「佳月様はですね、いつだって下沢村の状況を知ることができるんです。以前は、自分を慕う村人らの願いに応じようと、常に気にかけておいでだったんですよ。ですがね……」

 そこで言い淀んだイチさんは、寂しげに眉を下げた。

「信仰心をなくしていく村人の姿もまた、すべて見えてしまうのです」

 規模の大きな話に気後れしそうになりながら、そのときの佳月様の心境を必死で想像する。村人たちの心変わりを、この人はどんな気持ちで見ていたのだろうか。

「それでも、村になにかあってはいけないと、目を背けずにおられました」

 存在を忘れられていく辛さなど、私では想像もつかない。

 イチさんの話は佳月様も聞こえているのに、彼の表情は少しも変わらない。けれど、心優しい佳月様のことだ。平気なはずがない。
 そんな佳月様を見ていたら胸が苦しくて、涙が止まらなくなる。

「っ……うっ……」

 口もとに手を添えてこらえていたが、嗚咽が漏れてしまう。当事者でもない私に悲しまれても、彼を困らせるだけだ。

「佳月様のために、涙を流してくださるなんて……綾目様は、本当にお優しい」

 そうじゃないと、首を左右に振る。彼の本当の苦しみがわからない私には、泣く資格なんてない。

 必死に涙をぬぐっていると、目の前に真っ白なハンカチが差し出される。それをしてくれたのが佳月様だと気づいて、ますます涙が止まらない。

「すみ、ません。わ、私が泣くなんて、違うのに」
「いや。かまわない」

 私がハンカチを受け取ると、佳月様はイチさんに続きを促して、再び口を閉ざした。

「綾目様。佳月様のために悲しんでくださって、ありがとうございます。私も、長く佳月様にお仕えして、ずいぶんもどかしい思いをしたものです。ええ、ええ。それはもう本当に」

 佳月様を慕うイチさんもまた、彼と同じように苦しみに耐えていたのだろう。

「天候に恵まれず、不作が数年続いた村人たちは、自分たちの信仰心の薄れを棚に上げて、佳月様をなじるようになりました。なんのための神なんだって」
「そんな」

 思わず声を出した私に、イチさんはまったくだとうなずいた。

「いえね。もともと下沢村の天候事情は、それほど良い条件じゃなかったんですよ。それを佳月様が助けていたから、問題なく暮らせていたんです」

 安定生活が守られているうちに、いつの間にか、村人が頼むばかりの一方通行なやりとりになってしまったのだろう。

「村人は、天候に適した作物を模索したり、ほかの仕事を探したりして、なんとか下沢村での生活を続けていました。ええ、ええ。その努力は、私も認めておりますよ」

 イチさんの口調に嫌味はなく、称賛の意すら感じられる。