「私は難しいことはわからないのですが、ほら、空はどこまでも続いているじゃないですか」

 なんの話かと思いながら、こくりとうなずいた。

「ですからね、ほかの土地で環境が壊れれば、やがてその影響が山奥の村にも出るようになるんです。ゆっくりと時間をかけながら、それでも確実に歪みが生まれるんですよ」

 イチさんが言いたいのは、環境破壊や汚染などのことだろう。もう何年も前からや〝気候変動〟といった言葉が、ニュースでも頻繁に飛び交っている。

「その結果が、今の下沢村です。お若い人はいいですよ。好きなところに移り住めばいいんですからね。ええ、ええ。その気持ちは私だってわかりますよ。けれど、お年を召した方らは、昔から守ってきた土地をそう簡単には手放せないんでしょうねぇ」

 村で出会った人たちを思い浮かべてみた。

 イチさんの言う、土地を手放せないというのは、まさしくお世話になっていた梶原家もそうだった。息子の昭人は都会に憧れを抱いていたが、それを勝吾が有無を言わさず却下している。そして昭人に対して、自分と同じ仕事に就いて家を守れと、頭ごなしに言い聞かせていた。

「少々話が逸れてしまいましたねぇ。ええ、ええ。ですが、綾目様にはちゃんと知っておいてほしいですからね」
「はい」

 私の返事に、イチさんは満足げに口角を上げた。

「最近の下沢村については、綾目様も実際に目されたので、少しはわかっておられると思います。すっかり信仰心をなくした村人を目にするのは、佳月様にとってそれはもうお辛いことなんですよ。次第に佳月様は、村の様子を見ないようにしていました。いえね。気にはかけているんですよ、もちろん。ですが、たとえ村人を救いたいと思っても、今の佳月様にはそんな力はございません。それならせめて、目を背けていた方が心の安寧を保てるというもの」

 いくら村人の心が自分から離れてしまったとはいえ、心優しい佳月様にとって、苦しむ彼らを見ているだけなのも拷問のような時間だったのかもしれない。

「ただ、村人の心が大きく乱れると、たとえ佳月様が拒んでも否応なしに見えてしまうんですよ」

 佳月様が取り乱していたのは、それが原因らしい。いったい彼は、どんな場面を目にしたのだろうか。

「ここと現世とでは、時間軸が違うとお教えしましたね?」
「ええ」

 話の内容が変わったことに首を傾げながらうなずいた。

 この空間では、大昔に供えられた農作物が今でも鮮度を保ち続けている。現世に似せているため私の中での感覚はもとのままだが、実際はどれほどずれているのだろうか。