その、刹那――アマリの身体が、淡い虹色の光に包まれた。鮮血に染まった着物から、(つる)のようなものが何本も這い出す。
 (とげ)のあるそれはうねりを持ち、たちまち伸び育って、繋がれた二種の手を梯子(はしご)に、荊祟の身体にも巻き付いていく。離すまいと言わんばかりに、小さな棘が食い込む。
 絡み付いた先にある、厄除の札ごと刺さった傷の部分に重なるように、小さな白い五弁の花が咲いた。

 次々と灯るように花開いてゆくそれは、野茨(ノイバラ)――荊の花だった。
 白く可憐な出で立ちのそれは、矢が刺さった患部全てを、それぞれ包むように咲いていく。

 荊の蔓……『不幸中の幸い』と共に、『痛手からの回復』『優しさ』という花能(はなぢから)を持つ。
 端から見ると泥の上に灯る仄かな明かりか、将又(はたまた)白く連なる包帯の如く、巨体化した荊祟の身体全てを包み込む。

 そんな幻想的であり奇異でもある光景を、その場にいる者は種族の壁を越え、圧倒されながら傍観していた。
 二人の関係が厄神明王によって明かされた今、祟神の弱体化を期待する思いで見る者もいれば、花能(はなぢから)の効力を知る人族の中には、逆に回復して強大になる可能性を危惧する者もいる。

 ぐったりと横倒るアマリの身体から流れる血溜まりから、淡い光に包まれた多種多彩な花が、ふわり、ふわり、と現れた。それらは、荊祟を取り囲むように降り注ぐ。

 ……待雪草(マツユキソウ)……蓮華草(レンゲソウ)……亜麻の花……待宵草(マツヨイグサ)……

 ……――『慰め、希望』『苦しみが和らぐ』『親切への感謝』『無言の愛』……

 花能として効力を持つ花もあれば、力としては使えない無能とされる花もあった。だが、それぞれにアマリの秘められた想いが込められている。
 具現化される花が増える度、血溜まりが薄くなっていく。どうやら彼女の血が媒体になっている様だった。

 白、紅紫、瑠璃色、黄色と鮮やかに彩られてゆく自分の身体に、荊祟は呆然としていた。泥の肌の上に落ち、そのまま吸い込まれ、(かすみ)ながら朧に消えてゆく度に、胸の奥底がふるえる。
 矢が刺さった患部の重く痺れるような痛みが引いてゆき、その度に黄土の視界が揺れ、次第に目頭が()()なった。

「……アァ、ア、マ……リ……」

 掠れた(しわが)れ声が、太い指先で握る白い手の主、足元に横たわる女の名を呼ぶ。のそり、のそりと身体を引き摺り、そのまま少しずつ近付く。
 互いの荊の蔓が絡み合う距離にまで来た瞬間、彼女の矢傷に障らないように気をつけながら、そっ、と抱き上げた。


「……‼ もう一度、矢を放て‼」
「奴は油断しています。早く‼」

 アマリの両親が、再度の攻撃命令を発した。

「宜しいのですか⁉ アマリ様にまで命中してしまいます。既に、重傷を負われておられ……」

 人族の護衛隊長が躊躇(ちゅうちょ)する中、彼らは容赦なく促す。

「構わん。……あれは、もうどうにもならん」
「厄に堕ちた尊巫女など、我が一族の恥でしかありません。祟神諸共(もろとも)、祓いましょう」

 厄神とアマリの一連の様子を見ていた隊長には、思うところがあった。だが、主には逆らえない…… ぐっ、と眼をきつく閉じ、腕を振り上げる。

 今にも合図が出されようとしている部隊に向かって、一人の女が飛ぶように舞い、砂利(じゃり)の鳴る音と共に立ち塞がった。

「――これ以上、あの御二人を傷つけるな‼ 馬鹿者共‼」

 長い(きり)のような物を手に、涙声で叫ぶ。琥珀の猫目を見開いたくノ一――カグヤは、鋭利に光る武器を一振りし、その切っ先を突きつけるように構えた。
 彼女の髪からは銀製の(かんざし)が消えている。髪飾りではなく武器だったのだ。先端が細い(やいば)に変化している。

「なんだ小娘。厄界の者か? ならばお前もまとめて祓うぞ」

 攻撃態勢を強めるアマリの両親始め、一族と護衛部隊に少し怯みつつ、怒りも強まったカグヤは、ぐっと奥歯を噛み締める。

 すると、気づけば忍の護衛隊長が、彼女の隣に立っていた。彼も刀を抜き、構えをとっている。

「隊、長……」

 戸惑いながら、カグヤは尊敬する師を見つめた。

「お前達‼ 命じておらんぞ‼ 勝手な真似をするな‼」
「そんな事をしても、長様は、元には戻らん……‼」

 既に諦めの域に入っていたらしい、荊祟の家臣等が咎めたが、静風のような口調で、隊長はさらり、と言い切る。

「我が長を襲い、傷つける者と戦うのが、くノ一含めた我々、護衛隊の仕事なのでしょう? ……それに、あの御方は、まだ祟神になぞ成られていない。お判りになられませぬか」

