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 二日後の金曜日。
 今日は紫乃の16歳の誕生日だ。

 夜中に母親から「お誕生日おめでとう」という簡素なメッセージと、父親からのギフトメール以外はいつもと変わりない朝。

(誕生日なんだし、ちょっと髪を巻いてみる?)

 姿見の前に立つ紫乃は、すでに制服を着ている。
 学校では友だちゼロの寂しい状況だが、紫乃も年頃の少女なのでオシャレやメイクには興味があった。

(やっぱりやめよ、いつも通りでいいや)

 しかし、いつも一歩踏み出せずに考えるだけで終わってしまう。
 ため息を吐きながら髪を梳かし、結局ヘアオイルだけを塗る。最後に伊達メガネをつけて学校へ向かった。


 二限目は現代魔法史の授業。外来の魔法士が授業をすることになっていた。
 しかもポロネス大陸国から派遣された本場の魔法士ということでクラス中がいきり立つ中、教壇に立ったのはにっこりと笑みを浮かべた若い青年魔法士だった。
 
「なーんだ〜、えろい魔女とか期待してたのに男かよ」

 いつも紫乃をパシっている陽キャ男がゲラゲラと笑いながら言った。

「でも、めっちゃかっこよくない!?」
「背高っ、足長っ、モデル並じゃんっ」

 魔法士のローブを纏う青年の顔立ちに色めき立つ女子生徒たち。そして面白くなさそうな様子でいるのは、陽キャ男たちである。

「こんにちは。今回の授業を担当するエデン・ローザンドです。よろしくお願いしますね」
「はーい、エデン先生〜! 彼女いますかぁ?」
「彼女というより、婚約者がいます」
「婚約者ぁ!? 先生、いくつなの!?」
「今年で24歳になります」
「まだわけーじゃん! じゃあ婚約者とよろしくやってるわけだ」
「……」

 エデン講師の返答にクラスメイトは面白おかしくざわついていた。
 これでは授業が始められそうにないと、後ろで見学している担任や学年主任が頭を悩ませていた時である。

 突然、教室内の光だけが、すべて消えた。

「きゃああっ!」
「え、なに!?」
「おい、なんで真っ暗なんだよ!」

 そう、教室の光という光が消えたことにより、暗闇だけが広がっていたのだ。
 取り付けられた窓や、廊下側の窓に目を向けると、縁取るようにある枠の外の景色が窺える。
 しかし、教室内は依然として変わらず闇だった。

「はい、みなさん静粛に」

 クラスメイトたちが光を求めて廊下に避難しようとした瞬間、暗闇から元の教室の風景が戻る。
 教壇に立つエデン講師はにこやかに笑みを称え、人差し指には小さな魔法陣が浮かんでいた。そして、呆然とするクラスメイトたちにさらりと言ってのける。

「今のが、闇魔法です。僕は光と闇の属性を得意とする魔法士なので、挨拶程度に披露しました。そこの君、もう怖がることはないので席に着きましょうね? ああ、それともお手洗いですか」
「ああっ? ちげぇよ!」

 一目散に廊下へ逃げようとしていた陽キャ男は、顔を真っ赤にして椅子に座り直す。
 ほかのクラスメイトたちもようやく落ち着いたのか、各々席に戻っていく。ちなみに紫乃はその場でじっとしていた。兄から光消しの魔法は聞いていたので、もしかしたらそうかもしれないと思っていたのである。

「静かになったところで、授業を始めましょう。えー、本日は"現代社会のストレスと瘴気の関連性について"ですね」

 先ほどの騒ぎが嘘のように静かに進められる授業に、ほとんどの生徒が釘付けになっていく。
 紫乃も同じく、エデン講師の講義に耳を傾けた。

「この地球という場所は科学技術も高度に発達し、便利で快適な生活が実現しているわけですが、ストレス社会とも呼ばれています。競争社会、管理社会……君たちがこれから味わうであろういや〜な現実ですね」

 あはは、と笑うエデン講師だが、聞く側からすればあまり笑えたものではない。

「ストレスとは様々な要因で引き起こされますが、もちろん集団生活を行っている君たち生徒も日々ストレスを蓄積しています。そして、ストレスから引き起こされる現象が――瘴気です」

 エデン講師は、教卓の上にとある器具を置いた。

「こちらは魔導具と呼ばれるものです。この魔導具の中には、少量の瘴気を閉じ込めてあります」

 魔導具の中には、霧を黒く染め上げたような「瘴気」があった。
 教室中から、生唾を飲むような音が聞こえる。
 普段瘴気というのは魔法が使えない者には見えず、魔素を取り込んで視力補助を行える魔法士だけが見えるものだった。

