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 学校でのことも悩みのひとつだが、それよりも紫乃には重大な問題があった。

「また、濃くなってる。どうして?」

 自宅の洗面台の鏡をじっと見つめて、紫乃は執拗に瞳の色を確かめていた。
 小さいころは、たしかに目の色は真っ黒だった。
 それなのに気がついたら徐々に紫色に変わり始めていて、今では黒よりも紫みのほうが強くなってしまっている。

 調べたところ目の色というのは後天的に変わることはないらしい。それなのに年々、鮮やかな紫に色づいていく現象に恐怖を感じた。
 眼科に行っても原因不明といわれ、その他に身体的な影響はないものの、周りに紫の瞳をもつ人はいない。
 
 カラーコンタクトと言い張るには色合いが恐ろしく鮮やかで、妙に惹き付けられる。悪目立ちしないように黒いカラコンを装着しようとしたときもあったが、体質的に合わず粘膜が腫れてしまったので早々に諦めた。
 そのため紫乃は、なるべく瞳を晒さないように学校ではぶ厚い眼鏡をかけて過ごしていた。

「ふー……」

 自宅マンションは都内唯一の中核市、八王子。
 賑やかな駅前から五分ほどの距離にある。
 部屋のベランダから外を一望する紫乃の視界には、幾人もの浮遊者が飛んでいる。

(いいな。私にも、お兄ちゃんみたいに魔法の素質があったらよかった)

 10年前、紫乃が五歳の頃。
 日本の太平洋側に落ちた隕石によって世界は大きく変わった。
 魔物、魔獣といったファンタジー的要素満載な生き物が至るところに蔓延るようになり、それに伴い魔法士の存在が確立されたのだ。

 魔法士とは、窒素や酸素、アルゴンといった大気物質に混じって発生する「魔素」を用いて魔法現象を操る人々の呼称だった。
 さらに区別すると、男性なら魔法使い、女性なら魔女と括る場合もある。
 専用の魔法具を身につけることにより、水や炎、風や雷、その他にも色々な魔法を発現させることができた。

 元々は隕石落下後に現れた「ポロネス大陸国」の民だけが扱える御業のようなものだったが、地球に魔素が溢れるようになってから現代人にも魔法の素質ある者が誕生するようになった。
 紫乃の兄、燈真もそれに該当する。
 そして現在は魔法士のいろはを学ぶために、ポロネス大陸国首都にあるポロネス魔法士アカデミーに留学中であった。

 残念ながら紫乃には兄のような魔才はなく、日本で寂しく暮らしている。
 両親はとっくの昔に離婚済み。
 父親が兄の、母親が紫乃の親権を握っている。

 お互い経営者ということもあって衣食住に困ることはないものの、多忙な母親が帰宅することはなく、広いマンションで一人きりだった。

(空を飛べたら、楽しいだろうなぁ……)

 絨毯や箒で自由に浮遊する魔法士たちを見て、いつも羨ましく思う。鬱蒼としてしまう気持ちも、空を自在に飛べれば晴れる気がする。
 
 今日も今日とて紫乃がぼんやりと夕日と浮遊者を眺めていると、部屋着のポケットに入れていたスマホが「ミョン」と鳴った。
 確認すると、ポロネス魔法士アカデミーにいる兄からの通知だった。

《とーま兄:紫乃、もう夕飯は食べたか? 風呂は? 歯磨きは? そっちはまだ肌寒いだろうからあったかくしろよ! 高校はどうだ? 友だちは焦って作るもんじゃないからな、ゆっくり合いそうなやつを見つけてもいいし、無理につるむ必要なんてねーぞ。それと、同級生とか上級生にちょっかい出されてないか? さっきネットニュースで学校でのトラブルってやつがトレンド入りしてて焦ったよ。もし変な言いがかりとかパシリなんてさせられたら兄ちゃんに言うんだぞ、すぐにでもそっちに戻って……いやそんなことよりも紫乃は可愛いからな。ストーカーとか不審者に気をつけて、なんかあったときは迷わず足を――』

 その後も兄の長文は続いている。
 最後に《今夜から一週間ぐらいギルドの依頼で首都を離れるから、スマホが使えない(ぴえんマーク)。誕生日プレゼントは先に送っておいたからな。当日の夜頃マンションに届くはずだ》と締めくくってあった。

 スマホの電波がポロネスの首都に入るようになったのは最近で、それまでは手紙でやり取りをしていた。
 スマホでメッセージを送れるといっても日によってばらつきがあり、電話もまだ繋がらない状態だが、それでも10年前よりはマシになったらしい。

 ご覧の通り、兄は妹の紫乃に関してはかなりの心配性である。
 実際パシリをさせられているなどと言えば本当に海を越えて飛んできかねないので、学校でのことは秘密にしていた。
 兄の長すぎるメッセージを見ていると、紫乃は心を強く保てる。どうやらアカデミーでも優秀な成績を残しているという燈真は、紫乃にとって自慢の兄だった。

(ギルドで依頼だって、燈真兄はファンタジーのど真ん中を生きているなぁ)

 そうして紫乃は兄にメッセージを送り返す。
 今日は電波の調子がいいらしく、すんなり感謝スタンプが押せた。

(……誕生日、もう明後日なんだ)

 瞳の色の話は兄にもしていた。
 けれど紫乃には、もう一つ誰にも言えていない心の内がある。

 それは、誕生日を迎える毎に強まっていく心の違和感のようなもの。
 昔から漠然と、自分は本当に自分なのかと疑問を感じることがあった。
 なにか忘れてしまっているような、大切なものをすんでのところで思い出せない気持ちの悪さ。

 これが一体なんなのかわからないが、以前こっそりネット掲示板の『ぐるぐる知恵袋』で投稿してみたところ――

《うわでたでた〜、現代魔法史が浸透し始めてから、こういう輩増えたよな。自分が何者か迷走しちゃうやつ》
《懐かしい。右手や右目が疼いたりしてる? 大丈夫、魔才がないなら一昔前に流行った中二病の類だと思われるから》
《多感な年頃だとある種陥りやすいものだから自然に治まるのを待て》

 という回答が返ってきた。
 自分以外にもいるんだ、という安心感と、あまり人前では言わないほうがいいという助言から、今まで自分の中でのみ解決していた事象だったものの。

(高校生になってもこれって、いつまで続くんだろう)

 自然に治まるどころか、さらに焦燥感のようなものが生まれているので紫乃は困っていた。

 誕生日は目前だ。
 もし、それを過ぎても治まる気配がなかったら、今度は兄に相談しようと紫乃は決めた。

 アカデミーに通う兄ならば、なにか原因を知っているかもしれないという希望を持って。