***


「……あんた、誰だっけ」

 頭部を掻きながら首を傾げるおしるこ男子は、さっぱりといった様子で紫乃を見下ろした。

(あの時は絡まれていたけど、こうして見ると逆の人種のような)

 無造作でぼさぼさな髪だからと「モサ男」と言われていたが、しっかりした体躯といい話し方といい、なんとも堂々とした立ち姿だった。

「私は同じクラスの山田です」
「山田……ああ、山田……悪い、全く覚えがない」
「……ですよね。だっておしるこをこぼして以来、学校に来てなかったもんね、おしるこくん」
「おしるこ……」

 おしるこ男子はまるで『おしるこ』が何なのかをわかっていないような顔をした。その認識に差を感じて、紫乃は念のため尋ねてみる。

「えっと、おしるこって知ってる? あなたが昼休みに教室でこぼした赤茶色の、白くて柔らかいお餅が入っている」
「ああ、おしるこ。あれのことか。……じゃあ、あんたは」

 合点がいったおしるこ男子は、紫乃のことも思い出したようでじっとこちらを見下ろしてきた。

「それで、あんた……」
「山田紫乃」
「紫――じゃない、山田さんは、魔法士なんだよな。この魔法、自然を操るなんて高度な魔法を」

 捕縛された魔獣を横目におしるこ男子が言った。
 そういえば、おしるこ男子で定着してしまったため、彼の名前を紫乃は覚えていない。

「ああ……えっと、このことは秘密にしてくれないかな?」
「秘密?」
「うん。なんというか、正式な魔法士ではないけど、魔女ではあるというか」
「どういうことだ?」
「んんー、ええー……ちょっと前に、魔法が使えるって気づいたので、申告してなくて」
「ちょっと前に気づいただけで、これだけの魔法が扱えたのか?」

 おしるこ男子は目を見開く。

「いや、魔法は前から使えたんだけど、ちょっと説明しづらいんだよね……」

 さすがに前世がポロネス大陸国の民で"紫の魔女"だったと言うつもりはなかった。
 隠しているわけではないものの、殺された立場なので誰彼構わずに軽はずみな発言をするのは避けたい。

「――レオくん。討伐は終わりましたか?」

 次第におしるこ男子から疑念の眼差しを向けられ始めた時、どこからともなく現れたのはエデン講師だった。

「たった今。魔獣は、この山田さんという方が」
「君は……山田紫乃さんですね? 先週、僕と少しお話したのですが覚えていますか?」
「はい、エデン先生」

 紫乃がこの場にいたことに少しの驚きを見せたエデン講師は、ローブの内側に手を入れる。
 取り出したのは、紫乃がどこかで失くしたと思っていた伊達メガネだった。

「これ、階段で落としたでしょう? あなたのですよね?」
「はい、私のです。ありがとうございます」
「いえいえ……それで、あなたは一体、何者です?」

 紫乃が伊達メガネを受け取った瞬間、エデン講師の纏う空気はガラリと変わる。翠色の瞳は警戒の色を含ませ、魔力がじんわりと滲み出ていた。
 隣にいるおしるこ男子――レオと呼ばれた彼の顔色が全く変化していないところを見ると、紫乃にだけ発せられた圧なのだろう。

 その圧が一種の魔法であると、紫乃はすぐにわかった。
 属性は闇。そういえばエデン講師は光と闇の属性を得意としていた。
 そして、紫乃は心底驚いた。
 自分の勘違いでなければ、エデン講師が放とうとしている魔法は、前世のバイオレットが生み出した魔法だからである。

(自白を促し、精神を揺さぶる闇魔法……!)