 しかしエデン講師が持つ魔導具には、一般人でも瘴気を視界に捉える機能があるらしく、皆新鮮な反応をしていた。

「いわゆる"悪い空気"というもので、排気ガスとはまた違いますが、これは人々の精神に大きく干渉し、酷い場合は廃人になったりします」

 さらには、とエデン講師は付け加える。

「瘴気が一箇所に密集すると、裂け目となり魔物や魔獣が現れ、これが瘴気ゲートになります。瘴気ゲートまでになると一般人でも目視可能になり、街中に出現する魔の生き物は、大抵が瘴気ゲートを渡ってきたものたちですね」

 ストレスによる悪影響な空気は、大気中の魔素が染まりやすい。そして染まった魔素が瘴気となり、さらなる被害に繋がる。

「瘴気は多く発生する前に消さなければいけません。そして瘴気を消す行為を『浄化』といい、これができるのは魔法士の中でもさらに限られた人間だけです。あ、僕も少しなら浄化魔法が使えますよ。多すぎると逆に取り込まれてしまうので見極めは大切です」

 授業はストレスと瘴気の関連性から、次の話題に移る。

「もし街中で瘴気ゲートが現れたら、速やかに浄化魔法を扱える近くの魔法士に報せましょう。浄化魔法が使えるか使えないかの区別は、このブローチでわかります」

 そうしてエデン講師がローブに取り付けたブローチを皆に見せた。

 魔法を司る者の頂点であり、全魔法士の最終目標ともなるのが『魔総師』。
 その下には数多くの魔法士が連ねるわけだが、一括りに魔法士といっても、それぞれ階級があった。

 一番下が九級位……これは魔法士アカデミーに入学した者が、初めに与えられる位。アカデミーの生徒は卒業までに、この数字階級の上位である一級位になることが規定として決められている。

 そして九から一まで上がると、次は色によって分かれる。
 それを(しき)階級といい、下から白、赤、橙、黄、緑、青、紫と分けられ、数字階級の魔法士は数が刻まれた星のブローチを、色階級の魔法士はそれぞれの色に染められた水晶石のブローチを所持していた。

「僕は緑色の水晶石なので、緑水晶(グリーンスコア)の色階級魔法士ということですね。浄化魔法が扱えるのは、だいたい赤水晶(レッドスコア)からです。これは小さい頃にも教わりましたね?」

 防災訓練と同じく、瘴気ゲートが出現した際の訓練は小学校低学年から何度か行っている。
 紫乃はぼんやりと当時のことを思い出しながら、授業内容をノートに書き記した。
 カッ、カッ、とひとりでにチョークが動いている様は奇妙であるが、これも魔法なのだと好奇心を押し込める。

「ここまでで、なにか質問はありますか?」
「エデン先生、じゃあ魔総師が紫水晶で一番強いってことでいいんですか?」

 どこからか飛んできた問いに、エデン講師の動きが一瞬止まった。

「……それは少し、語弊がありますね」

 ふと、黒板のチョークが方向を変えて、ある文字を書き始めた。
 口を閉ざしたエデン講師は、その文字を見つめて目を細める。

「――紫の魔女?」

 誰かが、ぽつりとつぶやいた。
 記号のようなポロネス大陸国の文字の横には、読み仮名が書かれていたので難なく読むことができたものの、紫乃は目が離せなくなった。

「もともと紫水晶とは、ある一人の魔女にのみ贈られた特別称号でした。その魔女は短期間のうちに魔法文明の礎を築き、さらなる魔法の発展を追い求めたお方です。その方の尊称が"紫の魔女"といいます」

 生徒たちは「へえー」と聞いていたが、紫乃は原因不明の胸騒ぎが治まらず、ぎゅっと胸元を押さえ込んだ。

「"紫の魔女"は亡くなり、その後に魔総帥が紫水晶となりましたが、現総帥と"紫の魔女"の実力には雲泥の差があると思います」
「つまり、その"紫の魔女"が一番強かったってこと?」
「……そうなりますね」

 エデン講師は少しだけ嬉しそうに笑んだ。

(紫の魔女、紫の魔女……どうして、こんなに気になるんだろう)

 自分の目の色が紫になりつつあるから妙に意識してしまうのかもしれない。
 結局、急にやってきた胸騒ぎはなかなか治まらず、紫乃は授業が終了するまで耐え続けた。

「そこの君、どうかしましたか?」

 授業後、堪らず席を立った紫乃は、階段付近でエデン講師に呼び止められた。
 彼は不思議そうに首を傾げて、こちらに近寄ってくる。
 
「先ほどのクラスの生徒さんですよね。熱心にノートを取ってくれていたので覚えています。途中から様子が少しおかしかったような気がしましたが、もしかしてどこか具合でも……」
「な、なにも……! 大丈夫です!」

 背の高いエデン講師が紫乃の顔色を覗き込もうとしたところで、慌てて首を反対方向に動かした。

 勢い余って伊達メガネははずれ、音を立てながら階段下まで落ちていく。それすら今は気にならず、紫乃は下を向いたまま走り出す。

「わ、私、今日は早退します!」
「え、それ僕に言われても――」

 唖然としたエデン講師の言葉を背に、紫乃は胸を押さえて学校を飛び出した。