「おたくの八重さんと、うちの浅黄を結婚させたい」
そう斎藤家に宮森家から縁談の話が来たのは、そのあとだった。パーティーで会った老人――浅黄の祖父――がそう切り出して、叔父も叔母も大歓喜だった。もみ手をしながら、老人の言葉を正す。
「ええと、パーティーでも申しましたように、娘の名前は八重ではなくあやめですね。しかし、お話、大変うれしく存じます。是非、このお話を進めて頂きたい」
あやめも大層喜び、すぐさま結納の日取りを決めた。とんとん拍子に話が進んで、あっという間に今日は結納の日である。客間が綺麗に整えられ、使用人たちは庭や玄関、廊下などをピカピカに磨き上げるので大忙しだ。
そんな中、八重は浅黄の祖父に名前を間違えられていることから、名を呼ばれないよう、家を出ていなさい、と命じられた。追い出される時に当たり前のように木の棒で腕を殴られ、八重は仕方なく浅黄に借りたままの本を持って、あの公園を訪れた。公園はもう桜の盛りになっていて、花見に訪れる人たちもちらほらと足を止めていた。八重はその中で浅黄がいつも使っていた長椅子に座り、読みかけのページをめくった。
うららかな春の日差しの許、やわらかな風が八重の頬を撫でる。ページをめくる時に、使っていた栞が風に吹かれて八重の手元からひらりと飛んだ。
「あっ」
視線を本の文字から栞の飛んで行った方に向けると、朗らかな顔で八重を見つめる浅黄がそこに居た。浅黄は落ちた栞を手に取ると、驚きの顔をして八重を再び見た。
「八重さん。これで僕は、ますます気持ちを固くしたよ。準備は整った。僕と一緒に来てくれ」
浅黄は八重に栞を返すと、八重が本に栞を挟んだのを見届けてから、八重の手を引いた。浅黄は間違いない足取りで斎藤家へ向かい、客間で待っていたあやめたちと浅黄の祖父、両親の前に姿を現した。あやめは初めて見る浅黄の姿にほおを紅潮させて見とれた。
「おお、浅黄。どこに行っていたんだ。お前の結納だぞ」
浅黄の父親と思しき人がそう言い、座れと促す。しかし浅黄は部屋に一歩入ったままで、部屋全体を見渡した。
「父上母上、おじい様。僕が結婚したいのは、この桜を大事にしていた彼女です」
そう言って、浅黄は八重の背に手を当て、彼らに八重を紹介した。あやめたちが仰天した様子で次々と声を発した。