 この魔法を教えたのは、たった一人だけだった。
 バイオレットの弟子であった、ある一人の少年に。

『お師匠さま、お師匠さま!』

 頭に声が響いた瞬間、エデン講師の魔法が紫乃に襲いかかるような動きを見せる。紫乃は瞬時に防衛魔法を張り、エデン講師の魔法を打ち消した。
 反動で小さな突風が起こり、掛けていた予備の伊達メガネが軽々と吹っ飛んでいく。髪は後ろに靡いてゆき、砂埃から目を守るように紫乃はぎゅっと瞼を閉じる。

「エデン講師……って、もしかして、あの――泣き虫エデン?」

 突風が収まる頃、紫乃はハッとして顔を前に向ける。
 すぐにエデン講師の驚愕した顔が見えて、確信した。

「お師匠、様……?」

 今にも失いそうな言葉を、必死になって紡いでいるような声。
 エデン講師の目は、すべてがあらわになった紫乃の瞳の色を、食い入るように見つめていた。



 ***


「まさか、こんなことがあるなんて。いやぁ、びっくり」

 エデン講師から伝わる重苦しい空気を払拭しようと、紫乃は無理やり明るい声を出す。
 校内では話しづらいことだったので、学校から少し離れた森林公園で改めて話すことになったはいいものの……。

(エデン、ずっと黙ってる。なんか、怒っているし)

 それから気まずい時間が続き、耐えきれなくなった紫乃は隣にいたレオに声をかける。

「ええと、レオ……さん? は、ポロネスの人だったんだね、それでおしるこが何なのかわからなかったんだ」
「レオでいい。そのおしるこというやつは、仮住まいの管理人が持たせたものだったんだよ。どう食べればいいのか知らなくて近くの席のやつに聞こうと思ったら、落としてな」

 前髪をかきあげたレオの瞳は、赤く染まっている。このもっさりとした髪型は瞳の色を隠すためのものだったのだろう。
 そしておしるこ事件後に学校に来なくなったのは、瘴気と瘴気ゲートの浄化をするため京都に行っていたらしい。

「いいねー京都。飛んで?」
「いや、しんかんせん? というやつだ」
「ああ、新幹線。日本に来たのは、留学のため?」
「ああ、そうだ。本来は二学年に編入するはずだったんだけどな、定員数を超えて一年に」
「それじゃあ、レオは一つ歳上なんだね」
「二つ上。三学年は受験? というもので留学生活するには向かないだろうと、留学先に提示されたのは一、二年だけだ」

 そんな規定があるのかと、紫乃は頷きながら聞いていた。
 そしてレオは留学と、魔法士機関の任務で来日したらしい。

 本名で通すこともできたようだが、目立ってしまうからと日本では「鈴木 レオ」と名乗っているそうだ。

「にしても、あんたが"紫の魔女"の生まれ変わりだったなんてな」
「私って、そんなに知られてるの?」
「今のところ、歴史上の人物で一番に名が挙がる」
「歴史上て」

 ちなみにポロネス大陸国は現在、バイオレットの死から18年が経過した。隕石衝突でポロネス大陸国が地球に出現した時点では、バイオレットの死後8年が経っていたことになる。

「……、お師匠さま」

 割って入るように、エデン講師が紫乃の名前を呼ぶ。
 紫乃とレオはぎょっとした。
 今まで黙っていたエデン講師が、ぽろぽろと涙を流していたからである。

「エデン、あの、大丈夫?」
「大丈夫なわけありません。なぜあなたはそんなに平然とされているんです」
「これでも色々とびっくりはしているんだけど」
「あなたは! ……あなたは、亡くなったと聞いていたんです。突然、いなくなってしまって。訳が分からず……あなたを失ったとき、皆がどれだけっ」
「……ごめんなさい」

 急に申し訳なくなってきて、紫乃は肩を落として謝る。
 バイオレットの死後、ほかの弟子を含めエデン講師には多くの混乱を招いてしまったのだろう。

(死んだ原因が聖女教団だってことは、知らないみたい)

