それからも、残念ながらまとまった雨は降らなかった。

「よそでは川の氾濫が起きるほど降っているのに、どうしてこの辺りは降らんのか」

 夕飯時に、勝吾が嘆く。
 自然に関するものなど、人の力ではどうにもできないとわかっているはずなのに、どうにかしてくれと役場に訴えにくる住民が多くいるという。それに対して、聞き役に回るばかりの勝吾らは苛立ちが募っている。最近は、気に食わないことがあると芳子をぶつこともある。それを、ほかの家族は誰も止めない。
 
 いつかその矛先が私に向くかもしれず、ますます息をひそめるように過ごしている。

「昭三じいさんは、役場に来ては昔の文献を手あたり次第読み漁っているし、いよいよなんらかの神事をする気だな」
「どんなものがあるんですか?」

 芳子が控えめに尋ねる。
 彼女自身は他所から嫁いでおり、この村の昔の風習には詳しくないという。二十年以上この地で暮らし、ようやく周囲に認められつつあると、先日気の遠くなるような話を聞いた。

「そうだなあ。ひと昔前には、収穫した農作物や鶏なんかをお供えして、祭りをしていたはずだ」

 もしかしたら生きた状態ではないのかもしれないと想像して、思わず顔が歪む。

「それから、舞の奉納とも言っていたな」

 その内容がわかればいいが、準備はなかなか大変そうだ。

「あとは、人心供養だな」
「人心供養? なにそれ」

 久しぶりに口を開いた公佳に、勝吾は気をよくしたようで得意げな顔になる。

「生贄だ」
「生贄?」

 公佳は眉間にしわを寄せ、訝しげに勝吾を見た。

「そうだ。じいさんが言うには、もう何百年も前の話らしいがな」
「それはちょっと、無理じゃない?」

 小ばかにした口調で返す公佳に、芳子もうなずいて同意する。

「さすがにもう、命を差し出すようなことになりはしない。ひと晩あの神社で過ごすとか、そんなところだろ」
「ふうん」

 それだけ聞いて、公佳は途端に興味をなくしたようだ。

 家事を終えて自室に戻り、先ほど聞いた話について考えていた。水不足には相当悩まされているようで、不満の声はそこかしこから上がっているという。梶原家のように兼業農家ならまだしも、そうでなければ死活問題だ。その救いとなる一手が、果たして神頼みでいいのだろうか。

 先日掃除をした神社は、あれからも毎日足を運んでいるが、これといって変わった様子はない。ごくたまにみかんやリンゴなどが供えられている日もあるものの、それも数回だけだ。
 カラスの被害を心配して、食べ物は放置しないようにしているのかもしれないが、それにしても社殿に風を通す様子もなければ、お参りに来る人に出くわしもしない。

「生贄だなんて」

 物騒な風習だが、大昔ならあり得たのかもしれない。勝吾はひと晩あの場で過ごすくらいだと言っていたが、それだって現実離れしている。
 それをまさか、本当に実行するとは思ってもみなかった。