのネグリジェ姿を見せられイラついていた。
 本当にこの娘は分かっているのだろうか。
 ここ数日、誘っているようにしか思えない行動の数々。確信犯だとしてもタチが悪い。まさか、これも勇者のところで覚えてきたのか……。

 寝込みを襲われかけ、寝起きを襲われかける。とんでもない話だ。
 俺だって長年生きてそう簡単に理性が揺らぐことはない、と思う。
 ただ、今はそういう問題ではない。
 聖女があまりにも……

「魔王さ――」
「いい加減にしろ!」

 聖女の言葉を俺は遮った。
 ビクリと震える身体と、初めて見る怯えたような顔。
 俺の肩に触れようとしていた小さな手は宙で空振り、下へ下へと降りていく。

「滞在は許したけどな、限度がある」
「あ、あの」

 後退しようとする聖女の両肩を、俺は勢いよく鷲掴んだ。ビクリとも動かない。無理に動かそうとしても困難で、聖女の力など俺からしたら赤子も同然だった。

「もっと自分を大切にしろ! そんな肌着で城中をうろつくな! あといちいち素肌を見せて誘惑しようとするなよ見え見えなんだからな。とにかく、体をぞんざいに扱おうとするな」
「す、すみませんでした……」

 今まで届いていなかった俺の言葉が、ようやく彼女に響いたような気がした。
 丸く大きな瞳を何度も瞬かせ、ただ黙ってこちらを見詰め返している。
 まずい、怖がらせてしまっただろうか。いっそこれで人間領に引き返してくれるなら有難い気もするが。聖女がそんなことで諦めるとはもう思えなかった。

「少し声を荒らげ過ぎたな。ほら、俺の上着、着てっていいから部屋に戻って着替えな。侍女に替えの服を用意させるから。そもそもあんたの服は布が少ないんだよ」
「それは、勇者(あの変態)の城で勝手に用意されていたもので……」

 結局てめぇのせいかよ! あの勇者(ロリコン)が!!


 ……
 ………

 魔王から上着を拝借し、聖女は魔界滞在中に借りている部屋へと引き返していく。
 日が昇り始めた時間帯なだけあって、静まり返った回廊はどこか冷たい空気が流れている。

 けれど、今の彼女にとっては都合がいいのかもしれない。

「あれ、聖女さん? 起きるの早いッスね」

 曲がり角で鉢合わせしたのは、魔王の右腕と呼ばれる男、ヘッツだった。
 お調子者で女好き、聖女と会うと必ず一度は胸を凝視する清々しい態度の男ではあるが、実は好きな魔族の女の子がいるという話だった。意外と一途(?)なのかもしれない。

「あれ……」

 ヘッツは聖女の様子がいつもと違うことに気づき、疑問に思いながらその顔をのぞき込んだ。

「――え!? 顔が真っ赤ッスよ!? 熱でもあるんスか!」
「違います……」

 聖女は火照った自らの頬に両手を添え、今もなお高鳴る鼓動に耳をすませる。
 
 ――魔王の顔が、頭から離れない。
 いくら自分の体を武器にしても靡かなかった魔王が、今朝ついに感情をあらわにした。
しかもそれは、聖女自身を気遣っての言葉で。幼い頃に聖女として教会に連れられ、勇者一行と共にいるときは決してなかった、初めての扱いに戸惑いが隠せない。

 本当は、あの日から忘れられなかったのかもしれない。
 十年前、魔王討伐で訪れた魔界で――聖女は魔王に命を助けられていた。



 後日。

「魔王さま、羨ましいッス」
「は? 何がだよ」
「何がって、聖女さんの胸に顔を埋めたんでしょう!? なんスかそれ! なんなんスかそれぇ!!」
「ヘッツ。お前には脂肪に押し潰されて窒息死寸前が羨ましく感じるのか。初耳だな」
「ちがう!! オレは!! お胸か、おっぱいか、乳に埋もれて幸せを感じたいんスよおおお!!」

 本当にブレねぇなこいつ。