自由恋愛が認められた、二十一世紀の日本の恋人達が、外因的な力で引き離される理由は限られている。遠距離、死別、経済的問題…… そして、時世だ。
「やっぱ、今月も、会えない……?」
「……仕方ないですよ。どんな病気か、まだはっきりしてないですし」
「でも、もう半年だよ……」
「バイトで会えてるじゃないすか」
「営業時間短くなってシフト減らされたし、私は掛け持ち始めたしで、顔合わせるのでやっとじゃない……」
苛立ちを含んだ涙声で、栗色のストレートヘアの二十代半ばの女性が、微かに鼻をすすり、呟く。
春と呼ばれる季節が、桜と共に瞬く間に去り、汗ばむ陽気と湿度を帯びた五月雨が繰り返され、雨模様の続く梅雨が終わったばかりの、ある蒸し暑い盛夏の夜。一組の男女が、パソコンのモニター越しに深刻な面持ちで話していた。
大学三回生の龍彦とフリーターの詩織。詩織が働いていたチェーン系列の本屋に、龍彦がバイトで入ってきたことで知り合った。彼女の方が先輩で、二歳年上ということもあり、彼の新人教育を任された。が、龍彦は頭が良く書籍の知識も豊富で、あっという間に研修マニュアルも覚えてしまった。
間もなく、他の先輩のミスまで律儀に指摘するようになり、周りから少々敬遠される中、『立場ないなぁ』と苦笑し、詩織がフォローした程だ。
推理系やミステリー小説を、今では珍しくなった紙媒体で持ち歩き、休憩時間に必ず読みふける彼に、同じく紙媒体の小説や詩集が好きな彼女は、好感と共に興味を抱いた。
寡黙で感情表現が乏しい龍彦に、気遣いながら一生懸命話しかけ、少しずつ話すうち、愛読するジャンルは違うが、何故か一緒にいて心地よく、やがて私生活でも会うようになった。そんな二人が交際するまで至るのに、さほど時間はかからなかった。
『付き合って……くれませんか、俺と』
そう、たどたどしくも、はっきりと告白したのは、意外にも龍彦からだった。まさか彼が言ってくれるとは思わず、年上の自分から告げるべきか、自分の事をどう思っているのだろう、と悩んでいた詩織は、すぐには信じられず、驚きと歓喜で涙してしまった。そんな自分とは違う魅力を持つ彼女に、彼も惹かれていたのだ。
何気ない話題も、二人でなら楽しめた。一緒にいるだけで、芯から安らげた。お互い、交際経験は一、二回あったが、こんな付き合いは初めてだ。それなのに……
「なんで、こうなったんだろうね……」
幾度も繰り返し、口にしてきた言葉を、詩織は改めてぼやくように吐き出す。
それは、本当に、ある日突然だった。春の嵐、竜巻のようにやってきた……いや、始まったと言うべきだろうか。新型の感染症が世界中で猛威をふるい出した。
使い捨てマスクやハンドソープが、街中からあっという間に消え、生活の為に外出しざるを得ない二人は、なんとか手に入れた布と古着を詩織がリメイクした、数枚の手作りマスクを洗っては繰り返し使っていた。
『こういうのも悪くないね』……なんて、少々不恰好なお揃いのマスクを着け、なるべく暗くならないよう振るまっていた彼女が、龍彦には眩しかった。
しかし、間もなく国から出された『生活に不要な外出は全て禁止』という要請で、外でも家でも会う事を諦めざるを得なくなり、三ヶ月が過ぎた頃には、詩織はすっかり元気を無くしてしまっていた。
付き合い出してから、一年が過ぎた。七月六日。それが、二人の記念日……龍彦が告白した日だ。
『本当は、明日、言いたかったんですけど…… 都合つかなくて……すいません』
そう、頬を薄紅に染めながら彼が詫びた時の様子、景色、温度全てを、詩織は今でも鮮明に覚えている。出会って間もない頃の事。
『龍彦くんって、いうの? すごい偶然。私、詩織。彦星と織姫……七夕だね』
……なんて、話しかけるネタを作りたいのと、意識しているのを誤魔化したいのもあり、わざと冗談めかした事があったのだ。そんな自分の発言を覚えて気にしてくれたという、大切な思い出の一つでもある名前が、今となっては恨めしく、悲しくなる。
交際一年を祝うデートも出来ないでいるうち、日に日に蒸し暑い日が増え、気温はうなぎ登りになった。気づいた時にはもう、蝉がけたたましく鳴く、八月になっていた……
