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…次に目が覚めた時、そこはお出汁の香る空間ではなかった。
カーテンが締め切られ、何週間も掃除をしてない埃っぽい部屋。
その重苦しい臭いは、視界のきかない状態でも“自分の家”だと分かってしまう。
いつの間に帰ってきたんだろう。
大江山のふかふかのお布団の感触が恋しい。
触るもの、感じるものすべてが現実そのもので、私は最悪の可能性を思いつく。
ーーー全部、夢だった…?
テッペン横丁も、大江山も、あやしいひと達も…冬至さんも、全部全部、酩酊した私の酔い夢だったんじゃないか?
そう考えると、ひどく恐ろしくなった。
すっかり酒気が抜けている。明瞭な頭は、嫌な想像を芋蔓式に連れて来る。
ーーーお酒は大好き。飲むと頭がフワフワして、嫌なことを全て忘れられるから。
ーーーシラフは嫌。強いはずの私の心が、どんどん脆く弱くなっていくから。
飲んだら忘れられる。
“若いから何もできない”という、上司や先輩からの軽視も。
テッペンを超えて捌いても終わらない仕事の山も、責任も。
“これが永遠に続いたらどうしよう”という、漠然とした不安も。
全部、全部。
酔えば、頭がフワフワになれば、忘れることができたのに。
ーーーヤダ、こんなよわっちいの、私じゃない……。
何事にも一生懸命頑張れば、きっと周りが評価してくれる。
いつも笑顔を絶やさなければ、いつか周りが信頼してくれる。
それを教えてくれた進藤先輩は、心因性の病気で8ヶ月前に会社を辞めた。
「…ヤダ……。」
私は認めたくなかったのだ。
尊敬していた先輩のやり方が間違っていたと思いたくなかった。そのやり方を信じて今日まで続けてきた自分自身を、否定したくなかった。
それ以外にどう生きればいいか、今の私には分からなかったんだ。
こんな、体を丸めて泣きじゃくる姿、とても冬至さんには見せられない。
…いいや、もしかすると“冬至さん”すら、酔った私の夢だったのかもしれない。
ーーーもしそうだったら、私はこれから、どう生きればいいの…?
顔をぐしゃぐしゃにして、無意識にリビングのローテーブルを見た。
カーテンの隙間から差し込む光が、ローテーブルをスポットライトのように照らしている。
持ち帰った仕事の資料が散乱している、その上に、見覚えのないお皿があった。
「………え……?」
就職祝いに買ってもらった白いプレート。
そこにシンプルなおむすびが二つ、ラップされている。
海苔も混ぜ込みの具もない真っ白なおむすびなのは、この家に具となる食材が一切無いからだろう。冷凍食品以外、ここしばらく買ってなかったから。
そのお皿のそばに、小さなメモが置かれている。
私は布団から転がり出て、そのメモに追い縋った。
ノートの切れ端に書かれた無骨な筆跡。
それを誰が書いたかなんて、誰がこのおむすびを握ったかなんて、
“お疲れ様、月見さん。
起きたらこれ食べて、ゆっくり休みな。”
あの人以外にいるはずないんだ。
「………っ、…っ!」
胸がひどく苦しくなった。嗚咽が止まらない。
悲しいからじゃない。
夢じゃなかったという安心感。
こんな私のことを気にしてくれる人がいるという、喜び。
ーーー冬至さんに、伝えたい。
ーーー私、あなたのことが…。
そして、そんな冬至さんのことが、寝ても覚めても考えてしまうくらいに、好きだと気づいたから。
浴衣の袖で涙を拭い、私はおむすびを手に取る。
とても人様に見せられないようなひどい泣き顔で、私は無心で塩おむすびを頬張る。
塩もお米も、スーパーで買った産地も分からない安物なのに、今まで食べたどんな料理よりも甘くて優しくて、温かい味がした。