幸代さんの背を見送り、健さんの店をあとにした僕たちは、再び商店街を進む。

「よし。じゃあ、まずは昼飯の確保だ。連休だからな、早めに手を打たないと、食い損ねるぞ」

 確かに。商店街をパッと見渡しただけでも、いつもの倍以上の賑わいを見せている。のんびりしていたら、席が埋まって飯にありつけないなんてことになりかねない。

「この辺りでうまい店はないのかよ」

 サクサクと歩きながらスマホを検索し、僕に話しかける結城は何気に器用だ。まだ一緒に仕事をしたことはないけれど、実はとてもよくできる男なのかもしれないと、話のテンポの良さや相手の懐にスルリと入り込む話術に感心した。

 仕事のできる結城にかかっても、すぐに座れるような店を検索できないまま、商店街の端までたどり着いてしまった。

「どこも混んでるな。商店街は、諦めよう」

 踵を返した結城は、スタスタと歩を進めるとリペアショップへ向かう角を曲がっていく。まるで、結城の方が地元民みたいだ。

「たこ焼きじゃあ、おやつみたいなんもんだよな」

 リペアショップの並びにあるたこ焼き屋を横目に通り過ぎ、図書館の方へと向かっていく。このまま結城のあとについていくと、梶さんの雑貨屋がある通りに出てしまうだろう。その手前にイタリアンがあったし、そこで何とか食い止めるか。

「あったあった。花屋の角を曲がって」

 僕がSAKURAや梶さんの雑貨屋に向かわないよう食い止めるその前に、結城の足はどんどんと先へ進み。結局、通りに出て花屋の角を曲がってしまいSAKURAの前に着いてしまった。

「ここだ。この店、この辺りじゃ人気のカフェらしいぞ」

 知ってるよ。という言葉は口から出ず、できればくるりと踵を返し引き返したいと策を練ろうとしていた。だって、ここに来たら結城に梶さんの存在がバレてしまう。もしも僕が梶さんを怒らせていることや、このカフェに通い詰めていること。梶さんの隣人であることが知られてしまえば、話好きの結城のことだ。きっと面白がって茶化した挙句、酒の肴にされかねない。しかも、今日は羽目を外すと言っているのだ。梶さん絡みで羽目を外すようなことが起きようものなら、僕は嫌われるどころか、妄想だけでなく本当に警察に突き出されることになるかもしれないじゃないか。

 最悪の事態を想像し、とにかくどうにか引き返そうと結城に声をかけようとしたのだが、それよりも半拍早くカフェのドアが開いてしまった。

「いらっしゃい。今日は、お友達もつれてきてくれたの? どうぞ」

 いつもの癒し系の微笑みを向けられてしまえば「こんにちは」という挨拶をしたあと体は条件反射のようにカフェの中に吸い込まれていく。僕はカフェの店員さんに、自然と通い詰めてしまうという催眠術でもかけられているのかもしれない。

 結城は結城で「めっちゃ美人」と店員さんのことを僕の耳元でテンション高く囁いて、弾むようにカフェのドアを潜っていった。現金な態度に苦笑いが浮かぶものの、もしもここへ梶さんがやって来たとしても、このままSAKURAの店員さんに興味を抱き続けてもらいたいと都合よく考えていた。

 いつもの定位置というように、奥にあるテーブル席に案内されて座った。僕が腰かけている席からは、通りに向かうカウンター席が右を向いた先にあった。結城が座っている席からは、左を向けば通りを見渡せる。

「知ってる店だったのか?」

 レモン水を口にしてからメニューを手にし、結城が僕の顔を見る。ここで嘘をついても仕方ないので正直に話した。

「近くに図書館があって。本を借りたあとは、ここでコーヒーを飲みながら読むことがあるんだ」

 誰とでもすぐに仲良くなってしまいそうな結城を牽制し、梶さんの店と、梶さん本人について端折った。

「また本かよ。好きだねぇ、本。そんなに空想の世界がいいのか? あ、動物学者になるんだっけ?」

 何故か動物学者に関しては真面目に受け取っているようで、真剣な顔をされてしまう。しかし、何度も言うがその予定は一切ない。それに、空想の世界も悪くないぞという思いもあった。自分の周りでは起こりえない出来事を、こんなにも感情を左右し共感させてくれるものなどない。

「結城は読まないのか」
「小説は読まねぇな。俺は、実用書だな。身になるものしか頭に入れない」

 賢そうな雰囲気を前面に出されて、言い返す言葉が浮かばない。

「深沢も、小説ばっかじゃなくて。自己改革的なものも読んでみたらどうよ」

 自己改革とは、今の僕の性格をなんとかしろと遠回しに言われている気がする。どうせ僕は、残念なイケメンさ。結城に諭すように言われ、自身のあり方を否定された気がして滅入ってしまう。

