「おひさしぶりでーす」
 女性の元気な声が店内に響く。久々の来店、女性の方は二回目の来店だ。印象深い二人なので記憶に残るお客様だ。一人は人気女優の姫野美雪、もう一人は常連客となってしまった人気作家の黒羽さなぎだ。

「今日はおそろいでお越しですか?」
「はじめてのデートはここで、と思ってこの店探していたんですよ」

 美人女優は以前よりも生き生きしていた。実際、さらに売れっ子になってテレビで見かけない日はないくらいCMにも複数出ているし、ドラマでは高視聴率をたたき出し、映画でも主演を務めるなど活躍は幅広い。

 でも、横にいる黒羽という不気味な雰囲気の男はまだまだ世間的には認知度は低く、ウェブ小説で拾い上げされ書籍化の打診がきたという程度にしかまだ時間は流れていなかった。少々未来が変わっており、新人賞ではなくウェブ小説での拾い上げということがまず違う。未来は虹色程度には果てしなくパターンがあるという話の通りになった。見た未来が全てではない。しかし、二人の願いはかないつつある。

 女優、姫野美雪はどこで黒羽と知り合ったのだろう。まだ映画化されるまでには至っていないはずだ。姫野は明るく楽しそうだが、横にいる暗そうな雰囲気と不気味さしか醸し出していない男は迷惑そうな感じで、どう見ても楽しそうではない。しかも、二人が並ぶと外見的には釣り合いが取れそうにない。黒羽は相変わらずの上下黒ジャージといういでたちにぼさぼさの髪の毛、目は前髪に隠れていて全く見えない。猫背姿勢も変わらずだ。黒羽は背が低い上、猫背なのでハイヒールを履いた姫野と並ぶと同じくらいかもしれない。いや、姫野よりも黒羽は小さく見える。

「いらっしゃいませ。今日は二人でのご来店ですね」
「ぐひひ……どうも。おかげで夢はかなったけれど、この女が付きまとう未来は知らなかったし、迷惑っすね、ケケケ……」
 相変わらずのくせのあるしゃべり方をする黒羽。白い歯が光る。
「あの日、未来で読んだ本、未来の俺氏の作品だろ、ぐひひ……」
「気づいていましたか?」
 アサトはいつもどおりの涼しい顔だ。

「ぐひひ……俺氏の本名って黒羽っていうんだよ。本名は「なぎさ」なんだ。なぎさを並び替えれば「さなぎ」、これは以前から考えていたペンネームだし。ケケケ……頭脳戦な生き残りの話も考えていたんだよねぇ。未来の世界で見かけてさあ、これ、俺氏の作品だってテンション上がったよ」
「じゃあ未来を見て、確信したのですね、自分には才能があるって」
「ぐはは……まぁ、才能はあるっちゃあると思ってたさ。でも、それってうぬぼれとかよくある勘違いってやつかもしれないしね。あんたらのおかげで自信が持てたよ、ぐひひ……」

 薄ら笑いを浮かべながら猫背気味で椅子に腰かける男は、目が髪に隠れたままで、髪の毛を整えることもしない、見た目なんてどうでもいいという雰囲気全開で初デートに来たようだ。

「デートですか、おめでとうございます」

 それを聞いて、女優の姫野が残念顔をする。
「デートっていうより、無理やり連れてきたというのが正解なのよね。映画化されるまでは数年かかるだろうし、少しでもこの世界のどこかにいる彼に早く会いたくて、ネットで黒羽さなぎって検索したらさ、ウェブサイトで小説書いていたんだよね。だから、毎日彼にメッセージを送って会いたいと口説いているの。口説いているのは現在進行形。今日は編集部に用事があるっていうので外出するのを見計らって待ち伏せしただけなんだから」

「ぐひひ……この人、まじで怖いし……自宅も特定されるし」
 悪寒を感じるしぐさをする黒羽の言うこともわからなくもない。普通はストーカーな女に付きまとわれたら迷惑だろう。しかし、相手は名の知れた美人女優だ。

「私、毎日彼にメッセージを送っているのですが、鬼対応なんですよね」
「ケケケ……この人、ドン引きするくらい怖い女っす」
「有名女優だということも知らなかったの?」

 まひるがあきれながら質問した。

「ぐひひ……俺氏、あんまりテレビとか見ないし、芸能人わかんないっつーか、この人本当に有名人か? ケケケ……」
「この人、普通の男ならば会えただけで泣いて喜ぶレベルの有名人よ。好かれているんだから少しは彼女に関心持ちなさい」

 まひるが彼女がいかに有名ですごい人なのかを説明する。本当に黒羽にはもったいない女だ。豚に真珠、馬に念仏とはこのことだ。

「黒羽さんもこのレストラン来たことあるの?」
 姫野が意外な顔をする。
「ケケケ……常連客だし」
「常連客? 私は二回目なの。ここで未来に行ってあなたに会って一目惚れしたっていう流れなんだけど」
「ぐはっ? どんな流れだよ。俺氏、人間に興味ねーし」
「私が黒羽さんに興味あるんだから、二人でこの店に来たかったの。黒羽さんを知るきっかけになった店なんだから」
「姫野さんがここに来たいと念を送ってくれたので、今日は招待しました。無料でごちそうしますよ」
「ぐははっ!! ここの料理超うめーからな。今日の気分はお茶漬けだ。お茶漬けを出しておくれぃ!!!」

