「久川高校、銀賞」
泣けるわけがなかった。
あれだけ沢山の人を泣かせて、自分は思い上がってたまには見下して。そんな私が、彼女のように悔し泣きをする資格など許されないと思った。
しゃがみこんで、いつもの場所で声を押し殺して泣いて。嗚咽するたびに、高く結んだ髪が揺れていた。制服の肩に、リボンが付いている。大会に出た証を、まだ外していなかった。
こんな時間になれば、もう部員と先生も居ない、誰の目にも入らない。泣いている姿を見られたくなくて、ここまで我慢していたのだろう。私は屈み込み、ポケットティッシュを使って、彩羽の鼻水を丁寧に拭き取り始める。彼女はされるがままだった。
泣けるわけ、無かった。
「こんな時間まで残って、こんな場所でどうしたの? みんな帰ったよ?」
「茉白だって、そうじゃん」
「私は何と今日がカギ当番だったんだよね。だから誰かがいると鍵かけられなくて帰れないわけ。で? どうしてここ?」
「あー……いや。避難……って感じ」
「そっか」
ここはトランペットパートの練習室。彼女は教室の隅っこで、膝を抱えて泣いていた。
鍵当番なんて出任せだ。今日は大会で、学校に帰ってきたのが夜遅くだった為、鍵など全部先生が管理するに決まっている。だけど、皆が帰宅していく中、彩羽の背中が見えなかった。
まさか、と思って先生に許可をもらって、ちゃんと返すことを条件に鍵を預かったのだ。
彩羽の前で本格的に腰を下ろして、誰もいないこと良いことにスカートのまま胡坐をかいた。
「大丈夫? もしかして何か言われた?」
「あ、何かって……悪口とか……? いや、そんなんじゃなくて。寧ろ逆だったよ」
「逆?」
「そう。先輩いなかったのによく頑張ったねって。言われちゃってさ」
彩羽はそう言うと、ハハッと乾いた笑みを浮かべた。
「私、今日の大会が銀賞だったの、私の所為だと思っているんだ」
淡々と言われ、思わずムッとする。「彩羽だけの所為じゃないでしょ」と言ってみるも首を横に振るだけだ。
意地っ張り。ふう、と小さくため息を吐いて、まだ髪の毛が結ばれたままの頭を、両手でわしゃわしゃと撫でる。
「本当、くだらないこと考えてんね。じゃあ、全部言ってしまえ、んで泣いてしまえ。ねじ曲がった思考をちゃんとした方向に向かせて、スッキリさせて前を向かせるのが、今の私の務めだ」
頭から顔に手の位置を変えて、私と対話させるために頬を包み込む。真っすぐと、水面のように涙が揺れている瞳に向けて訴える。私の言葉を聞いた彩羽は目を丸くし、その潤んだ大きな瞳からまたボロボロと涙をこぼしていく。
ぐ、と唇をかみしめて涙を必死に押し戻そうとする。けれど、懺悔の重い涙は止まらない。雫が手から伝っていき、ぽとぽとと音を立てて、スカートの上に落ちて、次々とシミを作っていく。
「こんなこと、終わったあとに言ってもしょうがないってことくらい分かってる。茉白は私のせいじゃないって言ってくれるけど。それでも私は自分が許せない」
「うん」
「私自身が、すっごい、悔しくて……!」
「うん」
「先輩がいない分、私が頑張んなきゃって思っていたのにって。思うばっかり、口ばっかりって、嫌になっちゃって」
「そっか」
しゃくりあげながら口にしていく懺悔の数々に、どんどんと胸が締め付けられていく。
彼女は、私なんかとは違う。ずっとそう思っていた。だけど、違う。彼女は私と何も変わらない。同じ高校生で子供なのだ。
もし、この事が先輩達にも思えていたのなら。色々な考えを持てるようになったのか。泣くことが弱いと思っていた私は、目の前の彼女も否定するのだろうか。そんなことしたくなかった。
「彩羽」
私の前にいる小さな存在向かって、小さく、呟くように。
私も、今日の大会の結果に打ちひしがれた気がした。私の実力は所詮こんなものだと、実感させられるような。私の努力って、そんな簡単につぶせるほど小さなものだったのかなって。生まれて初めて、吹奏楽でしんどくなって悲しくて、まるで黒い沼に沈んで行ってしまうような、そんな絶望を見た気がした。
それでも、私の隣には彩羽が居た。絶望の沼に沈んでいる場合ではないと、必死に自身を鼓舞した。
だから、私には君が必要なのだ。そんな思いを込めて、真っ直ぐと彩羽の目を見つめる。
もう一度名前を呼んで腕を広げれば、私を数秒――いや、本当は一瞬だったのかもしれない――見つめると、今まで以上に破顔させていくのが分かった。大粒の涙をぼろぼろとこぼして、私の胸に飛び込んできて泣きじゃくった。
同級生が、声を上げて泣きじゃくっている姿なんて初めて見た。
そっと彼女の背中に腕を回し、ゆっくりと背中をなでる。彼女のしゃくりあげるリズムに合わせて撫でていると、ワイシャツがしっとりと濡れていくのが分かってきた。私はただ、ずっと、彼女が泣き止むのを待つ。私の頬からは一筋も涙がこぼれてこなくて嫌になった。
だから、その時決めたのだ。私は、この子の隣に立ち続け、この子のために強くなろうと。