 ランチには、ジンジャーポークセットとポークフライセットを頼んだ。洒落た横文字だけれど、要するに生姜焼き定食にトンカツ定食だ。どうやら結城は、トンカツが好きなようだ。

 料理に洒落た名前を付けるだけあって、盛付はインスタ映えしていた。それに、生姜焼きの味付けもトンカツのソースも洋風で一味違った。

「うめぇ」

 しみじみというように、トンカツを口にした結城がつぶやいた。

「肉がめちゃくちゃ柔らかいし。なんだよ、このソース。トンカツには、トンカツソースだろうがっ。と言いたいところだが、この何が入っているのか素人の俺には解らねぇこじゃれたソースがマジ絶妙」

 そうなんだよ。ここのランチは、どれも凝っていてとてもうまいんだ。

「僕も、初めてポーク丼を食べた時に、美味くて感動したんだよ」
「だから。こんなにうまい店知ってんなら、なんで早く言わないんだよ」

 ガツガツとライスを口に運びながら愚痴る結城に、梶さんに会わせたくないからだとは言えず苦笑いが浮かぶ。

 その後、食後のコーヒーを口にした結城は、二度目のうめぇを幸せそうな顔で呟いた。ここの出すコーヒーの美味さにも気づいたようだ。

「なぁ。向かいの雑貨屋みたいなの。人が結構入ってんのな」

 結城の言葉に、体がピクリと反応してしまった。できれば、雑貨屋のことはスルーして欲しかった。結城だって可愛い輸入雑貨に興味はないはずだ。しかし、人の入りがいい梶さんの店には、つい視線が向いてしまうようだ。

「そうだな」

 多くを語ると墓穴を掘りそうなので言葉少なに返すと、美味いものにありつけてご機嫌なのかリズムをとるように体を小さく揺らした結城が言い出した。

「あとでちょっとのぞくか」

 弾むような口ぶりに驚いて目が見開く。

「はっ⁉ 雑貨に興味なんてないだろう」

 まさか結城が店を見に行きたいと言い出すとは思わず。衝撃を受けた初めの「はっ」が強すぎたことに焦り、続く言葉をできるだけ冷静に口にする努力をした。

「興味はないけど、女の子との話題にはなる」

 結城が得意気な顔を向ける。

 なるほど。そう言うことなら。って、違う、違う。そういうことでもなんでも、あの店に行くなんてことは避けたい。しかも、女の子大好きの結城を連れて行くなんて言語道断だ。

 まるでどこかの政治家並みに重厚なテーブルをげんこつで叩きつけるが如く、僕の胸中は穏やかではない。

「なんか、都合悪いことでもあんのか?」

 僕の動揺を察知したように、結城が探るような視線を向けてきた。

「い、イヤ。別に、都合の悪いことなんて」

 冷静な顔を取り繕い、食後のコーヒーに手を伸ばしズズッと音を立てて吸う。目の前では、ニヤニヤとした猜疑心丸出しの顔が僕を見据えていた。

「まったくよぉ。深沢って、本当に残念なイケメンなのな。心の声、だだ洩れだぜ」

 クツクツと可笑しそうに笑った結城は、よしっと言ってコーヒーを一気飲みすると、すっくと立ちがった。

「いくぞ」
「へ?」

 立ち上がった結城を間の抜けた顔で見上げていたら、持ったままでいたカップをテーブルに置けと強制的に促された。有無も言わさぬ態度に慌ててコーヒーを一気に飲み干すと、強引に梶さんの店に連れて行かれることとなってしまう。

 以前のように、ひょっこりとこのカフェに梶さんがやって来ないことを願っていた少し前の自分はなんと愚かなのだろう。梶さんが来なくても、こっちから行く羽目になってしまったではないか。

「ごちそうさまでした」

 レジで支払いの際、カフェの店員さんに飛び切りの愛嬌を振り撒く結城を、斜め後ろから見ていた。

「明るいお友達ね」

 店員さんは、半歩後ろに立つ僕に向かって話しかけてくる。にもかかわらず、結城がニコニコと対応する。

「長所なんです」

 しゃしゃり出てくる結城に、店員さんもおかしかったのか笑ってしまっているじゃないか。

「また来てくださいね」

 結城の顔を見たあと、再び僕に向かって笑顔を見せる。

「はい。また、来ます。ごちそうさまでした」

 軽く会釈をして、笑みを交わし合う。

 僕と店員さんのやり取りを、何やら考えながら結城が見ていた。そしてカフェから一歩出ると立ち止まり僕を見る。

「あの店員さんとは、仲がいいのか?」
「仲なんて。さっきも言ったけど、何度か来てるから、顔を覚えられた程度だよ」

「そうかそうか。あんなキレイ女性と仲がいいなんて、残念な深沢にはありえないと思ったんだよ。やっぱり、そうか」

 やっぱりってなんだよ。

 イケメンさえつけてもらえず、ただの残念な男に成り下がってしまった僕を見て結城は納得顔をしている。