 食欲だけは人一倍ある黒羽はさっそくお茶漬けを催促する。黒羽が食べたい食事は基本、家でも食べることができるメニューが多い。黒羽は食べ物に関しては大食いで雑食系なので基本何でも食べる。好き嫌いがないことがこの男の自慢かもしれない。しかし、人間に対しては絶食系らしく、ヒトに興味がない。重大な欠陥を持ち合わせた奇才だ。

「私も同じお茶漬けを。生の黒羽様に会えてうれしゅうございます」
 この女優は本当に変わった性格であり変わった感覚を持ち合わせているようだ。不気味な奇才にはこの手の風変わりな女性がお似合いなのかもしれない。

「今日は幸せ茶漬けでも作りましょうか?」

「幸せ茶漬けかぁ? ぐひひ、初めての一品だ。どんな味だろ……ぐひひ」
「黒羽さん、あなたは能力者ですよね。記憶力が普通ではない。確かに過去に戻って読んだのは黒羽さん自身の作品ですが、全部の文章を記憶していましたね。その時に、記憶能力が特殊で、頭の回転が速い方だということに気づきました。いつか僕たちが困ったときにあなたの能力が必要になるかもしれません。その時は助けてください」

「ぐひひ、コミュ力ない分そういった能力には優れているんだな。うまいもんが食えるならば、手伝ってもいいしな、ぐはっ」
「そんな知的でハイスペックな黒羽様も好きです」
 そう言うと、黒羽の腕に自分の腕を絡めてくっつこうとする。

「ぐっおいっ、俺氏の領域、パーソナルスペースに入るなって」
 黒羽が本気で嫌がるが、美雪は全く離れる気配がない。美人女優はさっきから黒羽に告白しかしていない。むしろ本当にこの人はあの有名美人女優なのだろうか。惚れた弱みなのだろうか。黒羽に弱みでも握られているのではないかと一般的には心配になる案件だ。

「幸せ茶漬けができあがりましたよ」
 二人の目の前に夫婦茶碗が並べられた。何かの儀式のようだ。そこには、つやつやした米粒が食べてほしいといわんばかりに二人を魅了する。そこには梅干しとシャケと海苔が入っていた。だしの香りが部屋に漂う。

「ぐひひ、いただくぞいっ。腹が減ったぞい」
 といってまっさきに箸をわしづかみにしながら懸命に食を欲する男が黒羽だ。その食べっぷりは豪快で胃に流し込むかの如くすすりながらまるでスープでも飲むかのような勢いでお茶漬けを食す。ズズズという音を立てた食べ方は正直上品な食べ方ではないが、見ているほうは食欲が増す食べ方でもあった。とても豪快においしそうに食べる黒羽はお腹が空いていたのだろう、飢えていたのだろうということが容易に想像可能な食べ方だった。無言で食べる黒羽。

「梅干しにシャケ、二つともしょっぱいのに二つともしょっぱすぎない味付けが絶妙ですね」
 姫野が食レポしているような絶賛をする。仕事で食レポの機会もあるのかもしれない。

「これは、程よく減塩しています。しょっぱすぎないように加減して味付けしているので」
「何事もほどよくがいいのですね」

「実はこれはお二人をあらわしています。海苔は二人の間にある壁です。梅干しは天才黒羽氏、シャケは人魚姫のように一途に愛を貫く姫野さん。姫野さんは相手のしょっぱさを引き立てるためにあっさりした味を出す。姫野さんをみていると全てをなげうってでも傍にいたいと願う人魚姫のストーリーを思い出します。人魚姫は声を失ってもいいからと人間になりたいとねがいましたよね」

 あっという間に黒羽の少し大きめの茶碗には米粒ひとつなく完食されていた。お茶漬けもこんなにも、ぺろりとたいあげられて幸せにちがいない。
「ごちそーさま、ケケケ」

「黒羽さん、私、あなたのために毎日ご飯をつくりますので、会いに行ってもいいですか?」
「ぐひひ? ごはん? おまえ料理うまいのか?」

 本当に小説家なのだろうか? 日本語が片言だ。黒羽は変人で変わり者だ。変人イコール変わり者だから、2回も言う必要はなかったが、2回も言いたくなるほど変な人だということだ。黒羽は人間には興味がないが、食欲だけは人の10倍くらい欲深い男だった。その男に、毎日おいしいものを作ってあげるという口実はまさに餌づけにはもってこいのセリフだ。まさに動物をおびき寄せる餌作戦だ。

「私、料理は得意なんです、そのかわり、好きな時に会いに行きますよ」
「ぐはっ? 俺氏の領域にこいつが入るっていうのは気に食わないが、うまい飯にありつけるのならば、背に腹はかえられぬ、ぐひひ」

 何かを覚悟した変人人嫌いの黒羽は食欲には勝てないようだった。人間嫌いよりもおいしいご飯のほうが彼の中で勝利したようだった。

「女優さんだから忙しいでしょ? 無理することないわよ、こんな奴のために」
 相変わらずの毒舌まひる。

「今後は仕事のペースも落とすつもりだし、私は彼に人生を捧げてもかまいません」
「でも、こいつがとんでもなく嫌な奴だったら人生棒に振るわよ」
「私が選んだ道だから後悔はしません」

 美人女優の顔はすがすがしく、まるでドラマのワンシーンのようであった。

「深夜にもお腹に優しいお茶漬けは心と胃をあたためてくれますよ。きっとお二人はうまくいくと思いますよ」

 アサトは笑顔でほほえましく二人を見つめる。月が二人を照らし出す。そんな夜も悪くない。

 ※【お茶漬け】
 ごはん、梅干し、しゃけ、のり、だし汁が食欲を誘う。程よい塩加減がお茶漬け全体のおいしさの秘密。