隕石が日本の太平洋側に落ちたのは、元号が変わって数年が経った頃だという。

 けれど落ちた隕石は衝突直後に跡形もなく消滅し、空いた海の大穴からは恐ろしい怪獣が次々と現れた。
 その怪獣はあとに、魔物、魔獣と呼ばれるようになる。

 隕石衝突による影響はそれだけではなく、魔物や魔獣のほかに「大陸」を出現させた。
 およそ北海道三倍の面積がある謎の大地は、「ポロネス大陸国」という、異世界の国であった。

 ポロネスの民は、魔法という特殊な力を使って日本に侵入した魔物や魔獣を討伐した。
 魔の獣は魔力を行使した攻撃しかダメージを与えられず、現代の軍事力をものともしなかったからだ。

「わあ、おっきいかいじゅう! シノならね、バーンってたおせちゃうよ!」

 その歴史的瞬間を両親が青ざめていることも知らず、魔法少女やヒーローに憧れていた山田紫乃は、テレビの前で兄と一緒にけたけたと笑っていた。

 それが今から、10年前の出来事。
 あれから世界は大きく変わった。


 ***


 紫乃は平凡な学生である。
 都内出身、今年の春から都立高校に通う花の女子高生。

「おい、だーやま。早く全員分の飲み物、買ってこいよ」
「……わかった」

 いかにもな風貌の不良――ではなく、いわゆるカースト高めな位置にいるグループの男子からの「お願い」に、紫乃はひとつ頷いた。

(お金をくれるだけ、マシではあるけれど)

 千円を受け取った紫乃は、ため息を吐きながら階段のほうへ向かっていく。

「きゃはは! 山田、すっかりアンタらのいいなりじゃん」
「女子にパシリとか、かっこわる〜」
「何いってんだよ、俺らはお願いしてるだけだし。嫌なら嫌って言えばいーんだよ」

 そんな会話が後ろから聞こえてきて、紫乃はさらに嘆息を深めた。


 馬鹿なことしたな、とは今でも思う。
 見ないふりをしていれば紫乃の高校生活はもっと平穏だったのだ。
 紫乃がクラスの性悪陽キャグループに目をつけられるようになったのは、入学して一週間が経った頃のことである。

 人見知りを発揮した紫乃は、一週間が経っても友達の一人もできず、昼休みも窓際の席に座って読書をしていた。
 そんなとき、教室の後ろから騒がしい声が聞こえてきて振り返ると、性悪陽キャ男に絡まれている前髪長めの地味男が目に入った。
 とはいえ、紫乃も黒髪に分厚い底の黒縁眼鏡をしており、前髪も長くて見た目だけでいったら地味男と大差ない。
 むしろ高校生としてはこれが普通だとも思うが、この学校の生徒は妙に洒落っ気がありキラキラしているのである。

 で、どうやら地味男は机に置いていた持参のおしるこを盛大にこぼしたようで、それが性悪陽キャ男の脚にかかり口論になっていたらしい。
 紫乃を含め、「なぜ、おしるこ?」とは思ったが、それよりも事態が悪い方向に進んでいることに嫌な汗が出た。

「てめぇ、どうしてくれんだよ!」
「……立ち上がろうとしたら、消しゴムが落ちているのに気づかなかった。それで、体勢を崩し」
「んなことどうでもいいんだよ! 脚はあちーし、制服は汚れてるし、治療費とクリーニング代合わせて10万払えや」

 そのとき紫乃は、心の中で「あ」と声を出していた。
 おしるこ男子が踏んだという消しゴムが、昼休み前の授業で無くしたと思っていた紫乃のものだったからである。
 なんだか凄まじい罪悪感が押し寄せ、さらに背中には汗が滲んだ。

(私の消しゴムがあの位置に転がっていなければ……)

 今さら悔いても遅い。
 思い悩んでいると、さらに大きな声が教室中に響く。

「おい、話聞いてんのかよ! モサ男が!」

 自分よりも背の高い地味男に掴みかかろうとする性悪陽キャ男が目に入った瞬間、紫乃は動いた。

「10万は……さすがに、ぼったくり過ぎじゃないですか……」

 なんとも弱々しい、震えた声だった。
 自分の声だというのに聞いていて恥ずかしさに見舞われる中、紫乃は掴みかかろうとしていた性悪陽キャ男の腕を掴む。

「はあ? なに、お前」

 紫乃を目に映した瞬間、明らかな嘲笑が相手からこぼれた。

「なになに? なんなの? まさかこのモサ男くんとデキてる感じ? なあなあ、地味子ちゃん」

 注目の対象が紫乃に移る。
 紫乃は心の中で「やってしまった」と頭を抱えた。

 自分の落とした消しゴムが元凶でという、ちょっとした罪の意識と正義感が出たばかりに、こんなことになってしまった。
 人見知りはするし、気弱だし、引っ込み思案だという自覚は紫乃にもあった。
 けれど、それに反して誰かが困っていたり、傷つけられそうになっていたりすると、後先考えずに体が勝手に動いてしまうことが多々あった。

 それは無邪気だった幼い頃に、魔法少女やヒーローといった特殊な力を持つ存在に憧れていた結果なのかもしれない。
 今回は消しゴムのことがあったものの、紫乃にはこうして、たまに自ら面倒ごとに突っ込んでしまう癖のようなものがあった。


(あーあ……私の高校生活……)


 結局、クラスで一番のカースト上位のグループに目をつけられた紫乃は、お願いと称してパシリ要員にされてしまったのである。
 それから二週間、購買と教室を何往復したかわからない。

 ちなみにあの「おしるこ男子」は、紫乃がパシリ認定された次の日から一度も学校には来ていなかった。