四月も終わりが近づき、明日から連休に入る。平日が二日ほど絡んでいるので、ストレートに休みを満喫することはできないにしろ、体を休めるにはいい機会だ。

「ゴールデンウイークっていうのは、新入社員のためのものじゃないかと思うんだ」

 いつもの居酒屋で、結城がしみじみとした口調で話す。テーブルには、僕たちの定番ともいえる腹に溜まりやすいメニューが数点とジョッキのビールが乗っていた。

「一ヶ月近くも新しいことに頭や体を使いまくるんだぜ。慣れないことに神経をすり減らすのは、至極当然のことだろ。だから国は、そんな疲れた新入社員を労わるために、ゴールデンなウイークを設けたんだよ」

 力説した結城を見ながら笑っていると、本人もニヤニヤとしている。こんなことでも話していないと、やっていられないというところだろうか。僕は、結城のもっともらしく話す口調にうんうんと相槌を打ちながら唐揚げに手を伸ばす。口に入れると、業務用の冷凍食品だろうなとすぐに解る食感と味付けだった。増田さんのところのから揚げは、とてもジューシーで肉も柔らかく。衣もゴテゴテとしていなく均等についていて美味しい。チェーン店の居酒屋に多くの期待をしてはいけないと思うけれど、もう少しだけクオリティーを上げてはもらえないだろうかと思いつつ唐揚げを飲み込んだ。

「まー、一日二日出勤日はあるものの。この長い休みに体を労わり、羽目を外そうぜ」

 ここぞとばかりにはしゃぐことを前提にした得意気な結城の顔が、僕のことも巻き添えにしようと覗きこんでくる。

 いや、羽目を外すのはどうかと。

 真面目腐った僕の思考を読みとったように、結城がスーッと目を細めた。

「深沢。お前は特に羽目を外せっ。なんだっけ、ほら。動物学者になるための勉強なんてしてる場合じゃないからな」
「いや、あれはそういうんじゃなくて」

 動物学者について否定しようとする僕の言葉を遮って、結城が店員にビールのお代わりを注文した。

「深沢はさ。見た目はイケメンなんだよ。なのに、なんつーの。中身がナヨってんだよなぁ」

 情けない自分の性格を、僅かこの一ヶ月弱で理解した結城が、もっとシャキッとしろよと僕の肩に手を置きタンタンと励ますように叩いたあと笑う。

 羽目をはずしすぎるのは問題があるだろうけれど。大学生気分のままお気楽にいられない生活の中で、ストレスを感じることは増えていた。気を張ってばかりいたら、心が蝕まれ病んでしまうに違いない。気を抜く場面や安らぎの場所がないと、心を閉ざしてしまうだろう。五月病なんてものがあると聞くし。この連休が終わったあとに、新入社員が何人残っているかと、先輩たちが話しているのを聞いたこともある。今まで経験してくることのなかった日常に圧し潰されて、フェイドアウトしてしまう人間は少なくないということだ。

 小難しいことを考えている僕を気にすることもなく、結城がジョッキを手にグビグビと喉を鳴らした。まるでCMのように美味そうな飲みっぷりは、僕の手もジョッキへと伸ばさせた。僕がビールを口にすると、結城は口元の泡を拭ったあとまじまじと顔を見てきた。

「せっかくのイケメンなんだけどなぁ」

 溜息を吐きつつ、結城は宝の持ち腐れとでも言わんばかりの顔をする。

「あ、そうだ。深沢みたいなやつをなんて言うか知ってるか?」

 再びビールを煽った結城は、ちょっと意地悪そうな顔で質問してきた。その表情から、きっとろくでもない答えが返ってくるのだろうと負の予感を持ちつつとぼけて首を傾げると勢い込んで言われる。

「残念なイケメンだっ」

 案の定だ。ドーンッという効果音まで聞こえた気がする。

 結城は僕の顔に向かってビシッと指をさすと、ケタケタと豪快に笑った。

「笑いすぎだろ」

 僅かながらの抵抗を見せて言い返すと、さっきまで弾けるようにして笑っていた声をピタリと止めて神妙な面持ちに変えた。そして一本ずつ指を折り、僕について話し始める。

「百八十はあるスラリとした身長。きりりとした涼しげな眼もと。優しい言葉を吐く均整の取れた唇。スッと通った鼻筋に、適度な額の広さとシャープな顎のライン。俺はさ。心配なんだよ。こんだけいい素材を持ってんのに、残念過ぎるその性格が、心配過ぎて夜も眠れないっ」