 大切な宝か赤子を扱うように、いとおしげにアマリを横抱いている荊祟に目をやり、隊長は述べた。
 そして、人族の護衛部隊に向かい直り、刀を抜いたまま諭すように語る。

「――人族の護衛の衆。貴方方は何を護っているのだ。主君? 民? 護るべき対象……戦う目的を見誤っておられぬか」

 おそらく自分達、忍の部隊と同じ任務を背負う彼らに向けた真摯な問いかけだった。弓矢を携えた者達、それぞれの心……信念や概念にさざ波を起こす。
 戦うのは、雇い主である主を筆頭に、人族の民を危機から護る為だ。故に、妖厄神である荊祟は、皆が忌む格好の標的だった。祟神と化したなら尚更だ。
 だが、今の祟神――荊祟という厄神は、果たして()()なのか……

「どんな主でも命懸けで護るのが務め……それは、我々も同じです。しかし、その主の敵は、果たして真の敵でしょうか」

 様々な思慮が起こり、人族の隊長の概念が揺らぐ。一寸の後、号令を掛ける腕を、ゆらりと下ろした。

「……⁉ おい、何をする。主に逆らうか」

 声を荒げるアマリの父に、人族の隊長はアマリと()()()の方に視線をやり、はっきりと返す。

「我々の術は、()()には大して効かぬ模様でございます。……アマリ様は、今、命懸けで祟神を鎮めておられます。あの方まで殺してしまえば、もう望みはありません」

 実質、アマリは『鎮めて』いる意図はなかった。ただ、荊祟という者への()()を懸命に伝えているだけだ。
 だが、先ずは祟神への変貌の抑制を望むべきだと、一族の護衛として客観的な判断故の言葉だった。

 隊長の判断に、アマリの両親は改めて、娘と祟神――厄病神を凝視した。
 確かに、先程までの殺気立った化け物は、もういない…… 自尊心(プライド)はずたずただが、ぐうの音も出ず、苦々しげに黙り込んだ。


 痛みの和らいだ身体で、胸の底に沁みてゆくアマリの想い一つ、一つを荊祟は受け取る。応えるようにそっ、と優しく抱き寄せた。その眼には熱い水の膜が滲んでいる。

 アマリの全身を貫く激痛、息苦しさは、彼の眼差しが緩和させた。遠退く意識の中、ふと、出逢ってから今までの事が、走馬灯の如く駆け抜ける。
 ……鋭い眼光、冷徹な言動、辛辣な思考、痛みある叱咤激励、さり気ない気遣い、清廉な魂、優しい眼差し、温かな抱擁……――

 刹那。二種の真紅の花吹雪がアマリの身体から巻き起こった。二人を護るように渦巻き、荊祟の身体にも降り注ぐ。
 紅の山茶花(サザンカ)胡蝶草(コチョウソウ)だった。
 荊の白い花の傍に寄り添うように咲き誇る、紅の山茶花。
 泥と化した荊祟の肌に、紅の蝶の如く留まっては揺らめく、胡蝶草。

 ――『あなたは誰よりも美しい』
 ――『いつまでも一緒にいたい』

 物言えぬ満身創痍なアマリの()からの願いであり、渾身の告白だった。

 色とりどりの百花(ひゃっか)が舞うその姿は、荊の蔓に護られた花人形の様……――


 少しずつ朧に消えてゆく花々に合わせるかのように、荊祟の身体はゆるゆると溶け、小さくなっていった。(つた)のような触手は縮み、泥の肌は小麦色の皮膚に変わる。
 巨大化した手も、般若と化した顔も牙も(しお)れるように消え、代わりにかつての涼やかな面立ちに戻った。
 アマリを抱いたまま、荊祟は崩れ落ちるように、地面に横たわる。受けた矢は互いに刺さったままだ。

「……け、すい、様」

 自然に唇から零れたアマリの微かな呼び声に、閉じていた切れ長の眼が、細く開き、覚醒(めざ)めた。その色は、琥珀だ。

「……アマ、リ」

 掠れてはいるが、懐かしい玲瓏な低音の声に、朦朧とした意識の中、アマリは更に安堵した。

「……よか……た」

 青白い顔で涙混じりの儚い微笑を浮かべる。そして、改めて()()の身体を見て、固まった。
 元の姿に戻ったが、受けた幾本の矢は痛々しく刺さったままだ。破れてはいるが、血が滲んで貼り付いたままの厄除の札もある。

「血……‼」
「此の位……平気、だ。それより、お前が……」

 アマリの方が明らかに重傷だと、荊祟は判断していた。大量の出血で顔色は悪く、虫の息だ。
 荊の花の効果だろうか。荊祟の感覚では、自身の痛みはだいぶ和らいでいる。
 だが、人族の血が混じる彼の身体は、次第に赤く染まり、呼吸が荒くなり始めた。身体的な損傷は容赦なく進んでいるのだ。

 二種の命の灯火は、少しずつ、少しずつ弱くなり、死の影がひっそりと近づいていた。