泣けるわけがなかった。
あれだけ沢山の人を泣かせて、自分は思い上がってたまには見下して。そんな私が、彼女のように悔し泣きをする資格など許されないと思った。
しゃがみこんで、いつもの場所で声を押し殺して泣いて。嗚咽するたびに、高く結んだ髪が揺れていた。制服の肩に、リボンが付いている。大会に出た証を、まだ外していなかった。
こんな時間になれば、もう部員と先生も居ない、誰の目にも入らない。泣いている姿を見られたくなくて、ここまで我慢していたのだろう。私は屈み込み、ポケットティッシュを使って、彩羽の鼻水を丁寧に拭き取り始める。彼女はされるがままだった。
泣けるわけ、無かった。
「こんな時間まで残って、こんな場所でどうしたの? みんな帰ったよ?」
「茉白だって、そうじゃん」
「私は何と今日がカギ当番だったんだよね。だから誰かがいると鍵かけられなくて帰れないわけ。で? どうしてここ?」
「あー……いや。避難……って感じ」
「そっか」
ここはトランペットパートの練習室。彼女は教室の隅っこで、膝を抱えて泣いていた。
鍵当番なんて出任せだ。今日は大会で、学校に帰ってきたのが夜遅くだった為、鍵など全部先生が管理するに決まっている。だけど、皆が帰宅していく中、彩羽の背中が見えなかった。
まさか、と思って先生に許可をもらって、ちゃんと返すことを条件に鍵を預かったのだ。
彩羽の前で本格的に腰を下ろして、誰もいないこと良いことにスカートのまま胡坐をかいた。
「大丈夫? もしかして何か言われた?」
「あ、何かって……悪口とか……? いや、そんなんじゃなくて。寧ろ逆だったよ」
「逆?」
「そう。先輩いなかったのによく頑張ったねって。言われちゃってさ」
彩羽はそう言うと、ハハッと乾いた笑みを浮かべた。
「私、今日の大会が銀賞だったの、私の所為だと思っているんだ」
淡々と言われ、思わずムッとする。「彩羽だけの所為じゃないでしょ」と言ってみるも首を横に振るだけだ。
意地っ張り。ふう、と小さくため息を吐いて、まだ髪の毛が結ばれたままの頭を、両手でわしゃわしゃと撫でる。
「本当、くだらないこと考えてんね。じゃあ、全部言ってしまえ、んで泣いてしまえ。ねじ曲がった思考をちゃんとした方向に向かせて、スッキリさせて前を向かせるのが、今の私の務めだ」
頭から顔に手の位置を変えて、私と対話させるために頬を包み込む。真っすぐと、水面のように涙が揺れている瞳に向けて訴える。私の言葉を聞いた彩羽は目を丸くし、その潤んだ大きな瞳からまたボロボロと涙をこぼしていく。
ぐ、と唇をかみしめて涙を必死に押し戻そうとする。けれど、懺悔の重い涙は止まらない。雫が手から伝っていき、ぽとぽとと音を立てて、スカートの上に落ちて、次々とシミを作っていく。
「こんなこと、終わったあとに言ってもしょうがないってことくらい分かってる。茉白は私のせいじゃないって言ってくれるけど。それでも私は自分が許せない」
「うん」
「私自身が、すっごい、悔しくて……!」
「うん」
「先輩がいない分、私が頑張んなきゃって思っていたのにって。思うばっかり、口ばっかりって、嫌になっちゃって」
「そっか」
しゃくりあげながら口にしていく懺悔の数々に、どんどんと胸が締め付けられていく。
彼女は、私なんかとは違う。ずっとそう思っていた。だけど、違う。彼女は私と何も変わらない。同じ高校生で子供なのだ。
もし、この事が先輩達にも思えていたのなら。色々な考えを持てるようになったのか。泣くことが弱いと思っていた私は、目の前の彼女も否定するのだろうか。そんなことしたくなかった。
「彩羽」
私の前にいる小さな存在向かって、小さく、呟くように。
私も、今日の大会の結果に打ちひしがれた気がした。私の実力は所詮こんなものだと、実感させられるような。私の努力って、そんな簡単につぶせるほど小さなものだったのかなって。生まれて初めて、吹奏楽でしんどくなって悲しくて、まるで黒い沼に沈んで行ってしまうような、そんな絶望を見た気がした。
それでも、私の隣には彩羽が居た。絶望の沼に沈んでいる場合ではないと、必死に自身を鼓舞した。
だから、私には君が必要なのだ。そんな思いを込めて、真っ直ぐと彩羽の目を見つめる。
もう一度名前を呼んで腕を広げれば、私を数秒――いや、本当は一瞬だったのかもしれない――見つめると、今まで以上に破顔させていくのが分かった。大粒の涙をぼろぼろとこぼして、私の胸に飛び込んできて泣きじゃくった。
同級生が、声を上げて泣きじゃくっている姿なんて初めて見た。
そっと彼女の背中に腕を回し、ゆっくりと背中をなでる。彼女のしゃくりあげるリズムに合わせて撫でていると、ワイシャツがしっとりと濡れていくのが分かってきた。私はただ、ずっと、彼女が泣き止むのを待つ。私の頬からは一筋も涙がこぼれてこなくて嫌になった。
だから、その時決めたのだ。私は、この子の隣に立ち続け、この子のために強くなろうと。