 小指を立てて六の数字を上げる結城が、きっぱりと言い切った。

 眠れないなんて、大袈裟な。僕は、ちょっと呆れて様に息を吐き笑う。

 結城は僕の呆れ顔などものともせず、本当に残念だというように折っていた指を開き両手を頭の後ろに持っていく。少しだけのけ反るようにして背もたれに寄りかかると、何もそこまでというほどにわざとらしく深い深いため息を吐いた。

 恋愛経験がないわけじゃない。数は多くないが、今まで何人かの女性と付き合ったことはあった。それはいつだって相手からの告白で始まり、相手からの一言で終わってきた。

「深沢君て、思っていたのと違うんだよね」

 付き合ってきた女性から言われてきた、共通するフラレ文句だった。彼女たちが僕にどんな期待を抱いていたか解らないけれど、僕は僕でしかないから。違うんだよね、と言われてもどうしていいのか解らないのだ。女性の勘は鋭いらしいから、心に根付く過去の暗さを感じ取っていたのかもしれない。

 苦笑いでビールに口を付けていると、結城は可哀相な子を見る目をする。

「深沢を見てるとさ、俺が何とかしてやらなきゃって親心みたいなもんが芽生えてくんだよ。なんつーんだ、こういうの。あぁ、そうそう。母性だ。母性」
「いや、性別変わってるし」

 僕の静かな突込みをスルーし、結城がさらに続ける。

「俺が何とかしてお前にいい女を見つけてきてやるからな。大船に乗ったつもりでいろ」

 自分の胸を勢いよくドンと叩いたせいで咳き込む結城を見ながら笑っている僕だけれど。その厚意にありがたいと思う素直な気持ちは浮かばなかった。

 それがどうしてなのかと飲んでいる間中ぼんやり考えていたのだけれど、答えには行きつかなかった。結局、わからないまま結城との飲み会はお開きとなる。

「休み中、暇だったら連絡しろよ。お前のことだ。放っておくと、家から一歩も出ないで折角のゴールデンなウイークが終わってしまいそうだからな」

 痛いところをつかれ、苦笑いで頷いた。動物学者になる予定は全くないけれど、本好きが興じて室内から出ないというのは大いにあり得る。

 帰り道。結城の言った、いい女ってどんな女だ。なんて、まるで中学生みたいなことを考えながらマンション前に辿り着いて部屋の鍵を取り出した。なんとなく隣の玄関先に視線を向けて答えがわかった。

「梶さんだ」

 頭の中で結城の言った「いい女」にイコールした隣人の姿が脳裡を掠め、漏らした言葉に自分で驚いた。

 瞬間、カッと羞恥で頭に血が昇り、この呟きが誰かに聞かれていやしないかと慌てて鍵を開けて部屋に飛び込んだ。背中越しに玄関ドアを閉めてから、深く息を吐き出す。

「僕、梶さんのことを好きになってる」

 まるで他人事みたいに口にしたあと、あのカフェの店員が呼んでいた彼女の名前が浮かんだ。

「早苗さん」

 口に出してみると、恥ずかしすぎて再び血が顔全部に集中する。耳まで熱くなっているのを自覚しながら、靴を脱ぎ散らかしてじたばたと家に上がり込んだ。

「僕は、一体何を考えているんだっ」

 寝乱れたままのベッドにダイブして、頭の上から布団をかぶり叫ぶ。誰に見られているわけでもないのに体を隠し、亀のようにのっそりと首だけ出して息を吐いた。

「好きって。まともに話したこともない相手に、なに言ってんだよ。そもそも、僕は、嫌われてんのに」

 嫌われていると言葉にすることで、梶さんの存在が一瞬ではるか遠くへと離れてしまい空しさに落ち込む。

「シャワー浴びて寝よ」

 現実を思い知り、のっそりと布団から出てその日の疲れを洗い流した。