「あなたは強い人だった。それなのに、ドラゴンに背後を取られて死ぬなんて……っ」

 どうやら聖女教団は、バイオレットの死因をドラゴンによる襲撃だと知らされたそうだ。全く違うことに教団に対して腹が立ったが、いくら前世の弟子でもポロネスの人間であるエデン講師に教団のことを話すのは躊躇われた。

「ごめんね、死んじゃって。こうしてまた会えて、私は嬉しいよ」

 よしよしと、紫乃はあの頃のようにエデン講師の頭を撫でる。三人の周りには姿消しの魔法を張っているため、制服姿の紫乃がエデン講師に触れていようと見られることはなかった。このご時世、どこで誰が見ているのかわからないので防衛は大切である。

「国に帰れば、きっと皆喜ばれます。紫の魔女が戻ってきたのだと、ほかの弟子たちだって……!」
「それは、ちょっと」
「なぜです!?」
「今の私は山田紫乃で、バイオレットじゃない。ちゃんと山田紫乃として暮らしたいし、紫の魔女だって騒がれて身動き取れなくなるのも困るから」

 きっぱりと断言する紫乃に、エデン講師は残念そうに眉尻を下げた。
 それと、エデン講師のことは思い出せたものの、ほかの弟子たちと言われても実はピンときていない。会えばわかるのかもしれないけれど。

「……では、一つだけ約束してくださいませんか」
「うん?」
「もう、いきなり居なくならないでください。急に死なないでください」
「うん……それは、もちろん。このご時世、急に死んだら大事だし、そう簡単に死ぬつもりはないよ。だって……やりたいこともあるからね!」
「やりたいこと?」

 エデン講師は不思議そうに首を傾け、同じくレオもなんだろうと興味を持った様子だった。


 ***


「お師匠さま、随分と食べますねぇ」
「せっかく鎌倉に来たんだから、食べまくるよ!」
「よくそんなに胃に入るな」
 
 あれから数週間が経過した。
 前世の記憶を思い出した紫乃は、バイオレットのときにできなかった娯楽を大いに満喫していた。

 一人で楽しんだり、こうしてエデン講師とレオを連れたりと、今のところは都内と近場の県に限定して巡っている。

「小町通りを歩いて、この先にある鶴岡八幡宮に行こう。あ、レオは聖女教? それでもお参りはできるけど」

 聖女教団は熱心が信徒が多いため、他宗教を嫌煙する者もいる。念のために聞いてみた。

「違うし、どこも信仰してない」
「そっか。それじゃあ行こう!」

 遊びに付き合ってもらう代わりに、紫乃はたまにエデン講師やレオの手伝いで瘴気と瘴気ゲートの浄化を行っている。バイト代も貰っていた。
 あくまでひっそりと、浄化のお手柄はすべて二人のものにして、紫乃は今まで以上に現代での生活を楽しく過ごしていた。

 学校で紫乃をパシリにしていた陽キャグループは、以前の瘴気ゲート発生の件で停学処分となった。
 というのも、学校で発生した瘴気ゲートの原因は、彼らがイジメていた生徒のストレスが膨れ上がり発生したものだったのだ。
 数週間が経過し陽キャグループは学校に戻ってきたが、ほかの生徒たちから白い目を向けられるようになり、すっかり大人しくなった。

 一応、イジメられていた生徒には精神安定の魔法を後日紫乃がこっそり施したので、しばらくは瘴気が生まれることもないだろう。
 紫乃がいる以上、定期的に瘴気の浄化をしているので、学校はもう安全である。

「あ、見て! すっごいいいね付いた」
「何度見ても不思議なものだな……この小さな道具で、絵が世界中の人間の目に入るなんて」
「写真ね」
「えすえぬえす、というやつだろ」
「そうそう、SNS。これはオンスタグラム」

 日々の記録として投稿していた紫乃だが、これがなかなかにハマってしまい、出かけるたびについつい投稿してしまう。

 さて、次の休みはどこに行こう。なにをしよう。
 紫乃はまた、頭の中で楽しみを一つ一つ増やしていった。