「やっぱ、今月も、会えない……?」
「……仕方ないですよ。どんな病気か、まだはっきりしてないですし」
「でも、もう半年だよ……」
「バイトで会えてるじゃないすか」
「営業時間短くなってシフト減らされたし、私は掛け持ち始めたしで、顔合わせるのでやっとじゃない……」
苛立ちを含んだ涙声で、栗色のストレートヘアの二十代半ばの女性が、微かに鼻をすすり、呟く。
春と呼ばれる季節が、桜と共に瞬く間に去り、汗ばむ陽気と湿度を帯びた五月雨が繰り返され、雨模様の続く梅雨が終わったばかりの、ある蒸し暑い盛夏の夜。一組の男女が、パソコンのモニター越しに深刻な面持ちで話していた。
大学三回生の龍彦とフリーターの詩織。詩織が働いていたチェーン系列の本屋に、龍彦がバイトで入ってきたことで知り合った。彼女の方が先輩で、二歳年上ということもあり、彼の新人教育を任された。が、龍彦は頭が良く書籍の知識も豊富で、あっという間に研修マニュアルも覚えてしまった。
間もなく、他の先輩のミスまで律儀に指摘するようになり、周りから少々敬遠される中、『立場ないなぁ』と苦笑し、詩織がフォローした程だ。
推理系やミステリー小説を、今では珍しくなった紙媒体で持ち歩き、休憩時間に必ず読みふける彼に、同じく紙媒体の小説や詩集が好きな彼女は、好感と共に興味を抱いた。
寡黙で感情表現が乏しい龍彦に、気遣いながら一生懸命話しかけ、少しずつ話すうち、愛読するジャンルは違うが、何故か一緒にいて心地よく、やがて私生活でも会うようになった。そんな二人が交際するまで至るのに、さほど時間はかからなかった。
『付き合って……くれませんか、俺と』
そう、たどたどしくも、はっきりと告白したのは、意外にも龍彦からだった。まさか彼が言ってくれるとは思わず、年上の自分から告げるべきか、自分の事をどう思っているのだろう、と悩んでいた詩織は、すぐには信じられず、驚きと歓喜で涙してしまった。そんな自分とは違う魅力を持つ彼女に、彼も惹かれていたのだ。
何気ない話題も、二人でなら楽しめた。一緒にいるだけで、芯から安らげた。お互い、交際経験は一、二回あったが、こんな付き合いは初めてだ。それなのに……
「なんで、こうなったんだろうね……」
幾度も繰り返し、口にしてきた言葉を、詩織は改めてぼやくように吐き出す。
それは、本当に、ある日突然だった。春の嵐、竜巻のようにやってきた……いや、始まったと言うべきだろうか。新型の感染症が世界中で猛威をふるい出した。
使い捨てマスクやハンドソープが、街中からあっという間に消え、生活の為に外出しざるを得ない二人は、なんとか手に入れた布と古着を詩織がリメイクした、数枚の手作りマスクを洗っては繰り返し使っていた。
『こういうのも悪くないね』……なんて、少々不恰好なお揃いのマスクを着け、なるべく暗くならないよう振るまっていた彼女が、龍彦には眩しかった。
しかし、間もなく国から出された『生活に不要な外出は全て禁止』という要請で、外でも家でも会う事を諦めざるを得なくなり、三ヶ月が過ぎた頃には、詩織はすっかり元気を無くしてしまっていた。
付き合い出してから、一年が過ぎた。七月六日。それが、二人の記念日……龍彦が告白した日だ。
『本当は、明日、言いたかったんですけど…… 都合つかなくて……すいません』
そう、頬を薄紅に染めながら彼が詫びた時の様子、景色、温度全てを、詩織は今でも鮮明に覚えている。出会って間もない頃の事。
『龍彦くんって、いうの? すごい偶然。私、詩織。彦星と織姫……七夕だね』
……なんて、話しかけるネタを作りたいのと、意識しているのを誤魔化したいのもあり、わざと冗談めかした事があったのだ。そんな自分の発言を覚えて気にしてくれたという、大切な思い出の一つでもある名前が、今となっては恨めしく、悲しくなる。
交際一年を祝うデートも出来ないでいるうち、日に日に蒸し暑い日が増え、気温はうなぎ登りになった。気づいた時にはもう、蝉がけたたましく鳴く、八月になっていた……